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- 2019年07月12日 17:26
【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】東電代理人の「年20mSvまで安全」発言に法廷は騒然。「奪われた津島での酪農」「自分で建てた家が汚染」~2人の男性原告が本人尋問
2/2【「毎朝毎晩、津島の方角を向く」】
仲間と助け合い、酪農に汗を流した津島での生活。毎年11月10日には「牛魂祭」を開き、牛の霊を慰め、感謝した。今野さんは今も妻と11月10日には津島に入り、牛魂碑をお参りして写真を撮影している。「誰もいないから、警戒中のおまわりさんにシャッターを押してもらった事もあります。仲間は原発避難でバラバラになってしまいました。『無念』以外にありません」。原発が爆発してから100カ月。ふるさとへの想いはいささかも変わり無い。
「本宮の自宅から津島・赤宇木までは直線距離で32キロメートルです。朝、起床して津島の方角を向き、夜寝る前も必ず、津島の方を見て休むようにしています。そうしないと眠れないんだ」
国道114号線が自由通行になったのと引き換えに、津島地区には不審者の侵入を防ぐためのバリケードがいくつも設置された。一時帰宅する際には事前に日時を申請し、解錠してもらわないとわが家までたどり着けない。場所によっては携帯電話の電波が届かず、貸与される小型無線機も役に立たない事すらある。避難先に戻る際には再び施錠される。国道を走行するのはフリーパスで、住民が帰宅するのに解錠が要る矛盾。「まるで檻にかかったイノシシのようだ」。今野さんの怒りはもっともだ。
「もし明日、バリケードが撤去されるのなら、俺が真っ先に帰りたい。この苦しみを1日も早く解消して欲しい」
反対尋問で、東電の代理人弁護士は今回も、これまでに支払った賠償金で十分だと言わんばかりに一覧表を示して今野さんに質した。今野さんが「字が小さくて読めない」と言うと、東電の代理人弁護士が「よろしければ読み上げましょうか?」と応じ、今野さんが怒る場面もあった。
主尋問、反対尋問合わせて2時間近くにも及んだが、まだまだ言葉にしきれない事がたくさんある。いったん休憩に入ると、今野さんは被告席に向かって「謝ってもらったって駄目なんだ」と声を上げた。傍聴席からは「おい東電、『3つの誓い』を守れよ!」との言葉も飛んだ。奪われたふるさとや今なお続く被害の大きさと、一定の賠償金を支払って終わりにしたい東電。原告たちは毎回、その差に驚き、呆れている。

(上)本人尋問に臨んだ今野幸四郎さん(左から2番目)。法廷では「1日も早く、自由に帰宅出来るようにして欲しい。もし明日、帰還困難区域の指定が解除されてバリケードが撤去されたら、俺が真っ先に帰る」と訴えた=2017年3月撮影
【わが家汚された大工の哀しみ】
武藤茂さん(70)は大工だ。「大工という仕事を選んだ時から、いつか自分の手で家を建てるのが夢だった」。そしてついに、その夢が叶った。自宅周辺の木を伐り出し、大工仲間の協力も得て、ゆったりとした空間を活かす自宅を建てた。ロフトには、若い頃に東京・秋葉原で購入したオーディオ機器を設置し、音楽を大音量で聴けるようにした。ベースやドラムの重低音が木を伝って全身に響く。至福の時間だった。ほぼ理想通りに完成したわが家。「原発事故が無かったら、80年は持ったはずです」。自らの腕で完成させた家に対する愛着はひとしおだった。
しかし今、武藤さんは家族と福島市内で生活している。自分で家を建ててから19年後に起きた原発事故は、わが家にも放射性物質を降らせた。2011年9月には、自身の測定で自宅周辺は4~6μSv/hあった。線量計が9・99μSv/hまでしか測れず、場所によっては正確な数値が分からないほど汚染されていた。
避難指示が出され、主を失ったわが家。武藤さんは一時帰宅のたびに欠かさず室内を掃除している。「締め切っていては湿気がこもってカビが生えてしまう」と窓を開け放ち、きれいにしている。掃除をしている間、お気に入りの音楽を流して気持ちを和ませる。しかし、どれだけきれいに保っていても、ここで寝泊まりする事は出来ない。避難指示が解除される見通しも立っていない。自然低減が進んだとはいえ、依然として自宅周辺は1~2μSv/hに達する。「一刻も早く除染して住めるようにして欲しい」。わが家が家族を待っている。
一時帰宅は70回を超えた。自身の被曝を考えない事は無い。「放射線には恐怖を感じる。他所の地域に比べると高いと思います」と話す。一時宅のたびに空間線量を測って記録して来た。しかし、東電の代理人弁護士はこんな言葉で武藤さんの恐怖を否定してみせた。
「まだまだ高い、怖い、危険と言うが、具体的な根拠はあるのか。例えば、国際組織であるIAEA(国際原子力機関)は20mSv/年以下、3・8μSv/h以下であれば健康に影響は無いという数字を出している」
これには傍聴席から怒りの声があがり、佐々木裁判長が強くたしなめる場面もあった。そもそも、原発事故前の空間線量は0・04μSv/h程度だった。ふるさとを奪われ、わが家を追われた被害者に、加害企業が「20mSv/年まで安全ですよ」と恐怖感を否定する。もっと言えば国も同じ姿勢だ。これが原発事故から100カ月後の現実だ。
一緒に避難した愛犬は視力がかなり落ちてしまった。再び家族とともにわが家に帰って放射線など気にせず暮らしたい。武藤さんの願いはそれだけだ。
(了)
- 鈴木博喜 (「民の声新聞」発行人)
- フリーライター




