「プライベート主義」を維持しながら、アーチーちゃん誕生
5月6日、エリザベス女王の孫にあたるヘンリー(通称ハリー)王子とメーガン妃の間に、初の子供(アーチ―・ハリソン・マウントバッテン=ウィンザー)が誕生した
ハリー王子の兄にあたるウィリアム王子(王位継承順位第2位)の妻キャサリン妃の出産の場合とは異なり、ハリー王子とメーガン妃は出産を出来得る限り「プライベート」に行った。どこで赤ちゃんを産むかは公にされず、出産から数時間で母親メーガン妃が報道陣の前に姿を現すこともなかった。
ハリー王子の継承順位は第6位で、アーチーちゃんは第7位。父子共に、国王になることはまずないとみてよい。この面から、いつどれぐらい情報公開をするかについて、自由度が高かったのだろう。
しかし、ウィリアム王子とハリー王子の母は、王室に入る前後から執拗にメディアに追われ、1997年に交通事故で命を落としたダイアナ妃。両王子共に人一倍「プライバシーを守りたい」という気持ちが強く、メーガン妃自身も「情報を選択的に公にする」ことを望んだのだろう。
出産当日の6日、バッキンガム宮殿が「メーガン妃は分娩に入りました」と午後2時頃に伝えたが、実はその日早朝にもう出産を終えていた。ハリー王子とメーガン妃は公式インスタグラムで出産のニュースを告げ、幸せいっぱいの王子が少数のメディアの取材に応じた。この時の動画がすぐに報道された。
今か今かと誕生の一報を待ち構えていたメディア側は、「分娩に入った」とされながらも実は生まれていたことを知り、「一体、どうなっているんだ!」と右往左往。正確な情報が入ってこなかったことで、いら立ちや怒り、困惑を感じたメディアもあったようだ。
出産から2日後の8日、王子とメーガン妃はアーチー君を抱いて、メディアの取材に応じた。短い動画だったが、二人の肉声が聞ける、貴重な動画となった。
筆者はこの時、若い王室のメンバーが、「子供の顔を見たい、知りたい」という国民の要求を満たしながらも、「自分が設定した状況で子供を見せる」を一つのルールとしていることを、改めて知った。「メディアの都合に振り回されない」という姿勢だ。
また、「自分たち自身がどう見せるかに深く関与する」ようになった。
例えば、ウィリアム王子とキャサリン妃が子供たちの誕生記念の画像を公式に出す時、母親であるキャサリン妃自身が撮影した写真を使っている。
メーガン妃とハリー王子の場合も、アーチーちゃんの姿を初めて公開するにあたり、二人で「こうしよう」と細かく決めたに違いない。どんな背景で、どんな場所で、どんな服装で、赤ちゃんをお披露目するのか、と。
この「メーガン・ハリー流」は現代的で、手作り感がある。筆者は好感を持った。
しかし、実は、懸念もあった。
先の動画の中で、カメラがアーチーちゃんの顔のクローズアップを撮ろうとしていた。クローズアップは瞬時で、アーチーちゃんの顔の片側が垣間見えたのみ。
テレビでこの動画が紹介されていた時、キャスターが「よく顔が見えないんですよね・・・」と何気なく、言っていた。筆者も、「そうだなあ、もっと見たいなあ」と思ったものだ。
しかし同時に、筆者は嫌な予感がした。メーガン妃はアフリカ系の血を引く。もしかしたら、アーチーちゃんの肌が浅黒いのかあるいは白いのかをじっくり見たいという人も出てくるはず。そうすると、将来、人種差別主義的な人やメーガン妃を批判する人の攻撃対象になるのではないか。そういうことが起きないといいなあと思った。
しかし、すでに、「事件」が起きていた。
BBCの司会者がツイート発信
BBCの「5ライブ」というラジオ・チャンネルで自分の番組を持つ司会者ダニー・ベーカーが、ハリー王子とメーガン妃の赤ちゃんについて、BBCが後で言うところの「重大な判断の誤りがある」ツイートを発信していたのである。
問題とされたツイートは、ベーカーがすでに削除してしまったが、成人の男女が洋服を着たチンパンジーの手を取っている画像に「ロイヤルべビー、病院を出る」というキャプションがついていた。男女はハリー王子とメーガン妃、チンパンジーが赤ちゃんを指すのは明白だ。
ベーカーはこのツイートで、アーチーちゃんをチンパンジーに例えてしまった。メーガン妃がアフリカ系であることから、彼女の出自を嘲笑したとも受け取られかねない。
2016年、ミシェル・オバマ米大統領夫人(当時)を「ヒール付きの靴を履いたサル」と評したフェイスブックのコメントを支持し、後に辞職したウェストバージニア州クレイの町長の話を筆者は思い出した。
BBCは、ベーカーが「素晴らしい放送人」ではあるが「放送局の価値観とは逆行する」として、彼を番組から降板させると発表した。
これまでにも番組降板の経験があった人物
ベーカーはロンドン生まれの61歳。庶民的で、歯に衣を着せぬ物言い、鋭いジョーク、番組に電話をかけてくるリスナーやゲストに「自分も同じスタジオにいる感じにさせてくれる」ことで人気を博するベテランだ。
しかし、これまでにもBBCを離れざるを得なくなったことがある。
最初は1997年。サッカーの試合で「レフリーを痛めつけろ」と番組中に発言して、解雇された。2012年には、平日放送の自分の番組が週末に移動する予定となり、当時の上司らを「愚かでずるがしこい」と批判。これがきっかけで信頼関係が崩れ、BBCを去った。