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- 2010年05月29日 09:54
日本のiPadフィーバー。見直して欲しい家電のマーケティング
テレビでiPadを紹介する番組が目立ちました。そのときの出演者の反応を見ていると、新しいものが好きで、飛びつく人たちがかなりいて、ふーんそんなのはiPhoneでもできるよという操作でも感嘆の声があがっていました。それほどあまりよくわかっていない人までも惹きつける魅力があるということです。そして、発売が開始されると、iPadを求めての行列。そのフィーバーぶりがワシントン・ポストにも取り上げられていました。
それでわかったことがあります。かつて、日本は、世界の市場のなかの先行市場でした。日本で受け入れられたものが数年後に、欧米で売れるという構図がありました。新しいもの、新しいことが好きだという人たち、それに素直に反応する消費者がいたからです。これほどいい市場はありません。しかし、このところ、米国で先行発売し、日本はそれを指を加えて待つという逆のパターンになってしまいました。しかし、iPad人気は、いまだに日本にはそんな消費者が健在だということを見せてくれました。
日本の家電で、これほどでなくとも、人びとをフィーバーさせるものはすっかり姿を消してしまいました。
なにが違うのでしょうか。日本の家電が得意なデザインでしょうか。高スペックでしょうか。iPhoneはデザインはシンプルそのものです。スペックは、知る人のみぞ知るで、どう操作すれば、どんなことができるかしかわかりません。
もっとも大きな違いは、日本の最近の情報家電には、コンセプトが感じられないのです。いやコンセプトと名付けたものはあるかもしれません。堅牢なボディ、顔認識、省電力、お財布ケータイ、大画面、高画質・・・スペックや機能や性能のオンパレードです。それがコンセプトになってしまっています。
なぜそうなったのか。ソフトを重視してこなかったということがあるかもしれませんが、知っている限り、日本の家電はユーザーを研究することをあまり重視してこなかったことにも一因があるように感じます。ユーザーには今ない製品のことはわからないという理由で、ユーザーではなく、スペックや機能を追いかけていたのです。ライバルと差別化する機能を追いかけているというのが実態でしょう。そしてユーザーやユーザーが求めている体験がなにかを見失ってきたのではないでしょうか。
SONYのウォークマン25周年でだした「NWーHD1」は象徴的な失敗でした。当時の安藤社長が、「HDDウォークマンは半年、1年でiPodを追い抜く」と意気込んでおられたにもかかわらず惨敗したということがありました。スペックだけを並べたSONYの製品には、リュックを背負ったいかにもハード好きという若い男性しか集まらず、アルバムをみんな持ち歩けるという世界観を見せたiPodにはハードが苦手な若い女性も集まりました。そんな教訓も生かされず、スペックばかりを追いかけ続けているのです。スペックは違いも小さく、すぐにライバルが追いつき、どんどん商品のライフサイクルも短くなって、また差をつくろうと短期間で開発できるスペックの差別化に走るという悪循環を繰り返してきたわけです。
例外は、一眼レフカメラぐらいでしょうか。ボディよりも高額なレンズを揃えると、ブランドスイッチが起こりません。ボディとレンズの組み合わせを提供できるメーカーは限られているからです。
このiPad人気が、そんな消耗戦の開発からの脱却を促すのでしょうか。出版業界はあわてて電子書籍化を急ぐ動きがでてきたようですが、家電業界はどうでしょう。これほど敏感なユーザーがいる市場は、日本の家電にとっても財産のはずです。そしてそんなユーザーがなにを期待しているのかをiPadは引き出しています。そんな日本市場の強みをもっと生かして欲しいものです。
それでわかったことがあります。かつて、日本は、世界の市場のなかの先行市場でした。日本で受け入れられたものが数年後に、欧米で売れるという構図がありました。新しいもの、新しいことが好きだという人たち、それに素直に反応する消費者がいたからです。これほどいい市場はありません。しかし、このところ、米国で先行発売し、日本はそれを指を加えて待つという逆のパターンになってしまいました。しかし、iPad人気は、いまだに日本にはそんな消費者が健在だということを見せてくれました。
日本の家電で、これほどでなくとも、人びとをフィーバーさせるものはすっかり姿を消してしまいました。
なにが違うのでしょうか。日本の家電が得意なデザインでしょうか。高スペックでしょうか。iPhoneはデザインはシンプルそのものです。スペックは、知る人のみぞ知るで、どう操作すれば、どんなことができるかしかわかりません。
もっとも大きな違いは、日本の最近の情報家電には、コンセプトが感じられないのです。いやコンセプトと名付けたものはあるかもしれません。堅牢なボディ、顔認識、省電力、お財布ケータイ、大画面、高画質・・・スペックや機能や性能のオンパレードです。それがコンセプトになってしまっています。
なぜそうなったのか。ソフトを重視してこなかったということがあるかもしれませんが、知っている限り、日本の家電はユーザーを研究することをあまり重視してこなかったことにも一因があるように感じます。ユーザーには今ない製品のことはわからないという理由で、ユーザーではなく、スペックや機能を追いかけていたのです。ライバルと差別化する機能を追いかけているというのが実態でしょう。そしてユーザーやユーザーが求めている体験がなにかを見失ってきたのではないでしょうか。
SONYのウォークマン25周年でだした「NWーHD1」は象徴的な失敗でした。当時の安藤社長が、「HDDウォークマンは半年、1年でiPodを追い抜く」と意気込んでおられたにもかかわらず惨敗したということがありました。スペックだけを並べたSONYの製品には、リュックを背負ったいかにもハード好きという若い男性しか集まらず、アルバムをみんな持ち歩けるという世界観を見せたiPodにはハードが苦手な若い女性も集まりました。そんな教訓も生かされず、スペックばかりを追いかけ続けているのです。スペックは違いも小さく、すぐにライバルが追いつき、どんどん商品のライフサイクルも短くなって、また差をつくろうと短期間で開発できるスペックの差別化に走るという悪循環を繰り返してきたわけです。
例外は、一眼レフカメラぐらいでしょうか。ボディよりも高額なレンズを揃えると、ブランドスイッチが起こりません。ボディとレンズの組み合わせを提供できるメーカーは限られているからです。
このiPad人気が、そんな消耗戦の開発からの脱却を促すのでしょうか。出版業界はあわてて電子書籍化を急ぐ動きがでてきたようですが、家電業界はどうでしょう。これほど敏感なユーザーがいる市場は、日本の家電にとっても財産のはずです。そしてそんなユーザーがなにを期待しているのかをiPadは引き出しています。そんな日本市場の強みをもっと生かして欲しいものです。



