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- 2010年10月28日 15:00
それでも私はなるべく後に生まれる方を選ぶたった一つの理由
1/2以下同文なことは、今までblogでも拙著でもさんざん繰り返して来たので…
負けが決まってる勝負を死ぬまでやらされる若者世代。 : ひろゆき@オープンSNS
いやぁ、ほんと世知辛いですね。
ここではあえて、若者世代の方の方がいい理由を述べることにする。
理由は、これしかない。世の中、進歩しているから。
私は東京生まれだが、長野県茅野市というところでご幼少のみぎりを過ごした。マザコンの親父が彼の母の近くにいたかったからだがそんなことはどうでもいい。どうでもよくないのは、それが築150年のボロ屋だったことだ。冬はマイナス20度。風呂は別棟にあって、風呂から上がって家に戻ると、髪はパリパリに凍り付いていた。便所(トイレなんてしゃれたもんじゃない)が家についていたのは救いだったが、もちろん汲み取りで、冬はガシガシに凍る。そのトイレに最も近い私の部屋は、縁側を挟んでいても部屋の中に霜が張っていた。
今の我が家のトイレは、水洗どころか尻まで洗ってくれ、
$|、失礼、autoflush、つまり自動で水洗までしてくれる。おかげでそうでないトイレで流し忘れそうになって時々尻の冷える思いをする。なんて贅沢な悩みなんだろう。そんな家からなるべく遠くに行きたくて、私はBerkeleyに行った。今考えると、それは当時ありえないほど難しいことだった。まず円が今より遥かに安かった。「200円を切った」と大騒ぎしていたのが懐かしい(それでもその後の米国の学費の値上がりぶりを見ると、金銭的な難しさは実はそれほど変わっていないかもしれないが)。情報だって遥かに少なかった。Webどころかパソコン通信すらなかった。やりとりは全て郵便。それでも郵便だけで済むおかげで、10校以上同時に「受験」、いや「就学活動」でき、1校を除けば全部「合格」だった。その一校の不合格理由は、「資金力不足」だった。
あれほど嫌だったその実家が全焼したことが、日本に戻るきっかけだったとは、何たる皮肉だろう。
その後の19年に関しては、Wikipediaでもご覧いただくとして、我ながら驚きなのは、バブル崩壊後の「失われた十ウン年」の間に私がこの地で妻を娶り、二児の父となり、そして今も暮らしていることだ。
この国が、少なくとも私のような者にとって確実に暮らしやすい国になったからだ。
もし10年早く生まれていたら、どう考えても小飼弾はありえなかった。
ひろゆきは、もっと。
今の妻となる女(ひと)と目黒区中目黒に引っ越したのは確か1995年。その翌年に個人事業を法人成し、128kbpsの専用線を引いたが、月30万円払っていた。その翌年世田谷区下馬に引っ越した時、専用線は月3万8000円になっていた。そこで生まれた長女とともに、江東区潮見に買ったマンションに引っ越した際には、回線速度は一挙に100MB、値段は半分になり、そして2004年の終わりにさらに次女を加えた四人で中央区佃に引っ越した時、100MBの回線は月1,260円となって今に至っている。



