<環境関係の議連に多く加入>
私は様々な議員連盟に加盟している。数は少なくしているがそれでも3~40にはなっている。そうしたものの中に棚田振興議員連盟がある。嬉しいことにこの通常国会で棚田振興法が議員立法で通過している。超党派の棚田議連でまとめたものであり、全会一致で反対する人はいない。しかしながら、実際のところ棚田は急速に減っている。このほかに私は菜の花、有機農業、ラムサール、水力発電、バイオマス、再生可能エネルギー、食の安全、高レベル放射性廃棄物等の環境に関する議連に多く入っている。おわかりと思うが、いずれも業界団体とは無縁の、言ってみればエコロジスト(?)として私の趣味である。そして、私は「棚田学会」の会員でもある。
<議員連盟のメリット>
与党だけではなく野党でも励ます会を開く人たちは、こぞって諸々の業界につながる議員連盟に入っているが、私にはそういったものはほとんどない。業界団体が関連する議員連盟に入るのは、励ます会を開くときに2万円のパーティー券を少なくとも1枚買ってもらえることになるからだという。多くの国会議員は1年に一度、この励ます会を開催し政治活動の資金を得るが、私は、2冊の本を書いた2012年、そのお披露目に1回開催しただけである。私の議員活動は、政治資金パーティーに頼らず、4つの財源すなわち、議員報酬、文書交通通信費、政党助成金、同級生や支援者からのご寄付が全てであり、これに達したらそれ以上の活動はしない方針できている。従ってカレンダーもなし、後援会もバス旅行もなしですませている。
<ふるキャラの石塚の奔走により棚田学会設立>
棚田学会の仕掛け人は、田舎ミュージカル劇団「ふるさとキャラバン(ふるキャラ)」を率いていた石塚克彦である。このことは既に昔のブログ(束の間の棚田サミット(西伊豆.松崎町)出席でTPPを考える - 10.11.11)に書いているので繰り返さないが、残念ながら4年前に亡くなっている。石塚は全国各地を回っていたが、多分芸術家の感性だろう、中山間地域の過疎化により荒れ放題の棚田に胸を痛めたのである。石塚の熱意にほだされて奔走し、ふるキャラを事務局にした棚田学会が誕生した。それから20年が経過したのである。
1980年頃にできたふるキャラに拙書のフレーズがミュージカルの台詞に使われていた。後に羽田孜元首相が応援団長になり、今は、役人時代から団員だった古川康衆議院議員も、保利元会長の選挙区を引き継ぎ、棚田議連の事務局長をしている。つまり私や古川は筋金入りの棚田ファン(ふるキャラファン)といってよい。
私は、その延長線上で、国会議員になり棚田議連に加盟し保利耕助(前衆議院議員)会長の下、公明党の西議員とともに裏方で棚田議連を支えてきた。
<棚田学会創立20周年記念学会に集まった古きよき友人>
参院選挙の最中に、棚田学会ご一行が、「姨捨の田毎の月」で有名な千曲市の棚田の現地見学に訪れので、最盛期だったアンズを差し入れに駆けつけた。その時に、8月3日の創立20周年記念学会に是非出席してほしいと誘われ、いつもの悪い癖で安請け合いをしたため、長野市の夏祭りびんずる祭りの日だったが、久しぶりに出席した。
私はできれば午後の記念講演や事例報告も聞きたかったが参院選の疲れが残っており、とても暑い日で外へ出るとフラフラしたので休み、学会創設当時の古いお友達と会える事を楽しみに夕方の懇親会場(東大山上会館)に出かけていった。さすがにメンバーは相当変わっていたが、20年前の学会創設時の仲間たちに会えて久しぶりに歓談できた。
今回のテーマは文化的価値というものである。棚田は何よりも食料生産のためだったけれども、1990年代から水源涵養や国土保全の機能とともに文化的な価値を見出すようにになった。1999年に「姨捨の田毎の月」は名勝に指定され、同年、農林水産省は「日本の棚田百選」を認定した。その後2001年に「白米の千枚田」も名勝指定を受け、更に2004年から「文化的景観」として文化財保護の対象になっている。現在では世界農業遺産などを含め、文化財としての棚田の指定・認定が広く行われている。