- 2019年07月18日 14:32
民衆信仰「修験道」の過去・現在・未来(上) - 森休快
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修験道あるいは山伏というと、ほら貝を吹きながら白装束で山道を駆け巡る、という光景を思い描くかもしれない。
そのイメージは決して間違いではない。けれどもその奥には、日本人の深層に流れる自然信仰があり、それは現代も脈々と息づいていることについて、「里の哲学者」内山節さん、本山修験宗総本山聖護院門跡門主の宮城泰年師、金峯山修験本宗長臈で林南院住職の田中利典師の3名が語りつくした『修験道という生き方』(新潮選書)が注目を集め、修験道への関心も高まりつつある。
そもそも修験道とは、山岳信仰とは何なのか。それはこれまでの日本人とどう結びついており、現代人に何をもたらすものなのか――鼎談者の1人である田中師に話をうかがった。田中師は1955年、京都府生まれ。龍谷大学、叡山学院を卒業。現在は種智院大学の客員教授も務めている。著書に『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社親書)、『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)などがある。
修験道「4つのポイント」
――「修験道」とは一体何なのかについて、田中先生は以前から4つのポイントを挙げておられます。まず第1に、それは山の宗教、山伏の宗教であり、大自然が道場であるということ。第2に、実修実験、修行得験の宗教であるということ。
田中利典:自分で体を使って行じ、「しるし」を得ていくという、実践主義の宗教です。
――第3に、「神仏習合」であるということ。そして第4に「優婆塞(うばそく)」、つまり在家の宗教である、民衆の宗教であると定義づけられています。
田中:今回の本では、修験道そのものを説明するのではなく、修験道とは日本でどんな位置づけにあるかを明らかにしたいという、共著者の内山節先生(哲学者)の意図がおありになり、それは我々にとって大変ありがたいことでした。だから本の中では、修験道概論的なお話はしていないんですが、読んでいただければだいたいのところは分かると思うんです。
――読んでまず思ったのは、「風土性」ということに相当言及されているということでした。
田中:山尾三省さんという人は(編集部注・詩人。1938年東京生まれ、2001年死去)、大峯山の奥駈修行もしたことがある人で、土というものにこだわった方でした。晩年は屋久島に移り住んで、土着に生きた。
私はこの三省さんの土とか土着の話に感銘を受けましてね、修験を語るときに、それは風土に培われたものである、と言っているんです。風土が、修験のような極めて土着で日本的な民族宗教を生んできた、と。
内山先生がもともと山伏への憧れがあったというか、近代以前からあるような共同体の中で培われた、修験的な生き方というのにどこかで目覚められていて、わざわざ群馬県上野村に移り住んで畑を耕し、里山に生きるという生活をしておられるのも、山尾三省さんとは違った、現代の風土に準じる生き方なので、お互いに親和性があって話が進んだと思います。
日本の風土が持つ「DNA」の強さ
――面白いと思ったのは、日本の風土が持つDNAというのは、そこに住むといわゆる日本で生まれ育った人間でなくても理解してしまう、というお話でした。
田中:あれは、この本の中でも結構コアな考え方ですよね。
ただ問題は、自分たちがこれまで抱えてきた風土とか文化とか歴史とかいったものを、明治以降の近代化の中で切り捨ててきていることだと思っているんです。そこを取り戻すことが現代日本の第1の課題で、それをベースに物事を考えていく必要があるのではないか。
もともと日本は、いろんな民族が移り住んできて、日本列島の中で日本民族らしきものをつくってきたわけですね。それは、朝鮮半島とか大陸の人たちとはDNA的にも違うという研究が最近なされているように、日本人はたくさんの種類の染色体を持っている極めてまれな民族なのです。
北から入ってきた北方圏の文化と南からの南方圏の文化がほどよく混ざり合い、そこに大陸から文化が入ってきて、重層的な民族や文化を、この列島で、この日本の風土で生み出した。それが、縄文、弥生を通じて日本を形づくってきたわけです。
今でこそ「国」という単位で考えるから「インバウンド」だとか「移民」といった言葉遣いになるけれども、そうなると、もともと日本はどうやってできていったのかという視点を忘れてしまいがちになってしまいます。しかしこれは、思い出した方がいいことだと思いますね。
――そうした日本の持つ重層性が、その後の歴史の中で、異質なものが入ってきてもそれに潰されることなく、受容できるものは受容するという形をとることができた理由なのでしょうね。
田中:そういう、受容という形で人々がこの列島に住み着いてきたという、「三つ子の魂百まで」みたいなものがずっと続いてきているところはあると思います。
その意味で面白いのは、キリスト教もカソリックの時代までは土着のものと融合しながら発展してきた歴史があるじゃないですか。私はずっと、キリスト教イコール一神教だと思いこんでいましたが「サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼道」(編集部注・キリスト教の聖地であるスペインのサンチャゴ・デ・コンポステラを目指す道。世界遺産)を歩くと、そこらじゅうにマリアさんと聖ヤコブがいて、信仰されている。まるで観音様やお地蔵様、お不動様みたいな感じなんです。だからカソリックの時代は、土地にあるものを融合しながらキリスト教は広がっていったんだろうと思うのです。ところがプロテスタントになってから、聖書原理主義みたいになって、ある種のリセットが起きることになる。人類の歴史にはそういうところがあるんでしょうね。
日本は、神と契約する宗教というものは育たなかった。やおよろずの神、という発想ですから、自然と神と人間が同心円の中にいるわけです。ところがキリスト教は、同心円の外に究極の存在であるゴッドがいるわけで、そういう違いはあるのかなと思います。