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精神科病院のどこが問題なのか、どうやって変えるか - 原昌平 / 読売新聞大阪本社編集委員、精神保健福祉士

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日本の精神科医療の最大の課題

精神科病院というと、みなさんはどんなイメージを思い浮かべるだろう。傷ついて心を病んだ人が静かに療養する場所だろうか? ざわめく病棟に閉じ込められ、自由を奪われてしまう場所だろうか? 前者のような病棟も一部にはあるけれど、残念ながら、まだ後者が主流だと筆者はとらえている。

日本の精神科医療の最大の問題は、入院患者があまりにも多いこと、そして患者の人権が守られていないことにある。暴力的に支配する悪徳病院は少なくなったものの、ここ十数年、強制入院、閉鎖病棟、身体拘束が増え、人権状況はむしろ悪くなっている。長期入院の解消もあまり進んでいない。患者の権利擁護システムの導入と入院ベッドの削減を急ぐ必要がある。

集団管理を重視する精神病棟

精神科の病院は、一般の病院とどこが違うのか。本質的な違いは「集団管理」にあると筆者は考える。

精神病棟でも一般の病棟でも、一つの病棟は40~60床のことが多い。病棟の運営は主として看護職員が担う。ただし、一般の病院でナースが行うのは、個々の患者に対するケアや診療の補助であり、病棟の患者全体のコントロールが必要な場面はめったにない。

これに対し精神科の病棟は、何十人もの患者の集団生活の場であり、集団を管理することが重視される。給食や投薬など決められた段取りをこなすだけでなく、無断離院、自傷・自殺、患者同士のトラブル、加害行為といった「事故」が起きないようにすることが求められる。

もちろん個々の患者とかかわることはあるが、一般の病院に比べて看護職員の配置基準が低く、人手が少ないこともあって、個別のケアより、集団管理に傾きがちになる。

たしかに精神病棟には、大勢の患者がいて、しばしば騒がしく、患者同士のトラブルも多い。だが本来、メンタルな不調に陥った人の療養にふさわしいのは、静かで落ち着ける環境ではなかろうか。病院や病棟は、多人数を効率よく扱うために設けられた場である。それをあたりまえのように思っている感覚も、問い直すべきだろう。

スタッフの持つ権力性

しかも精神科では、精神保健福祉法による強制入院の制度がある。

「措置入院」は、2人以上の精神保健指定医が自傷他害のおそれがあると判断したときに知事または政令市長の権限で行われる。「医療保護入院」は、指定医1人が入院の必要ありと判断して家族等が同意すれば、院長の権限で、行政の関与なしで行える。本人の同意に基づく「任意入院」だと、退院は原則自由とされるが、指定医が判断すれば72時間以内の退院制限ができ、その間に医療保護入院に切り替えることがある。完全に自由な入院制度はないわけだ。

いったん入院すれば、患者は行動の自由を制限されることがある。指定医が判断すれば、身体拘束や、保護室や個室への12時間を超す隔離(閉じ込め)ができる。12時間以内の隔離は、指定医でない医師でも指示できる。電話・面会・外出の自由は、病院管理者(院長)の判断で制限できる。それらの行動制限は、入院の種類にかかわらず可能なので、任意入院なのに身体拘束や隔離をされる患者も少なくない。

それらの行動制限は、現場にいる看護職員が指定医や医師に対して発動を促すことが多い。実行するのも看護職員である。このため法律上の権限を持つ指定医や医師だけでなく、看護職員も実質的な「権力」を持つようになる。ここでいう権力とは、法律や制度によるものだけでなく、人に言うことをきかせる力という意味である。

強制力を発動する前でも、言うことをきかなければ隔離・拘束するぞ、退院させないぞ、という態度を示すだけで、権力になる。

隔離や拘束などの行動制限には厚労省の基準があり、一定の要件にあてはまったうえで代替手段がないときしか許されず、懲罰や制裁、見せしめのために行うことは禁止されている。だが、現実にはスタッフによる乱用も起きる。行政が年1回の実地指導(立ち入り調査)で行動制限のあり方をチェックするときも、書類上の記載のつじつまが合っていれば、問題になりにくい。

さらに、権力を持ったスタッフの中には、患者を見下す者も出てくる。ケアよりも管理という意識が強く、閉鎖的な環境の病棟では、暴力、暴言、ネグレクトといった行為も起きやすい。精神科のスタッフによる暴力事件は、2010年代になっても各地の病院で発覚している。

従順になっていく患者

入院患者は、他の患者が隔離・拘束される様子を目撃したり、先輩の患者から話を聞いたりするうちに、つらい目に遭わないためには、不満があっても我慢したほうがいい、自己主張するより、おとなしくしているほうが賢い、という生き方を身につけていく。

またスタッフは、診療・世話・サービスを提供する立場にある。患者は、それらを受けることに恩義を感じることが多い。生活上のこまごまとした規制や便宜もスタッフの裁量で左右されるので、心理的な上下関係が強くなる。やがて患者は従順になり、職員に言われなくても「忖度(そんたく)」するようになる。支配の完成形である。

管理主義の学校における教師と生徒の関係に似ているが、精神科の病棟は、はるかに閉鎖的で、不登校を選択する自由もない。

かつて、米国の社会学者ゴッフマンは、精神科病院での観察をもとに、外部から隔離されて集団で生活する施設(全制的施設)では、職員と入所者の間に力関係が生じ、入所者は無力化されていくと指摘した。刑務所、障害者施設、学生寄宿舎などでも、そうした状況が起きるとした。(E.ゴッフマン・石黒毅訳『アサイラム 施設収容者の日常世界』誠信書房1984年、原著出版1961年)

抑圧が内面化し、意欲と自信を失う

ここで重要なのは、スタッフの権力が強くてあらがえないというだけでなく、外からの抑圧によって、患者自身に内的抑圧が生じることである。自己主張や管理への抵抗を何度かやってみて失敗すると、人間はあきらめて、どうせ無理だと思うようになる。心理学でいう「学習性無力感」である。やがて自由を求める気持ち自体が失われ、自信もなくなっていく。

精神科の病院では、集団管理に加え、患者の特性と状況も、自分の権利を主張しにくい要因となる。具体的には、①疾患・障害の影響(症状にエネルギーを消耗する、意欲や気分が低下する、論理的主張が困難なことがある)②多剤大量療法の影響(薬による鎮静作用、意欲の低下)③医療側の価値観である「医学モデル」の圧力(病気である自分を否定的に見る)④患者自身のセルフスティグマ(障害への偏見、自分を否定的に見る)――などである。

さらに社会的な要因として、⑤味方になる人が少ない(家族も味方とは限らない)⑥経済力が弱い(裁判などに訴えることが難しい)⑦退院後の行き場がない(地域生活を支える福祉・医療の遅れ)⑧声を上げても偏見によって無視される(病気の症状とみなされ、取り合ってもらえない)――といったことも権利主張を妨げ、権利侵害が放置される状況を生みやすい。

また1970年代に精神科医のバートンは、精神科の長期入院患者に見られる特徴として、無感情、主体性の欠如、非個人的な性質のものに興味を失う、従順さ、将来の計画を立てられないように見えること、個性のなさを挙げた。それらは病院で過ごした結果であり、精神病の症状とは別の病気だとして「施設神経症」と名付けた。(R・バートン・正田亘監訳『施設神経症 病院が精神病をつくる』晃洋書房 1985年、原著1976年)

長期入院の問題を考えるときは、この視点が欠かせない。【次ページにつづく】

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