- 2019年08月02日 17:44
【読書感想】本当の翻訳の話をしよう
2/2柴田:有名なバージョンでは、太字にしたところが「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」となっています。
村上:そもそもハード(hard)とタフ(tough)は違いますよね。
柴田:はい、違います。hardは「無情」「非情」という完全に否定的な意味ですが、日本語の「タフ」はそうでない。だから、もしhardを「タフ」と訳すと、彼女の最初の問いが成り立たなくなる。hardな人間がgentle(優しい)という逆説に彼女は驚いているわけだから、タフ=強い人間が優しくなるというのは全然逆説ではない。
村上:あと、ここに二回出てくるaliveという言葉が大事だと思うんです。「生きていけない」のところは原文では I wouldn't be aliveですが、これは「生き続けてはいけない」という意味ですよね。
柴田:ええ、ロサンゼルスの厳しい裏世界で今ごろ生きちゃいないだろう、ということですね。
村上:そういう意味では「タフでなければ生きていけない」というのはかなりの意訳なんですが、響きとしてはいいんですよ。
柴田:かっこいいですよね。
村上:読む方としては気持ちいいんだけれど、翻訳としてはちょっとまずい。翻訳者としては難しいところです。僕はhardを「厳しい心を持つ」というふうに置き換えている。ずいぶん迷って何度も書き直し、ゲラの段階でも何度も書き直して、やっとこの訳に落ち着いたんだけど。
柴田:たぶん「無情」ではネガティブすぎると思われたのでは。
村上:というか言葉の響きがあまり好きじゃない。
柴田:この文脈をいったん離れて考えると、人をhardだ、というのはすごく否定的です。たとえば”You are a hard man, Mr.Murakami"と言ったら「村上さん、あなたは血も涙もない人だ」みたいな意味だから、ここでもhardはかなり否定的に訳す方が妥当です。それで僕は「無情でなければ」と否定的な感じを強調して訳したんですが、さすがにこれでは読者がマーロウを好きにならないだろうなという自覚はあります(笑)。
村上:そうですね(笑)。
個人的には、「翻訳としてはちょっとまずい」としても、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」のカッコよさを支持したいのです。もうすっかり耳になじんでいる、というのもありますし。
このやりとりを読んでいると、正確に翻訳しようとすればするほど、昔の「名訳」は消えていくのかもしれませんね。
二人がこの文節をどう訳したかに興味を持たれた方は、ぜひこの本を手にとってみてください。
翻訳小説も敬遠せずにもう少し積極的に読んでみようかな、と思える一冊でした。
興味はあるけれど、何から読めばいいのか……と踏み出せない人にも有益なブックガイドになるはずです。

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