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「生きろ!」の嘘くささ~9.1と131人の10代の死

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■宮崎駿は「生きろ!」

今年も9月1日がやってくる(君は屋上に行く?~9月1日が、18歳以下の自殺の半数以上を占めることについて)。そこで亡くなる131人の10代の人々に対して、生きている者たちは何が言えるだろう?

アニメ監督の宮崎駿は、「もののけ姫」のメインコピーで、「生きろ!」という有名なフレーズに人の生き方のすべてを込めて語っていた。

物語的には、山犬(狼=神)に育てられたサンが、とどめの一撃を行う前に主人公アシタカによってつぶやかれたセリフだ。

これにはいろいろな解釈があり、そのひとつとして、人間世界の外(山犬の世界)の価値にとどまらず、君(サン)は人間世界の価値も背負っているのだから、もっともっと生きてくれ的メッセージも含まれているらしい。

だが、下のポスターを見る限り、この「生きろ!」には、センシティブな宮崎駿の意図に反して、何か「大人目線」からのメッセージを発している。

もののけやサンの苦悩はそこにはなく、そしてアシタカの迷いもそこにはない。単に、「死ぬこと=悪」という紋切り的メッセージが浮かび上がっている。

これでは、今日死のうと思う若い人たちをシラケさせるばかりだ(宮崎駿もシラケる)。誰も悪くないが、「生きろ!」に含まれる、生きている者たちが属するこの世界が善=死は悪、という単純な価値だけがこの言葉に宿り、この言葉本来がもつ多重性が失われる。おそらく宮崎は、生命の意味に関して、もっと深く考察している。

[画像をブログで見る]

■「生きろ!」という言葉は、何の意味もなさない

死は悪ではないし、生きることは善ではない。死と生はたぶん、善悪の彼岸にある価値だ。

この頃はネットを通してさまざまな写真が流れ、それらの一枚に、たとえば世界の内戦の中で死んでしまった子どもの画像があったりする。

そうした画像はTwitterなどを通していきなり目に飛び込んでくるものだから、僕は大きな衝撃を受ける。かよわい子どもの死の画像は、生きているものに対してはきつすぎる。それを泣きながら抱く親らしき大人の表情も悲哀に満ちる。

子どもの死に際して、その身近な大人は泣き叫ぶ、あるいは泣きつつ目をふせる、あるいは放心する、表現はさまざまだが、おそらくそこでは人間世界を人間として位置づける「ことば」は何の威力もない。

現代の戦争での死、もののけ姫世界での人の死、あるいは現代日本での児童虐待を通した死。

それら「子どもの死」に対して、その同時代に生きる大人たちの最大の誠実な言葉は、

「生きろ!」

だろう。

が、僕が思春期に戻ったとすると、そうした「生きろ!」という言葉は、何の意味もなさない。それは、嘘くさい。

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