- 2019年07月14日 13:29
モチベーション重視という名の危険思想
2/2ところで仕事の成果がモチベーション、つまり個人の主観的な頑張りに依存するのだとすると、成果は予見が難しい、ということになる。誰だって、他人の先々の気分までは読み切れないからだ。
したがって、このようなマネジメントスタイルをとっている組織では、売上目標や利益目標は立てるが、その確度は高くないことになる。当然、生産計画や要員計画のベースラインには使えない。そうなると、なるべく固定費になるものは(人も設備も)抱えない。急な変動のリスクは、外注先にヘッジする、という方策をとるしかなくなるだろう。
また、従業員のモチベーションを鼓舞するためには、当然、成果主義の報酬体系を組み入れることになる。頑張れば、その分報われる。逆に頑張らなければ、首切りリストラによる脅威にさらされる。アメとムチである。そして同期や同僚たちの間で競争させる。
かくして、平成を通じて進んできた、三つのトレンド:
・成果主義
・非正規雇用化
・競争原理の導入・強化
は、モチベーション重視という信念からも正当化される。すなわち、年功序列主義からの脱却であり、これを別名、構造改革ともいう。
またモチベーション重視は、主観主義に結びつきやすい。物事の状況判断において、客観的な事実やデータを積み上げる代わりに、自分の側の主観的な解釈や希望によって、対策を考える。何かを試みて、うまくいかなったとしても、それは頑張りが足りなかったのであり、もう一度がんばり直せば今度はきっと成功する。こういう信念が強いと、結局、失敗した経験からレッスンを学ぶことができなくなる。
・・それにしても、ここまでの説明は、日本企業におけるカイゼン文化とPDCAサイクル重視と矛盾していないだろうか? 作業プロセスを標準化し、PDCAサイクルを回して改善を重ねていくことが、マネジメントであると多くの製造業で考えられている。プロセスを標準化することで、誰でも一定の成果を出せるようにする。これがカイゼン文化の思想であった。
そうしたやり方は、とくに繰り返し性の高い業務(量産型工場)にフィットする。だから高度成長期から、昭和の終わり頃までの日本の製造業では、TQCとカイゼン活動が、とてもよく機能したのだ。
しかし、平成の時代に入って増えてきた、個別性の高い業務、クリエーティブな仕事はその限りではない。だって毎回個別なのだから、改善しようがないではないか。そうした状況においては、仕事の成果はモチベーションから生まれる。こう考えるのが自然な成り行きだったろう。そして、総員がその持ち場で全力を尽くせば、良い成果が生まれるはずである・・
わたし達は一体、どこで間違えたのか?
仕事の成果は、関数系で表すと、
f(人の能力、業務プロセス、モチベーション、環境条件)
といった形になるだろう。仕事の成果は、人の能力と、仕事のやり方(業務プロセス)と、人のモチベーションと、そしてその仕事を取り巻く環境条件の、いずれにも左右される。
関数f(x) は、仕事と成果を結ぶ科学法則だ。それは単なる足し算にはならない事も、しばしばである。
カイゼン文化の思想では、PDCAを回すことがマネジメントであると考える。4つの中では、業務プロセスを重視するといえるだろう。ただし、それは繰り返し性の高い業務でないとあてはめにくい。また、A(改善アクション)は、個人の創意によるものだ。TQC七つ道具などの技法はあれども、肝心の部分は、じつはモチベーションに頼っていたのかもしれない。
では、個別性の高い業務のマネジメントとは、どういう意味なのか? それは、まず、結果を予見できるように(計画可能に)することである。次に、その業務を、繰り返し可能にすることであるはずだ。そうすれば、皆がお手の物であるPDCAサイクルに接続することができるようになる。そのための技術、マネジメント・テクノロジーの知恵を、皆が共有していく必要がある。
わたし達の社会は、どうやらこちらの視点を、忘れていたように思える。かわりに、モチベーション重視と、科学法則を無視した足し算の論理が闊歩している。モチベーション重視という思想においては、上記の式の4つの項の中で、モチベーションだけが異常にに肥大化している。あとはこれに従属する、と考える。
当たり前だが、モチベーションは仕事において、とても大切な要素である。だれだって、ロボットのように、やりたくもない仕事を無理やり、やらされたくはない。ここで今さらマズローやダニエル・ピンクの議論を紹介するまでもないだろう。だが、それなりに長い平成の時代を通して、成果に結びつかない無駄な頑張りによって、わたし達は大切なモチベーションの感情を浪費してきたように思う。
平成の最初の数年間は、バブル経済の時代だった。あの頃は、環境条件が最大の項目で、相場が上がるかどうか、あるいは東京で家付きの家庭に生まれるかどうかで、人生が決まると皆が信じていた。それが崩壊した後の長い年月、人々が頼るのは、やる気・頑張り・モチベーションだった。
平成が終わって新時代に入った今、できればもう一度、仕事の成果の方程式を眺め直すべきだろう。そして何が一番肝心なのか、全体を一番支配する律速段階は、どこにあるのかを探るべき時が来たように思う。それを理解した時、初めて、わたし達は安心して、子どもに「適切に頑張れば、きっと良いことがある」と教えることができるようになるはずである。




