- 2019年07月23日 08:39
『天気の子』が照らした、社会システムの内と外
2/2私にはカタルシスの感じられる須賀の行動を、許しがたく感じる人や苛立たしく感じる人がいるであろうことを。なにしろそれは社会システムの秩序からの逸脱、それも、未成年の逸脱を助長する逸脱なのである。社会システムの中枢付近に住み、その価値観を私よりもずっと内面化している人々には、こうした描写は受け入れがたいものではないだろうか――どぎつく汚い東京の景観や、社会システムの辺縁に住まう人々の描写とともに。
異常気象・逸脱者・リスク管理
帆高や陽菜といった社会システムからの逸脱者たちとおそらく対応するように、『天気の子』では「異常気象」なるものがたびたび描かれる。
気象神社の神主が述べていたように、天気とは、本来人間の手に負えるものではなかった。けっして人間の社会システムによって管理できる代物ではなかったはずである。
だが科学技術が発達し、天気予報を日常の一部とすることで、私達は天気を飼い慣らした……かのように感じている。人類はいまだ天気を自由にコントロールするすべを持っていないが、天気予報というテクノロジーにより、天気というリスクを、管理することはできるようになった。
あたかも、突発的な犯罪事件の発生じたいはコントロールできなくとも、統計的に犯罪発生率を計算・分析し、犯罪発生リスクを管理することができるのと同じように。
現代の社会システムは、こうしたリスク管理というテクノロジー(と思想)に多くのことを依っている。ひとつひとつの突発的事件・突発的災害じたいは、リスク管理のテクノロジーで防ぐことはできない。しかしリスク管理をとおしてその発生確率を抑えたり被害の程度を軽くしたりすることはできる。このテクノロジーの視座からみれば、天気はもう、人類の掌中にあるかのようにみえる。
だが「異常気象」はそこからの逸脱だ。統計的な計算や分析をこえた現象に直面した時、リスク管理のテクノロジーはそれほど上手く機能することができない。そして気象神社の神主が述べたとおり、天気についてのデータはたかだか百年ちょっとしか蓄積していないのである。「異常気象」は狂った天気とはいうけれども、それは、社会システムが既知のデータに基づいて天気のリスクを管理しようとする時に思いつく発想ではないか。
ほんらい、天気は人智を超えている。
少なくとも日本という東アジアの国ではそう考えられていた。
人智を超えた天気をリスク管理しようとするから、安全で快適な社会システムの枠組みのなかで天気を扱おうとするから、「狂った天気」とか「異常気象」といった発想が生まれてくるのである。
だから、ここでも『天気の子』は既存の社会システムとは相容れないメッセージを放っているように、私には読めた。いや、相容れないメッセージと言っては語弊があるか。帆高や陽菜だけでなく、あの異常気象もまた、社会システムからの逸脱であり、そうした逸脱を織り込み済みで描かれる『天気の子』の結末は、現代社会で支配的な常識や思想とは異なる着地点に辿り着いているのではないか。
単なるラブロマンスでは済まされない結末
もちろんこの『天気の子』も若い男女の物語で、それはそれで美しく描かれていた。この作品はラブロマンスではない、などと言ってしまったらそれはおかしいだろう。『天気の子』の構成要素として、愛だの恋だのの占めるウエイトはけして小さくはなく、RADWIMPSによるエンディングテーマ『愛にできることはまだあるかい』は似つかわしいものだった。
ハッピーエンド、でもあっただろう。
それでも私は、そのラブロマンスの舞台装置のうちに、どうしても社会システムを意識せずにはいられなかった。社会システムの内と外を『天気の子』が描いているように見てしまった。まさか、新海誠監督の2019年の新作で社会システムについて連想させられるとは思っていなかったから、私はとてもびっくりした。
断っておくが、だからといって『天気の子』が社会システムを批判したり断罪したりしている、とは私は思わない。
『天気の子』では、豪雨災害に立ち向かう人々の姿や、雨天でも動き続ける交通網も描かれていた。もちろん、社会システムの叡知の象徴である高層ビル群も。水没に瀕した東京で帆高と陽菜が再会できたのも、社会システムがタフに生きながらえていたからにほかならない。
清濁あわさった東京の風景にしても、どれだけシステムの中枢に位置するのか/辺縁に位置するのかはさておき、現代人はシステムに依存せずに生きることなどできっこないのである。
他方で、世界は社会システムの杓子定規どおりにできているわけでない。社会システムから逸脱した圏域にも物語は存在し、逸脱と秩序の隙間にも豊かさはあったはずだし、狂っていると人々が呼び倣っているものも含めて世界は成り立っているはずで、それでも私達は、きっと大丈夫なのである。
これが『天気の子』の模範的な感想とは思えない。が、とにかく私は本作の初見で社会システムの内と外を強く意識させられたので、そのことを覚えておきたいと思った。このようなテイストを2019年の新作に新海誠監督が繰り出してきたことはよく覚えておきたいし、うまく言えないけれども、私は喜んでおきたいと思う。
『天気の子』がたくさんの人に見ていただけたらいいなと思う。
[関連、その方面の人はこれは目を通しておいたほうがいいと思う]:【ややネタバレ注意】「天気の子」を見てゼロ年代エロゲについて語りだす人々 - Togetter
[もっとまともな感想]:『天気の子』は何を描いたのか。新海誠監督の決断が予想以上に凄かった理由(作品解説・レビュー) – ウェブランサー
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*1:後半、運休状態になっている総武線の線路をひた走る帆高に投げかけられていた視線や言葉も、それをよく表していた。東京に住まう人々は、社会システムに適合した超自我を内面化していて、そういった行動を良くないものとしてみると同時に、そうした行動を自分自身が取った場合は罪悪感をおぼえることだろう。社会システムから逸脱した行動をとる人間に対する目線の厳しさは、少数の逸脱によって生活が簡単に機能不全に陥りかねない東京のような街に住む人間にとって、それほど不思議なものではない
*2:たとえば丸の内の一部上場企業に勤めるホワイトカラー層や官僚などは、社会システムの中枢に近い意識と就労形態を持っているといえる
- シロクマ(はてなid;p_shirokuma)
- オタク精神科医がメディアや社会についての分析を語る



