タイトル通り!!!!!
右も左も「表現の自由」を、自分の好きなものや主張を保護するためだけに使うのをやめよう!!!他人の好きなものや主張を同じように大事にするんだ。それが自分の嫌いなものや理解できないものでも。
自分の好きなものや主張は、絶対に他の誰かの嫌いなものだから。そして、嫌いなものを「これはヘイトスピーチ」とか「税金を使用するものではない」とか「セクハラ」とか「傷ついている人もいるんですよ!」とか「表でやるものではない」とか、ガタガタガタガタ・・・なんかそれっぽい理屈をつけて排除するのをやめろ。
絶対の正義なんて世の中に存在しないんだから、セーフアウトの線引きなんてどこにもない。だから、どんなものも線を引かずに「表現の自由」としてみんなで尊重しよう。
そして他人の好きなもの、自分の嫌いなものも、ぐっとこらえて「わからないけど認める」という訓練をしよう!!!
それが多様性を担保し、豊かな社会を作る基になる。自由な国の基になる。
もちろん、内心は無限に担保されている精神の自由も、表現の自由として社会に出たら誰かと必ずや衝突する。その時に、人から批判されるのは当然だ。批判するのも表現の自由だからだ。それはそれでいい。当たり前だ。
だから、ここで表現の自由を守るために、表現とその批判のルールを提唱したい。
「刑法は守ろう」
「人数を頼るのをやめよう」
「役所を巻き込んで批判するのやめよう」
ルール決めたうえで殴り合おうじゃないか。
僕は、ナチスの真似しても、総理をブルドーザーで轢いても、悪魔の詩を出版しても、税金で反政府展覧会やっても、ちょっと赤らんだ顔のアニメポスター作っても、テニプリの同人誌作っても、メイド型アンドロイドが掃除してる表紙描いても、下品な週刊誌が「ヤレる女子大生ランキング」作っても、はたらくくるま図鑑に自衛隊車両入れても、・・・・
身の危険を感じず、役所からもあれこれ言われない、共産党下部組織も押しかけてこない。そんな社会の方がきっと面白いと思う。
記事
- 2019年08月06日 07:44