- 2019年07月22日 11:33
「現代は本が読まれる」最新号が完売続出した『文藝』、仕掛け人に聞く大胆リニューアルのねらい
2/2現代は「本が読まれている」

—本を読む機会があまりないという人が多い、という印象を持つことはあります。「文学」が遠い存在になっている、と言いますか。
でも、「なろう」「エブリスタ」など小説投稿サイトが盛り上がっていたりとか、「文フリ(文学フリマ)」は先日過去最大の来場者を集めたりとか、書き手・読み手を巡る環境自体が面白い形で変わってきていて、むしろ昔より「文学」がもっと気軽に楽しめる形で、近くなっているような気はしています。「文豪ストレイドッグス」や「文豪アルケミスト」も流行って、文豪ブームもありますし。「推しはどの作家か」なんてちょっと前はなかった会話ですよね。あと、これもよく言われることですけど、インターネットが日常的になっている現代で読む活字の量は、昔の比ではないと思います。
ある作家さんが「戦後の文学ブームはバブルだったんじゃないか」とおっしゃっていたことがあります。昭和初期に改造社が1円で全集を作る「円本ブーム」があり、戦後にも「全集ブーム」が起きて、世の中の知的啓蒙をしていこうみたいなムードがあった。
こういう時代は、読まれなくても本が売れていた面もあると思います。それに比べて現代は、「本が読まれているな」と感じることが多いですね。先に申し上げた池澤夏樹さん個人編集の『日本文学全集』を編集していた時にも感じましたが、現代の読者はちゃんと本の中身を読んでくれていて、「もっと理解したい、他の本を読んでみたい」と思ってくれている人も多い。なので、個人的には読まれる本の絶対数が減っている印象はなく、消費の仕方が変わったのかなと考えています。
—なるほど。「本を読まない」と言われていても、きっかけがあれば読みたい人が多くいるのかもしれないですね。
そうですね。何から読めばいいのかわからない、というのは昔からある問題だと思うんですけど。ただ、最近は多くの人にとって本を読む時間がなくなってきているのという面はあるのかもしれないな、とは思います。読書は言ってみれば娯楽ですが、みんな忙しくて読書の時間を作れない。本を読んで何か想像したり、考えたりすることがなくなると、考える力がやせ細ってしまいそうですが、私たちとしてもそれはきつい。
タイトルを読めば読んだことにしてOK

—そういう時代状況における文芸誌の役割というのは、なんだと思いますか?
雑誌は一冊の中に様々な文章が雑多に入っていることから、どこからでも楽しめるのが最大の魅力です。言い換えれば多様性が担保される場所です。その中で読んでくれる読者が、少しでも興味をひかれるような作品と出会える場を作りたいな、とは思います。響くフレーズが一文でも1ワードでも雑誌の中にあれば大成功だと思ってます。社会が悪い方向に進み、言葉に対しての信頼感がなくなってきていると感じる時もあります。社会の前にある個人の小さい声をすくい上げる作品掲載や特集はやっていきたいですね。
—「文芸誌は難しい」と考えている人もいると思いますが、楽しむコツがあれば教えてください。
難しいんですかね?どう楽しんでもらってもいいんですけど、例えば短いものから読むっていうやり方は読み進めやすいかなと思います。あとは「全部読まないといけない」と考えないことが大切かもしれません。
ある大御所の作家さんが「タイトルだけ読めば読んだことになる」っておっしゃっていたことがありますが、やっぱり「読む=全部読まないといけない」という意識は根強く残っています。ただもっと気楽に、少しでも読んだら読んだと思ってもらえればいいのかな、と。
—気楽に好きなものから読んで、飽きたら途中でやめるくらいの付き合い方で良いんですね。
そうだと思いますね。個人的には、今の文学シーンはとても面白い時代になっていると思います。多様な作品が出版されるようになり、国内だけでなく海外で評価されるような日本人作家も次々に登場し、素晴らしい翻訳者さんたちのおかげで海外文学が昔より身近になってきました。「文学」って聞くとまだまだ身構えてしまうかもしれませんが、結局自分が面白そう、というものをちょっと横に置いておく、くらいでちょうどいいのではないかと思います。なければないでそのときはそれでいいし。でもたまに人生が大きく変わるような、電撃的出会いがあるのも文学です。恋愛に近いですよね(笑)。そういった人生の隙間にすっと入り込むような出会いを、今後も送り手として、誌面を通して提供できればと思ってます。
文藝 公式サイト
http://www.kawade.co.jp/np/bungei.html



