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高齢期の所得保障を考えるシリーズⅤ

本シリーズでは、高齢期の所得保障に関する客観的なファクトを整理してきたが、このようなファクトも、政策議論や政策形成へと活かされなければ、無意味なものとなってしまう。本稿では、大規模な年金改革に取り組んだイギリスの事例も参考にしながら、我が国の年金議論を、客観的なファクトに基づく前向きなものにしていくための手掛かりを考えてみたい。

1. 年金制度への不信感はどこから来るのか?
6月に金融審議会が公表した、いわゆる「2,000万円報告書」を契機に、年金制度への注目が一挙に高まった。ちょうど参院選を控えたタイミングということもあり、頻繁に世論調査の結果が報道され、国民の年金制度に対する不信感が改めて浮き彫りになったと言える。
ところで、この「不信感」はどこまで具体的なものだろうか。曽根他(2013)では、人々の「民意」を「ファストオピニオン」と「スローオピニオン」とに分けている1。例えば、「どの政党を支持するか?」というような問いであれば、ある程度即答することも可能であろう(ファストオピニオン)。だが、「年金制度についてどう考えるか?」というような問いに対して真摯に答えようとすれば、一定の前提知識と熟慮するための時間を要する(スローオピニオン)。このような問いについて即答を求めても、表層的なファストオピニオンしか聞き出せず、具体性を持った有意義なスローオピニオンを得ることは難しい。
こうしたスローオピニオンを引き出す手段の1つとして、本稿では「討論型世論調査(Deliberative Poll、以下DP)」を紹介したい。DPとはその名の通り、有権者を集めて政策について討論をしてもらった上で、有権者の考えを問う形式の世論調査である。討論の過程では、専門家による客観的なファクトの説明や、様々な見解の有識者との質疑応答等が組み込まれ、通常1~3日程度を掛けて行われる。

2. イギリスにおける年金討論会
実は、2000年代に大規模な年金改革に取り組んだイギリス でも2、国民的合意形成に当たってDPが大きな役割を果たしている。改革方針の検討を担う「年金委員会」が2005年に改革案を示すと、これを題材とした「年金討論会(National Pensions Debate)」と呼ばれるDPが全国及びオンライン上で開催され、その結果が2006年の「雇用年金省白書」(Department for Work and Pensions(2006a))でも踏まえられている。
この年金討論会に参加した6,325名(オンラインを除く)について、討論前後における年金改革オプションに対する選好の変化を見ると、興味深い事実が分かる(図表1)。

図表1 イギリス年金討論会における討論前後の有権者の意向(抜粋・一部加筆)




(出所)Department for Work and Pensions(2006b)より作成
(注)「賛成」には「Strongly Agree」「Agree」を、「反対」には「Strongly Disagree」「Disagree」を含む。

従前のイギリスでは公的年金への依存心の高まりが問題視されており3、討論を経た後でも、年金給付の引き下げへの反対はむしろ増加し、公費投入の引き上げを求める声も高まっている。その一方で、貯蓄・資産形成の促進や就労期間の延長等、自助努力を求めるオプションに対しても賛成が大きく増加しており、特に後者に至っては賛成・反対が討論前後で逆転していることは注目に値する。年金委員会のメンバーを務めたジョン・ヒルズLSE教授も、年金制度を持続可能なものとするために公費・貯蓄・就労のバランスが重要であるとする国民的理解の形成が、年金改革の後押しとなったことを強調している4

3. 年金議論を健全化する手段としてのDP
このようなDPは、我が国では一部自治体で政策形成に採り入れられた事例があるものの、国政レベルでは採用に至っていない。ただし、慶應義塾大学DP研究センターが、いくつかの政策テーマについて実験的にDPを開催しており、本稿では公的年金制度を題材として2011年に開催されたDPを紹介したい5
同DPは、全国規模の世論調査に回答した者から、有権者の代表性を持つよう性・年齢階級を考慮して対象者を抽出し、最終的に20~87歳の男女127名の参加者を集めて2日間の日程で開催された。参加者は10~15名ずつのグループに分かれての討論を3回ずつ、専門家への質疑応答を行える全体会議を3回ずつ繰り返し、討論前後における、参加者の年金制度に対する考え方の変化を調査した(図表2)。

図表2 慶應義塾大学DPにおける討論前後の考え方の変化(抜粋・一部加筆)




(出所)慶應義塾大学DP研究センター(2011)より作成

調査結果を見ると、DPへの参加前後で、年金制度への信認が大きく高まっていることが分かる。また、将来世代を重視すべきといった意見や、消費増税への賛成も増加しており、客観的なファクトを押さえた上で自ら考え、他者との意見交換を経ることで、参加者の視野が広がっていることも窺える。
以上見てきたように、イギリス及び我が国における年金制度を題材としたDPでは、両国とも、参加者にきちんと情報を理解してもらい、自らの考え方を討論によってブラッシュアップしてもらうことで、表層的ではないスローオピニオンを引き出すことに成功しているように思われる。
DPにはコストや手間が掛かること、調査結果の拘束力が通常の世論調査よりも強いこと等、慎重に実施すべき要素はあるものの、ファストオピニオンを収集して年金制度への漠然とした不信感を強調するよりも、スローオピニオンに基づく前向きな年金議論を進めた方が遥かに有意義であろう。健全な年金議論の環境を整える手段として、マスメディアや政府はDPの活用を検討しても良いのではないだろうか。


1 曽根他(2013)pp.24-26。
2 イギリスにおける年金改革の詳細は、当社の政策研究レポート(近日公開予定)を参照されたい。
3 詳細は当社の政策研究レポート(近日公開予定)を参照されたい。
4 Hills(2007)。
5 以下の記述は慶應義塾大学DP研究センター(2012)に基づく。


参考資料
Department for Work and Pensions(2006a)“Security in Retirement: Towards a New Pensions System”
Department for Work and Pensions(2006b)“National Pensions Debate – Final Report” Hills, J.(2007)“Pensions, Public Opinion and Policy” In Hills, J., LeGrand, J. and Piachaud, D.“Making Social Policy Work: Case Studies on Poverty, Place and Policy”, The Policy Press, pp.221-243.
慶應義塾大学DP研究センター(2011)「慶應義塾大学DPセンターアンケート調査「年金をどうする~世代の選択」(2011年5月28日29日)速報値」
慶應義塾大学DP研究センター(2012)「年金をどうする~世代の選択 調査報告書」
曽根泰教・柳瀬昇・上木原弘修・島田圭介(2013)「「学ぶ、考える、話しあう」討論型世論調査-討論の新しい仕組み-」ソトコト新書

社会政策部 研究員 大西 宏典

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