- 2019年07月30日 18:38
「フィンランド独立」の歴史とともに歩んだ「7人の女性芸術家」 - フォーサイト編集部
2/2パイオニアとして活躍する姿
女性でも奨学金や留学のチャンスを掴み、男性を伴うことなく外国を行き来できたことは、画家同士の結びつきを強くしたようだ。ヴィークとシャルフベックは同じアトリエで一緒に制作していた時期もあったし、自分たちのことを「姉妹」と呼び合いながら、共にキャリアを形成していった。
「今回紹介している7人の芸術家のなかには、自分が学んだ素描学校で教鞭を取って後進を育てたり、美術評論家としてフィンランド美術史に足跡を残した人がいます。ヴィークとシャルフベックは人望が厚く、尊敬された教師だったと言われていて、シーグリッド・ショーマン(1877~1979)やヒルダ・フルディーン(1877~1958)はシャルフベックに師事しています。またエレン・テスレフ(1869~1954)、ショーマン、エルガ・セーセマン(1922~2007)はそれぞれの個性で芸術表現を追求しつつも、3人には豊かな色彩と、パレットナイフを使用して大胆な筆致自体を見せていくという共通の特徴があります。ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)から影響を受けたテスレフは自身の作品に彼の作風を取り入れ、テスレフの妹分でもあったショーマンは、彼女と共同制作をするうちに、その新たな表現を学んでいます。
彼女たちは芸術家を目指す女性たちに、パイオニアとして活躍している姿を見せることでも、女性であれ1人の芸術家としてどのように振る舞っていけばいいかを伝えていきました。この時代、フィンランド芸術協会が男女分け隔てなく才能がある芸術家を教師として起用したことは、後にフィンランドにおける女性の社会進出につながっていったのではと思います」
参政権は早かったものの……
とはいえ、早い時期から女性の美術教師や批評家が存在していたものの、女性はフィンランド芸術協会の理事会のメンバーや賞の選考委員に選ばれることはなかった。女性の参政権は、ヨーロッパのなかではいち早く1906年に認められ、翌年には最初の国会議員が選出されたが、芸術協会においては、女性が副理事に就任するのは1956年まで待たなければならなかったという。
さらに、1905年に初めて女性作家のグループ展が開催されるも、フィンランドの公的な芸術政策は、女性に花や静物など「女性らしい」モティーフを求めていたため、彼女たちのより表現に富んだ作品を認めることはなかった。当時の批評は作品そのものではなく、彼女らの容姿や配偶者を語ったものさえあった。こうした風潮に反発してか、美術批評家としても活躍したショーマンは、「美術批評家は第一に、他の芸術家が何を美しいと考え、彼らの美の経験によって何を強調したいのかを理解せねばならない」と述べ、従来の偏見に満ちた批評家らとは一線を画して、作品そのものを純粋に批評しようとする姿勢を見せている。
こんな時代だったからこそ、ヴィークやシャルフベック、テスレフといった画家の活躍の裏では、実は他の多くの女性芸術家たちは職業としての不安定さや偏見に挫折し、表舞台に立つことすらなかったのだ。ましてや、公教育さえ行われていなかった時代に彫刻の道を志し、オーギュスト・ロダン(1840~1917)の下で学んだ彫刻家のシーグリッド・アフ・フォルセルス(1860~1935)の苦労は並々ならぬものがあったに違いない。
今回の展覧会で取り上げる7人の女性芸術家は、強固な意志で自身の表現を模索し続けたが、その人生は立ち上がったばかりの国同様に、激しく揺れ動いていた。激動の時代を歩んだ彼女たちの作品から、私たちは何を受け取ることができるだろうか。
日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念
会期:9月23日(月・祝)まで
会場:国立西洋美術館新館展示室
休館日:月曜日
※ただし、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・祝)は開館
開館時間:9:30~17:30
※毎週金・土曜日は21:00まで ※入館は閉館の30分前まで



