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- 2011年05月05日 22:00
書評 - 電子書籍を日本一売ってみたけれど、 やっぱり紙の本が好き
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電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き
日垣隆
著者より献本御礼with賄賂(笑)
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この「賄賂(笑)」の使い方一つとっても、著者がいかに真剣に楽に楽しく生きることに心を砕いているかが見てとれる。それは結局、相手をいかに楽にするか、楽しませるかということと同義なのだから。
本書「電子書籍を日本一売ってみたけれど、 やっぱり紙の本が好き」の主題は、書名どおり電子書籍論。「電子書籍を日本一売ってみた」だけあって、それだけでも書籍業界関係者必読の一冊となっている。
オビより
デジタル化は避けられない。それどころか、便利さに満ちあふれている。しかし同時に、習慣や伝統にも優れたものが無数にある。我々は、その両方の継承者でありあい。そう思いませんか--しかしそこは「読者に損をさせない」パート。著者の著者たる所以は、「読者を楽しませる」パートにある。「ライター」と「作家」の境は、おそらくそこにある。前者は書は残るが名が残るとは限らない。後者は書を遺すことで名を残す。
どうすれば「ライター」は「作家」となれるのか。
それこそが、本書の本題だ。
P. 258
おもしろい本は、おもしろく書かれた本のことではない。おもしろく生きている人が書いたものだ。「おもしろく書く」から、「おもしろく生きる」へ。
「書く」を「仕事する」に代えてれば、これは作家以外にも成り立つ処世訓ではないか。
ではどうすればおもしろく生きられるのか。
第一に、「相手に損をさせない」ということがある。どんな「つきあい」でも、相手は何らかのコストを支払う。たとえ無料でも時間という最も取り返しのつかない--にも関わらず、あまりに多くの人があまりに過小に見積もっている--ものを支払うことになるし、それが有料の商品ともなれば当然金銭も失われる。それらを合計して、「損した」と思われたら次はない。ここをクリアーすれば、パートタイムのライターにならなれる。
次に、「自らは十分な利益を上げる」ということがある。ダンピングでもたせるには、人生は長過ぎる。せっかく「また今度」と言われても、元手が残っていなければやはり次はない。なぜ著者が取材費を惜しまずにすむかといえば、それ以上の収益を上げているからだ。フルタイムのライターになるためには、ここをクリアーしなければならない。
しかしそこまでやっても、「仕事」は評価してもらえても「人」まで評価してもらえるとは限らない。この段階で止まっているものは「コモディティ」だからだ。「かわりはいくらでもある」ものを売り続けられるのは、結局一番体力のある者でしかない。そこを超えて「作家」になるためには、「この人でなければ」という「かけがえのなさ」がいる。
それが、ユーモアのセンス、 sense of humor ではないのだろうか? humor こそ、 homo と machina を隔てる何かなのだ。
おかげさまで、私は今では毎日10冊を超える献本をいただくようになった。自分でもその半分は購入する。もしこれらを全て書評できたとしたら、そんな私はもはや homo ではなく machina である。そういうサイトもあるけれども、本blogの読者がそういうサイトを本blogに期待しているとは思わない。いきおい、紹介される本と紹介されない本が出ることになる。その差はどこにあるのか?
同じぐらい有用な本であれば、結局最後は、「よりおもしろい本」ということになる。
つまり、よりおもしろく生きている人の手による本ということである。
人生が有限である以上、おもしろく生きている人ほど、必然的におもしろく生きている人とつきあうことを選ぶようになる。同じ選ばれるにしても、おもしろく生きている人に選ばれる方がそうでない人に選ばれるよりうれしいものだ。
おもしろい人に選ばれるほどおもしろい人生を歩んで行きたい。
これまでも、これからも。
Dan the Man



