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土地に縛られる人々に自由を。世界を席巻する農業版「カーナビアプリ」が目指す未来

トラクターでまっすぐ走りたい。
世界中の農家が抱くこの望みを、スマホのアプリで解決した人がいる。

濱田安之さん。
トラクターなどの農機の直進運転をサポートする農業版のカーナビアプリ、AgriBus-NAVI(アグリバス・ナビ)を1人で開発した。ダウンロード数はいま、15万超。世界各地の田畑で、このアプリが農機を先導している。

農作業の自動化をも見据えるうち、 濱田さんはこう考えるようになったという。「土地から逃げられない職業」だった農業から、人の身体が解放される日が来るのではないかと。

直進の差が収入の差

田畑をトラクターやコンバインでまっすぐ、等間隔で往復する。簡単そうに見えますが、ベテランでない限り至難の技なんです。まっすぐ走っているつもりでもいつの間にかズレてしまう。後から見ると大きく蛇行していた、なんてことがよくあります。

でも、これが収入の差に直結するんですね。蛇行する分、農薬や肥料をまく箇所が重複してムダになるし、農薬の散布にムラがでて虫害が発生し、収穫量が著しく減ってしまう恐れもあります。

だから、多くの農家はずっと「田畑で農機をまっすぐ、等間隔に走らせたい」と願ってきました。

濱田さんが開発したアグリバス・ナビ(写真中央)

こうした要望に応えようと、濱田さんが在籍していた「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構」(農研機構)が、1998年頃から民間企業と5年間の研究開発プロジェクトを始めた。プロジェクトの終わりかけに加わった濱田さんは、試作品の使い勝手の悪さに愕然とした。

使う前にこまごまとした準備が必要で、使い方もわかりにくいものでした。作業したいときにすぐ使えなければ意味がない。上司に「最初から作り直したい」と提案すると、「時間をかけて作ってきたし、開発の仕様には合っている。修正点を書き出して共同開発先に修正してもらえばいい」と取り合ってくれませんでした。

自分がゼロから作った方がいいものができると確信していたし、現状のまま世に出すのはどうしても納得がいかなかった。だから、上司に内緒で1人で作りました。3カ月後、プロトタイプを上司に見せたら「うーん、まあしょうがないな」と。それがアグリバス・ナビの前身にあたる「農用車両作業ナビゲータ」です。

試用の評判も上々。だが、1台も売れなかった。1年後、販売会社から「海外の製品には勝てません」と三行半を突きつけられた。

「ソフトウエアを改善していけばもっといいものになる。価格は多少高くなってもそのよさを認めてもらえるはずだ」と思い、プロジェクトの終了後も改良を続けました。でも上司や先輩、同僚たちから「いつまでこんな売れない製品の開発をしてるんだ。次の研究開発をやれ。それが研究者の仕事だろう」と散々なじられました。

でも僕は、心血を注いだ開発の成果を農業の現場で役立てて、喜んでもらいたかった。また、開発を進めるほど、この技術の進化の先に農業の未来があることがはっきり見えました。これからは農作業の自動化や農作業のデータが、収穫量や収益、需給に大きな影響を与え、農業の中核になっていくだろうと。

だから、開発をやめてしまったら研究所にとっても自分にとっても、大きな損失になると思いました。でも一方で研究者という身分のままだと販売が他人頼みになってしまう。どうしても届けたいのなら、起業してリスクを背負ってでも届けるしかない、と覚悟したのです。

「リターンを得なければ自分に対して失礼」

2014年4月、「農業情報設計社」を設立した。社員は濱田さん1人、資金も退職金から捻出した数百万円。不安や葛藤はなかったのだろうか。

もちろんありましたよ。当時妻や幼い子ども3人がいましたからね。辞めるというと、家族やまわりの人たちからおかしいんじゃないかと散々いわれたし、僕自身も客観的に見ればおかしいと思いました。でもこれまで膨大なお金と時間と情熱を投資してきた。回収してリターンを得ないと自分に対して失礼だと思ったんです。ただ、起業がこんなに大変だとは想像もしていなかったですが。

起業から10カ月後の2015年2月にアグリバス・ナビをリリース。しかしその後も試行錯誤は続いた。

まっすぐ走ることをサポートするアプリをまず配信しました。すると、一番初めにダウンロードしてくれた一人で、スロバキアで農業を始めたばかりの若者からクレームが来ました。

「アプリを起動しても画面がまったく動かない」

原因が見つからないまま数週間ほどたったある日、思い出したんです。国によって、小数点を表す記号が“.(ピリオド)”だったり“,(カンマ)”だったりする。欧州では小数点は「カンマ」の国が大半でした。そこを修正すると動くようになりました。ほかにもアップデートの不具合で、世界中でアプリが立ち上がらなくなって真っ青になったこともありました。

右往左往しながらもアプリのダウンロード数は伸び、2018年12月には10万を超えました。この春(2019年)広告を出し始めたら一気に15万ダウンロードを突破。今も伸びています。

広い農場でもアグリバス・ナビを使用すれば農業機械をまっすぐ、等間隔に走らせることができる=濱田さん提供

農業の完全自動化がもたらすもの

濱田さんは、アグリバス・ナビを足がかりに2億円の資金を調達。それを元手に機能を改善したり、新しい高精度・低価格の農業用GPSカーナビシステムを開発した。いまは農業機械用の自動走行システムを開発している。

いま開発中の自動走行システムキットはメーカー、大小、新旧問わず、あらゆる農業機械に後付けでき、田植えや肥料や薬剤の散布などさまざまな作業に対応していく予定です。

その先にあるのが、農作業の完全自動化です。

開発中の技術が進めば、その日やりたい農作業をあらかじめ入力しておくことで、どこからともなく自動走行の農機がやってきて農作業を終えたら帰っていく、ということが可能になります。グリム童話に、靴屋の職人が寝ている間に小人が作業してくれて起きたら靴ができていたという話がありますが、まさにその世界です。

トラクターなどの農機を運転することは農作業であって農業ではありません。農機はあくまで農業のための道具にすぎない。

僕らのやろうとしている一番の本質は「農業者が農業そのものに集中できること」にあります。完全自動化が実現すれば「誰にどんな農作物を届けて喜んでもらい、収益を上げるのか」という農業の本質としがらみなしに向き合える。そこから改めて農業を好きになってもらえればと思っています。

「土地から逃げられない職業」から解放する

日本の高度経済成長期を支えたおおもとは、トラクター、コンバイン、田植え機の3つといわれています。

少ない人手で農業ができるようになった結果、農家の次男、三男たちが“金の卵”として都市部に移り住み、高度経済成長を支えた。一方で跡継ぎは村に残りました。自ら望んで残った人もいるでしょうが、中には「必ずしも農業をやりたくてやってるわけじゃない」という人もいると聞きます。

こうした生き方は、農地や農作業に身体が縛りつけられた状態ともいえます。

僕はこれまで「農業は、土地から逃げられない職業だ」と考えていました。ですが、農作業の自動化で農地から身体が自由になり、いろいろな制限から解放されるだろう、と考えるようになりました。開発する意義も、そこにあると思います。

先頭を走りながら、考え、言葉を発し続ける

僕らが研究開発している技術は、人生や社会を変えるほどの大きなポテンシャルを持っています。それは必ずしもよいことだけではなく、使い方次第では悪い方向にも変わりうる。

テクノロジーの進化に背を向けて現状にとどまる、という選択肢もあるでしょう。でも、人間が想像できるものはいつか実現していく。そのときに後ろからいくら叫んでも、その叫びは届かないし、方向は変えられない。自分たちが「功」だけでなく「罪」をも背負う覚悟を決めて全力で疾走して先頭に立ち、より正しいと思う方向、みんなが幸せになる方向はこっちだと指し示し、叫ぶしかない。

未来は変わり続けるし、絶対に正しいという答えは出ないけれど、ずっとこの先も全身全霊で走りながら悩みつつ、考えつつ、その時点でベストだと思うことを選んで実行していくしかないと考えています。

濵田安之(はまだ・やすゆき):1970年北海道生まれ。北海道大学農学部卒業後、生物系特定産業技術研究推進機構に入社。農業機械の検査鑑定や評価試験、研究開発に従事した後、農林水産省へ出向。

2年間農業政策策定の基本業務に携わった後、農業・食品産業技術総合研究機構に戻り、農業機械の自動化技術等の研究開発に従事。2014年4月に農業情報設計社を設立、トラクター運転支援アプリ「アグリバス・ナビ」を開発。現在は農業自動化システムの研究開発に取り組んでいる。

取材・文・写真:山下久猛 編集:錦光山雅子

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