
BLOGOS編集部
その場面は以下――
< 2019年7月21日生放送 ワイドナショー 緊急生放送で宮迫博之と田村亮の契約解消問題を松本人志が語る (フジテレビ) >ちなみに乳首相撲とは、土俵で見合った両人の乳首と乳首をヒモのついた洗濯ばさみを付け合ってつなげ、はっけよい残ったで互いに引っ張り合い、相手の洗濯ばさみを外したほうが勝ちという、バラエティで見られる対決ゲームのひとつだ。
東野 「なんか今回のことでこういうふうになって、なんかもう一度、改めて同じテーブルについて話しあってほしいなあと、思います。それはホントに。」
松本 「そうそう、こっちも昨日その話したんよ。岡本(社長)と亮と宮迫と、あいつらが嫌がるんならしょうがないですけど、ちゃんとそういう話す会を設けてくれと。それは岡本社長も約束してくれたし、もしやりづらかったら俺も行くし、仲裁というか、やるので、それはやってくれと。僕の希望はもう近い内に岡本社長と宮迫が乳首相撲をやることが一番。これですべて解決する!東野、乳首相撲は世の中のもの全部解決する!」
東野 「いや、僕は泣きながら行司します。」
松本 「そうです、そういう会社じゃなきゃダメなんですよ。」

写真AC
笑いにおける「乳首」の歴史

BLOGOS編集部
この、「よろしく+ちくび」の合成語である「よろチクビー」は、小林よしのりのギャグマンガ「おぼっちゃまくん」(漫画1986~ アニメ1989~)で使われた「ともだちんこ」「ぜっこうもん」等の下ネタフレーズが時流としてあり、久本はそこに何らかのインスパイアを得て発想したのではと推測される。うすーくパクったという言い方もあるが真相は不明だ。
なお、偉大なパイオニアと絶賛したすぐさま、パクってるんじゃないかと疑念を突き立てるのは、乳首の下の平等を実践したいゆえである。
そしてこの「よろチクビー」は久本による自己完結であり、フォロワーに伝播し子どもがマネて流行する等の現象には至らなかったが、それが返って「飽きられる」という劣化を遠ざけ、結果的には約30年経った2019年現在、久本が還暦を迎えてもこのギャグが代名詞という長寿性をもたらしている。
そして「よろチクビ―」というギャグの真の意義は、男性ではなく女性芸人が投下したことにある。女性の乳首は経済市場において「エロ」という商品価値があり、むやみやたらに陽の下でいじくりまわせないアダルトパーツだ。この女性の乳首を男性がいじくると、結局はエロの範疇に閉じてしまい「笑い」としての広がりを成さない。
だが、女性自ら(フレーズとしての)乳首を大衆にさらしたことで、フェミニズム的解放、エロフィールドからの脱却、メタ認知による相対化・・・要するに久本は女性の乳首を「茶の間NGからOK」に解禁したのである。
ちなみに久本が「よろチクビー」をテレビ地上波のゴールデン帯で発するようになった90年代前半は、1991年に女優の樋口可南子がヘアヌード写真集「water fruit」を発売、日本にヘアヌード解禁の大きなキッカケをもたらした時代と重なる。
果たして久本は、なぜ「よろチクビー」を成立させるに至ったのか。久本がその「ニン」を担ったのか。久本は1984年に結成された劇団WAHAHA本舗の創立メンバーとして、下北沢の小劇場をホームグラウンドにシモネタを連発していた。
シモキタの小劇場という一般世間からほぼ隔絶された密閉空間、WAHAHA本舗という集団において、シモネタは何ら憚ることのない日常言語だった。そこでシモネタへの羞恥心を完全に抜き去った久本は、コミュニケーションの主要言語がシモネタというダークサイドの喜劇女優として若き日の芸歴を積んでいく。
久本雅美、片乳首ポロリ事件
そんなWAHAHA本舗の面々がピン芸(吹越満「ロボコップ演芸」、梅垣義明「鼻から豆」)での露出を始めた90年代初期、注目劇団としてフジテレビ深夜にWAHAHA本舗が特集されたことがあった。ロケ中心のドキュメントで、メンバーたちの貧しくも逞しい暮らしぶりに密着し、柴田理恵は台所の流しを風呂がわりに使い、梅垣はザリガニを口に入れて歌う練習をしていた。その中で、何らかの騒がしい絡みからメンバー達によって久本のTシャツが下からまくり上げられ、脱がされる場面があり、深夜帯ながら地上波で、久本は片乳首を見せるハプニングに見舞われる。今から思えば生放送ではない番組でそういうシーンを放送するというのは、話題喚起の為の確信犯なのだが、まだメジャーブレイク前で知る人ぞ知る存在だった久本の乳首さらしは、ほとんど話題にはならなかった。
だが、自分の記憶にこのシーンがかなり鮮明に残っている。ほんの一瞬、胸のあたりに性を判別する程度の直径を持った黒点が映った。「あ・・・」という黒い物体。それは母性的なふくらみの上にではなく、平らかな肌色の上にあり、今で言えばグーグルマップ上にマーキングされた目的地アイコンのような記号的な乳首で、それはちっともエロくなかった。
これを理由のひとつに採取するが、天与の体型である微乳がアシストし、当人の乳首がエロくないという実体があるからこそ、久本は「よろチクビー」をウケるギャグとして持てるに至り、自身の十八番に出来たのではと考える。総体にエロ度数が低いことで「よろチクビー」というフレーズから受け手が想起するビジュアルが、エロさに寄らないという効果に恵まれたのだ。もし久本が豊乳だったらエロの喚起が先行してしまい、「よろチクビー」は笑いを減じていただろう。
この微乳豊乳がもたらす「笑い」という課題を、同時期に逆説的に示していたのが、1991年に新語・流行語大賞のひとつに選ばれたフレーズ「ダダ―ン!ボヨヨンボヨヨン」がある。これはFMWが招聘した巨乳レスラー、レジー・ベネットが栄養ドリンクのCMで放ったフレーズで、当人があまりに巨乳で、その尋常ではないインパクトがエロさを凌駕していた。