勉強ができるのは当たり前。それだけじゃダメ
教育熱心な親と子。その狭間で、最悪の場合、殺人が生じる。
有名なのは、1980年に予備校生が金属バットで両親を撲殺した事件だ。成績や進学をめぐって、父親との葛藤が背景にあったと報道された。
2006年には、有名進学校の高校生が義理の母とその子どもたち合わせて3人を殺害し自宅に放火した。少年は父から、医師になることを命じられ、成績が悪ければ罵倒され、暴力も振るわれていた。犯行動機は父親への腹いせだった。
世間を震撼させた2008年の通称「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人は幼少期より、母親から徹底した管理教育と壮絶な虐待を受けていたことがのちにわかっている。
2016年には、父親が小学6年生の息子を包丁で刺し殺してしまった。中学受験勉強をしなかったから。刺された瞬間、息子が何を思ったか、想像するにいたたまれない。
このような事件が報道されると、マスメディアは一様に「学歴社会の歪み」や「偏差値偏重主義」や「エリート志向」などと批判する。世間知らずのエリート一家が起こした特異な事件として扱う。しかしこれらは本当に特異な事件なのだろうか。
追いつめられた子が親を殺す事件は大きく報道される。しかし追いつめられた子が自殺した場合には、原因もよくわからないまま自殺件数の一つとして記録されるだけだ。ましてや殺人にも自殺にもいたらなかった場合、追いつめられた子が大人になっても精神的に追いつめられたままでいたとしても、そのことが世に知られることはほとんどない。
「教育虐待」という言葉を知っているだろうか。「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行ういきすぎた「しつけ」や「教育」のことである。
教育虐待まがいのことをしてしまう親に共通しているのは、それほどまでに強固な思い込みがあること。換言すれば、視野が狭い。教育の目的は何か、なぜ勉強しなければならないのかという哲学がないままに、単純にテストの点を上げるための方法やいい学校に入れるための方法に飛びついてしまう。
しかもそこに”子どもに目的を達成させられるかは親の腕次第”という幻想が加わると「親として、なんとしてでもわが子にいい成績をとらせなきゃ」という強迫観念が生まれる。