- 2019年08月07日 19:31
思い出の詰まった家で最後までー。叶えられなかった叔母の願いが地域の福祉拠点誕生につながった - 第95回坂東眞理子氏(中編)
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他人だと素直に申し訳ないという気持ちを表せる
みんなの介護 坂東さんは「これからの日本は、もはや老人とは呼べない元気で能力のある高齢者が社会を支えるモデル社会にするべき」と提唱されていますね。
坂東 このまま国任せにしていると、日本の介護保険のシステムは遠からず機能不全に陥ってしまうでしょう。元気な高齢者が弱った高齢者をサポートするという考え方はシステムの補完にもつながり、現役引退後の社会貢献は新たな生きがいにもなります。
たとえば、元気な70代が80代、90代の高齢者に代わって煩雑な税金の申告や年金の申請、介護認定の申請などを代行するコンシアージェ(客のあらゆる要望に対応する総合案内係のこと)のようなサービスを提供する。事務仕事は苦手だという方でも買い物や家事など、手助けできることはいくらでもあります。
生活に余裕のある方ならボランティアとして、年金だけでは生活が苦しいという方であれば仕事として起業してもいい。私自身、これから先の人生、体が動くうちは自分のことは自分でやり、社会のためにも何かをやり続けてゆくつもりです。そして刀折れ矢尽きたときには、家族には甘えず、施設や介護のプロフェッショナルの方たちのお世話になろうと考えています。
みんなの介護 なぜ、家族には甘えたくないのですか?家族だからこそ信頼してすべてを任せられると考える人も多くいます。
坂東 老いたら子や孫が世話をしてくれるというのは昭和の幻想です。子や孫は自分のことでいっぱいいっぱいです。それに、私は叔母の一件があって介護施設や介護のプロの仕事は信頼できると確信しました。
もっと言えば、自分もそうなのですが、知らない人、親しくない人、たまに会う人に対しては失礼がないように気遣いができるのに、相手が家族だと遠慮をなくして感情を露わにしてしまう。しかも、感謝の言葉も口にしない。家族だから当然だろうと甘えているからです。
まして自分の頭や体をうまくコントロールできない状態になってしまった場合、あれもしてくれない、これもしてくれないと家族に対し不満を募らせてしまうのは目に見えている。でも、これが他人だと割合素直に申し訳ないなという気持ちを表せますし、ぎりぎりのところで踏み止まれる。たとえ表面的であっても、私はそれがとても大事なことだと思っています。
生活の世話は施設に任せていても精神的なつながりは決して絶やさない
坂東 家族への甘えといえば、30代で留学した頃、「自分は家の鍵を最期まで持ち続ける。子どもたちには世話をかけない」と胸を張る70代のアメリカ人を見て、この国では高齢者も自立しているのだと感銘を受けたことがありました。
それから50代になってオーストラリアのブリスベンに総領事として赴任したときにも、印象的な出会いがありました。現地で知り合った同世代の人たちが、施設で暮らす親たちを毎日のように訪ねていたのです。生活の世話は施設に任せていても精神的なつながりは決して絶やさない。とても印象的な光景でした。
さらには、今話した人たちはボランティアとして自分の親以外の高齢者たちの世話もしている。それを見てなるほどと思ったんです。
みんなの介護 とおっしゃいますと?
坂東 ボランティアの世話を受けていた高齢者は、極めて自然に「ありがとう」が言えていたんです。
みんなの介護 なるほど。そう言われるとボランティア側も、自分の親が他人のお世話になっているのだと実感できる。施設やそこで働くスタッフへの感謝や尊敬の念が連鎖的に生まれるわけですね。
坂東 そうだと思います。そういう美しい介護のあり方も存在するんです。



