夕陽に赤い町中華
作者: 北尾トロ
出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
発売日: 2019/06/05
メディア: 単行本
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内容紹介
安くてボリュームたっぷりで昭和の胃袋を満たしてくれた町中華。
特別な味でないのにクセになり、通いたくなる店、個性的な店主たち。
中華なのになぜオムライスがあるのか。なぜ戦後に増え始め、なぜ常連客に愛されるのか。
町中華探検隊・隊長であるブームの火付け役が、数百軒を訪ね歩いた経験から描ききる、町中華の来し方行く末。
アメリカの小麦戦略や、化学調味料ブーム、つけ麺で人気の『大勝軒』の復刻メニューのエピソードなども交えて、昭和を生きた男たちなら誰もが持っている記憶の琴線に触れる。
消えつつある食文化の魅力あふれる1冊!
椎名誠さん推薦!
「そうだ。おれたちはこんな黄金ラーメンでぐんぐん育ってきたのだ!」
最近はけっこう耳にするようになった「町中華」という言葉なのですが、「町中華探検隊」の中核メンバーである北尾トロさんは、その定義について、『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』という本のなかで、こう述べています。
「昭和以前から営業し、1000円以内で満腹になれる庶民的な中華店。単品料理主体や、ラーメンなどに特化した専門店と異なり、麺類、飯類、定食など多彩な味を提供する。カレーやカツ丼、オムライスを備える店も。大規模チェーン店と違ってマニュアルは存在せず、店主の人柄や味の傾向もはっきりあらわれる」
著者の北尾トロさんは、1958年の生まれなのですが、ちょうと干支一回りくらい下の僕も、子どもの頃、親に連れられて、こういう中華料理店によく行ったなあ、と、この本を読みながら思い出さずにはいられませんでした。
著者は、さまざまな「町中華」の名店を訪れ、関係者に取材をしながら、町中華の歴史とその魅力について語っています。
いまでは「懐かしい」とか「レトロ感覚」で語られることが多い町中華なのですが、日本の高度成長期、1960~70年代には、「ちょっとした家族の外食のときのひとつの選択肢」だったんですよね。
著者は『下北沢丸長』の取材のなかで、こう述べています。
そう、僕が生まれた頃の町中華は若者が働き、若者が食べにくる、活気あふれる中華の食堂だったのだ。
いまの町中華を訪れる人たちは、「レトロで味がある」とか「夫婦で切り盛りしている居心地がいい」などと感想をもらすけれど、当時はまったく違っていたのだ。食のジャンルとしても新しかったし、若い力がみなぎっていた。店全体がバイタリティのかたまり。上り調子。東京の人口は約968万人となり、1000万都市を目前にしていた。
『下北沢丸長』では、どんなメニューがいくらで食べられたのか。アルバムの写真に1965年頃のメニューが写っていた。
ライス(50円)、五目ラーメン(150円)、餃子(60円)、カニ玉(250円)、肉団子(250円)、オムライス(150円)、カレーライス(100円)
ラーメンや炒飯が写っていないが、100円前後だろう。あと、かき氷もやっていたらしい。「おっ」と思ったのは、オムライスがあることだ。初代は中華しかやったことがないはずだが……。
「その頃の大衆的な中華店はなんでもやったの。たしか開店当初から丼ものもやっていたと思いますよ。いまもウチなんかはいろいろやるけど、昔からメニューは多かったね」
え、そんなに早くから丼ものを提供していたのか。僕はこれまで、町中華は徐々に和食や洋食の要素を加えていったのではないかと推察していたのである。これは考えを改めなければ。
「どうしてかわかる?」
どんな客にも対応できるように、だろうか。
「そうです。週末には家族連れもくるでしょ。あそこは中華しかないからって思われたらお客さん他所へ行っちゃう。中華屋なんだけどさ、丼ものはないのって言われたら、じゃあやってみるかと(笑)。だから、こういうのも作れるよっていうんじゃなくて、お客さんが食べたがるものを提供するのが基本なんだね」
中華を軸に、客が求めるもののなかで調理可能なものはメニューにして対応しようとする。作り方がよくわからなくても、そこはなんとかした。丼もの、いいじゃないか。ただし、そのままじゃつまらないからラーメンスープを隠し味に使い、そば屋の丼とは一線を画す。