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頑なに拒み続ける検察、えん罪を防ぐはずの制度が真実の追究を遠ざける…40年目を迎えた大崎事件で浮き彫りになる”再審格差”

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「私は全然、事件には関係していません」

 鹿児島県大崎町にある、深さ1メートルほどの側溝。ここに当時42歳の男性が自転車ごと転落した。男性は3日後、ここから700メートルほど離れた自宅に隣接する牛小屋の堆肥置き場から遺体となって見つかった。1979年、のどかな田園風景が広がる地域で起きたこの出来事が全ての始まりだった。



 殺人・死体遺棄事件として捜査した警察が主犯の疑いで逮捕したが、男性の義理の姉に当たる原口アヤ子さん(当時52)だった。男性は酒癖が悪く、その日も泥酔していたことから、恨みを募らせての犯行だとされた。同じ敷地に住む当時の夫、義理の弟、おいも逮捕された。

 翌1980年には鹿児島地裁が原口さんに有罪判決、さらに1981年には最高裁が上告を棄却、懲役10年の刑が確定した。



 確定判決が認定した事実はこうだ。泥酔して自宅の土間に座り込んでいる男性の元を当時の夫、義理の弟、そして原口さんが訪れ、殴るなどした後、土間から6畳間に移動させる。ここで男性の体を押さえつけ、凶器とされたタオルで絞殺、さらに死体を遺棄するためにおいを連れてきて、隣の牛小屋へ移動。ここで原口さんが堆肥置き場に深く穴を掘るよう指示、そこに死体を遺棄したというものだ。



 しかし、原口さんが刑務所から家族や弁護士に送った手紙には「全然身に覚えのないことです」「父の死に目にも会えないで」と綴られている。

 「最初の取り調べの段階から、一審から最高裁まで終わるまで無実を訴えてきました。私は全然、事件には関係していません」。服役後の1995年、原口さんは「男性の死因は転落事故によるものだった」として裁判のやり直しを求める(1回目の再審請求)。



鹿児島地裁は再審開始を認めたものの、決定は福岡高裁宮崎支部に取り消され、さらに最高裁にも認められなかった。



 服役中に母親も亡くなり、夫とも離婚。しかし、辛い思いをさせた子どもたちのためにもと、原口さんは署名を集めるなどして無実を訴え続けた。しかし街頭では冷たい視線に晒され、つばを吐きかけられたこともあったという。



「大崎事件」と呼ばれるこの事件は、凶器とされるタオルが特定されていないなど客観的な証拠がほとんどなく、有罪の決め手となったのは、共犯とされる3人の自白だった。しかし3人には知的障害があり、自白を誘導された可能性も指摘されていた。3人はすでに亡くなっているが、そのうちの1人、原口さんのおいが服役後に弁護士らに語った証言テープが残されている。



 「警察に色々言われた?」「はい」「どういうふうに言われた?」「やったろうが、と言われたです」「やってないと言ったでしょう?」「はい、一番最初はやっていないと言った」「あなた自身はしてないでしょう」「はい、やっていないんですよ、自分は」「あなたはどこにいたんですか。そう言われている時間は。家にずっといたの?」「お父さんとけんかをして、ずっと家にいた。家から一歩も出なかったです、その晩は」



 再会を果たせなかった母が「アヤ子と暮らす」と言って建てた家に一人で暮らし、ときおり訪れる支援者らの励ましを受けながら、原口さんは2010年8月、2回目の再審請求を行う。

 "自白の信用性は高くない"。そう考えた弁護団は、裏付けとなる証拠を集めようと、裁判に提出されていなかった供述調書や捜査報告書を開示するよう検察に求めた。この頃、再審開始の決定が出された布川事件や東電OL殺人事件など、新たな証拠が明らかになり再審で無罪となるケースが相次いでいた。



 しかし検察は「第1次再審請求審で開示した以上の証拠は無い見込み」、警察も「保管していない。過去にあったとしても検察庁に送っている」と回答した。

 そこで弁護団は、検察に対し開示を働きかけるよう鹿児島地裁に求めた。通常の刑事裁判では、検察は捜査で集められた証拠のうち、有罪につながるものだけを裁判所に提出する。一方、提出されていない証拠の中には、再審請求をしている本人にとっては有利な、無罪につながる証拠が埋もれている可能性がある。



 ところが鹿児島地裁は再三の求めにも関わらず、「(証拠開示の)必要性も相当性もない」「(検察・警察の回答に)疑わしい点は特に見当たらない」として、検察に対する開示勧告を行うことはなかった。

「ない」とされた証拠資料が続々と…



 「これだけ出てきました」「新たに鹿児島県警にありましたと言っているわけで、これはもう今までのことがすべて嘘だったということがわかったわけです」。

 大崎事件弁護団事務局長の鴨志田祐美弁護士が示した分厚い書類の束。鹿児島地裁とは対照的に、即時抗告審の福岡高裁宮崎支部が証拠開示に積極的だったことから、「ない」とされた証拠が、あろうことか次々と出てきたのだ。事件発生から34年が経って五月雨式に開示された証拠は合わせて213点。警察のメモなどから、共犯とされた3人が捜査の初期段階で確定判決とは異なる供述をしていたこともわかった。

 しかし、2回目の再審開始も認められることはなかったため、2015年7月、原口さんは3回目の請求を行う。その過程では、検察が裁判所に促され、捜査の状況などを撮影したネガフィルム18本を新たに開示した。それが保管されていた場所は、真っ先に探すはずの、警察署の写真棚だったという。「収集した未開示の証拠はすべて開示した。未開示の書類はない」「新たに鹿児島県警に現存していることが判明したすべての証拠を開示した」とする検察の説明も、事実とは異なっていたことが判明したのだ。

 そして、開示された写真から浮かび上がってきたのが、関係者らの不自然な供述だ。



 男性が側溝に転落した日の夜、近所の男性2人が軽トラックで自宅に送り届けたが、その際に助手席に乗っていた男性は軽トラックのフロント部分が「家に向いていた」と供述していた。一方、運転していた男性の証言に基づいて再現された写真では、トラックは家とは反対の方向を向いていた。つまり、男性2人の証言が大きく食い違っているのだ。

 原口さんの義理の弟・二郎の妻ハナが犯行前に目撃したことも写真で再現されていた。それまで裁判所は、ハナの供述が信頼できることから、3人の供述も信頼できるとしていた。これらの写真では、犯行があったとされる日の夜、義理の弟・二郎一家の自宅を原口さんが訪問。用を足すために外に出た二郎の後を追うように原口さんが出ていき、1分も経たないうちに、ハナも用を足すと外に出たという。

 ところが、この時のことについて、二郎の説明は二転三転していた。結局、最後は「アヤ子が外に出るように合図するよう、目くばせしたので私も外に出た」と供述。つまり、先に原口さんが外に出たことになっているため、ハナと二郎の順番が食い違っているのだ。

 写真には、ハナが見聞きしたことの再現が続いていた。ハナが外に出ると、原口さんと二郎が殺人の計画について話しているところに遭遇。それを2~3メートルしか離れていない場所で立って聞いていたというのだ。



 さらに遺体が見つかった堆肥を映した写真も残っており、多くの捜査員を動員し、かきだした堆肥をしらみつぶしに調べている様子が浮かび上がってきた。ずさんな捜査などではなく、むしろ大掛かりに行われていたことが伺える。「供述のおかしさが調書では見えなくても、写真にするとはっきりわかる」「逆に言うと、それだけ捜査したのに、客観証拠と呼べるものが何一つ、確定審段階では出されていない。それが何を意味するか。要は原口さんをはじめとする、確定判決で有罪とされた者は、やはり犯行に関与していないということではないか」(鴨志田弁護士)。

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