- 2019年08月10日 14:06
やるべきことをやれば日本はまだ、ものづくりで戦える。コマツの取組みは日本の縮図 - 第96回坂根正弘氏(中編)
1/2国内建設機械メーカー最大手のコマツは、世界市場でも米国キャタピラー社と勢力を二分する業界内の“巨人”である。現在、東京都港区赤坂の一等地に本社ビルを構えるものの、1921(大正10年)の創業当時は、石川県小松市の小さな地方工場に過ぎなかった。再来年に創業100周年を迎えるコマツの歴史は、そのままわが国の産業とものづくりの歴史でもある。かつてコマツのCEO(最高経営責任者)を務めた坂根氏は、地方創生や東京一極集中の是非が論ぜられる今の時代をどのようにとらえているのだろうか。
取材・文/盛田栄一 撮影/公家勇人
生産コストを変動費から算出すれば、国内工場に高い競争力があるのは明らか
みんなの介護 坂根さんはいくつかのインタビューで、「コマツはある時期まで、日本の縮図のような存在だった」と発言されています。これはどういう意味なのでしょうか?
坂根 一言で言えば、コマツの歴史は典型的な日本企業の歴史であった、ということです。
コマツは1921年に現在の石川県小松市で創業しましたが、戦後間もない1950年代に本社を東京に移転。その後、1960年代以降に海外輸出の比重が高まるにつれて、輸出に便利なように、神戸港に近い大阪府枚方市と横浜港に近い神奈川県川崎市に工場を新設。
当時、多くの企業が東京をはじめとする太平洋ベルト地帯への移転を進めていましたが、コマツはその先陣を切る形で太平洋側に生産拠点を移しました。
1980年代以降に円高が加速すると、国内工場の規模を縮小し、主要な生産拠点を欧米や中国など海外に移しました。それ以降2007年まで、コマツは国内に一切新工場を建設していません。
こうしてコマツは、高度成長期に日本海側から太平洋側に重点を移し、円高時代に国内から海外へと積極的に進出していきます。こうした動きは、多くの日本企業において、とりわけ製造業を営む日本企業において、典型的とも言える行動パターンだったと思います。
みんなの介護 そんな典型的な行動パターンから抜け出すことが、坂根さんの提唱する、コマツの“ダントツ経営”だったわけですね。
坂根 まさにその通りです。「日本は生産コストが割高なため、国内の製造業は競争力の点で海外に負けてしまう」。今でも多くの人が、そのように信じているみたいですね。でも、それは誤りです。
少し難しい話になるので簡潔に説明しましょう。
企業内で発生するコストには、大きく分けて2つあります。生産、売上に関係なく発生する「固定費」と、生産、売上の増減によって変化する「変動費」です。
日本の場合、製造コストの計算には多くのケースで変動費だけでなく、工場の固定費を含めていますが、アメリカの場合は「変動費」にしか注目しません。なぜなら、アメリカではレイオフ(不況時に従業員を一時的に解雇する制度)が認められていて、変動費は調整可能と考えているからです。
私が社長に就任したとき、変動費ベースで世界各所のコマツの工場の生産コストを比較してみました。すると、実は日本国内の工場のほうがアメリカよりコストが3割も低いことがわかりました。中国の工場と比べても当時は日本国内のほうが1割も低かった。(※編集部注:2019年7月現在では中国の方が安くなっている)
つまり、国内工場の競争力は、海外に比べてもまだ十分に高かったのです。もちろん、これはその時の為替レベルにもよりますが。
また、建設機械は中量生産品で、エンジンやトランスミッションのような重要なコンポーネントは世界一極生産されています。米国で生産したとしても中国で生産したとしても、日本からの輸出品を使っているのです。中国メーカーもこういったものは輸入品に頼っており、比較障害はあまりなかったのです。
無駄な固定費を削減すれば、日本の工場はこれからも世界と対等に戦える
みんなの介護 今のお話を伺うまで、日本の製造業に未来はないかのように思っていました。
坂根 いえいえ、日本の製造業はまだまだ競争力をもっています。ただし、私が社長に就任した当時、コマツの利益率は海外の競合他社に比べて慢性的に低かったですね。その要因は、固定費があまりに肥大化していたから。
コマツでも、日本の高度成長期が終わる1970年代以降、雇用を守ろうとするあまり、余剰人員の受け皿として業務を子会社化したり、事業を次々に多角化していきましたが、そこが結果的に不採算部門になってしまっていました。また経理システムのような、どの会社にもある業務まで自前で開発しようと悪戦苦闘し、そこでも大きな無駄な経費を発生させていました。
そんな無駄な固定費が積もり積もって、私が社長に就任した年、コマツは創業以来初の営業赤字に転落していました。多くの日本の伝統的大企業は同じような問題を抱えてきていると思います。
みんなの介護 そこで坂根さんが断行したのが、伝説の“ダントツ経営”だったんですね。
坂根 まず「一度限りの大手術」です。「雇用に手をつけるのは今回一度だけ」と約束した上で、当時2万人いたコマツの国内全従業員から、一人の例外もなく、希望退職者を募りました。その結果、1,100人の方々が希望退職され、1,700人が子会社に転籍しました。
また、当時多角化しすぎていた各種事業や商品のうち、世界1位か2位になる見込みのあるもののみを残し、あとはすべてやめることにしました。300社あった子会社も統廃合を進め、約2年で110社減らしました。
みんなの介護 そうやって思い切った構造改革を断行したからこそ、その翌年から黒字決算へとV字回復できたんですね。
坂根 無駄な固定費さえ削減できれば、日本の工場はまだまだ世界と互角に戦える。そう確信できたからこそ、2005年頃から生産拠点の国内投資を復活させました。ここ5年間に限って言えば、新工場は国内にしか建設していません。
円高が加速した1980年代以降、日本のものづくりの現場はすっかり自信を喪失してしまいましたが、問題の本質をしっかり把握し、やるべきことをやれば、日本はまだまだ国内工場で勝負できる。コマツを先行事例に、多くのメーカーの間で国内投資の動きが広がっていけばと期待しています。



