- 2019年07月30日 18:38
「フィンランド独立」の歴史とともに歩んだ「7人の女性芸術家」 - フォーサイト編集部
1/2「もっとも内的な情熱を描こうとすると、女性であるがゆえにそれができずに恥ずかしい思いをするのです」
フィンランドの国民的画家の1人、ヘレン・シャルフベック(1862~1946)は友人に宛てた手紙の中で、女性芸術家としての苦悩をこう吐露していたという。
現在、国立西洋美術館新館展示室では、19世紀後半~20世紀初頭、フィンランド美術の一時代に活躍した7人の女性芸術家たち(※)の作品を紹介する展覧会「モダン・ウーマン――フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」が開催されている(9月23日まで)。歴史の大きなうねりのなかで、彼女たちはどう道を切り拓き、女性芸術家としての地位を確立したのだろうか――。
※マリア・ヴィーク、ヘレン・シャルフベック、エレン・テスレフ、シーグリッド・ショーマン、エルガ・セーセマン、シーグリッド・アフ・フォルセルス、ヒルダ・フルディーン
求められた「ナショナル・イメージ」
フィンランドがロシア帝国から独立したのは、1917年。彼女たちが活躍した時代は政治的、社会的に変革を迎え、時の機運は、当然のことながら芸術にも、そして社会における女性の立場や役割にも大きな影響を及ぼした。
現在でもフィンランドは男女格差がほとんどない国として知られているが、1846年に設立されたフィンランド芸術協会がつくった素描学校も当時のヨーロッパには珍しく、男女ともほぼ同様に基礎的な美術教育を受けることができた。しかし、それは、自治権を制限し始めたロシア帝国や、それ以前にフィンランドを支配下に置いていたスウェーデンとも異なる「ナショナル・アイデンティティ」を確立するため、政府が文化や芸術に力を注いだからだ。そのため、美術に限らず、音楽や文学に至るまで愛国主義的な傾向が一層強まり、素描学校の学生にも自国の風景や歴史画などの「ナショナル・イメージ」を描くことが望まれたという。男女問わず奨学金を出して他国、特にパリへの留学を積極的に支援したのも、フィンランド美術が国際的に認められることを期待してのことだった。
こうした社会のなかで、1873年、非凡な才能を持つ少女がわずか11歳にしてこの素描学校に入学する。それが、冒頭に紹介したヘレン・シャルフベックだ。日本でも4年前に回顧展が開催されたばかりなので、ご存じの方もいるかもしれない。彼女は素描学校を卒業後、奨学金を得て1880年代初頭、9歳年上で親友のマリア・ヴィーク(1853~1928)らとパリのアカデミー・コラロッシに留学している。
モダンで国際的な作風
「シャルフベックは国際的にも非常に人気が高まり、再評価されています。彼女の書簡なども翻訳され、このころの女性芸術家や社会、美術界の動向を知る貴重な資料となっています。
そして、ナショナリズムに湧く当時のフィンランドにあって、シャルフベックをはじめとした女性画家たちはその空気に染まることなく、“女性”としてのアイデンティティを模索していました」
と、久保田有寿(あず)国立西洋美術館 特定研究員は解説する。
「独立運動が激しくなっていく19世紀末から、とりわけ男性芸術家の多くはナショナリズムに傾倒していきました。フィンランドでもっとも有名な画家の1人、アクセリ・ガッレン=カッレラ(1865~1931)は民族叙事詩『カレワラ』を絵画化しました。ロシアやスウェーデンとは異なるフィンランド独自の文学を視覚化することで、彼は独立運動に寄与したのです。それに比べて、今展覧会で紹介している女性画家たちは、ナショナリスティックなものはほとんど描いていません。彼女たちはパリに留学したり、イタリアなどで長期制作をしたりするうちに、フランスを中心に発展したモダニズムをいち早く吸収し、国際的な新しい表現を確立しました。
また19世紀後半からフィンランドにも戸外制作の方法がもたらされましたが、彼女らの風景画の多くがさほど大きくないのは、外で持ち運びしやすい小さなカンヴァスが好まれたからです。彼女たちは同時に、人物画や風俗画、静物画のような身近なモティーフを描いています。人の注意を喚起するような大きな歴史画などではなく、自ら描きたいものを描き続けていました。もし、同時代の男性画家の作品と並べて見せることができたなら、作風の違いを比較できておもしろかったかもしれません」



