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もっとも取り組みやすい「働き方改革」とは
昨今「働き方改革」が各所で取り上げられるようになっている。労働時間をいかに短縮して過労死やうつ病発症などを回避するか、さらにはテレワークや副業など多様な働き方を広めて、いかにQOLを向上させるか、といったことに主眼が置かれているという。
これは大いにけっこうだが、本稿ではもう少し具体的に、どう改革を推進するとよいかを私なりに考えてみたい。といっても、別に大仰な議論をしたいわけではない。極めて卑近な視点からの提案である。
もっとも取り組みやすい働き方改革、それは「別に自分がいなくてもいい場所には行かない」ということを各人が意識することではなかろうか。
私は新卒で広告会社の博報堂に入り、4年で辞めた。そして、その後も同社を含めた広告業界の方々と一緒に仕事をすることが多い。その他、メーカーや各種メディアの方々とも仕事をすることは多いのだが、共通するのが以下の現象である。
そこにいなくてもいい人が多過ぎる
本当にそうなのだ。これはあらゆる業界、あらゆる場面で見られることではあるが、私の実感としては、とりわけ広告業界において顕著だと捉えている。
会見場は「いなくてもいい人々の見本市」
わかりやすいのは記者会見の場などだろう。そこはまさに「いなくてもいい人々の見本市」のごとき状況なのだ。たとえば、企業の新CM発表会といったものは連日のように催されている。こうした会見には、CMに出演する芸能人やスポーツ選手が出席するものだが、取材で詰めかけている記者たちは、その商品やサービスに関して、正直どうでもいいと思っている。
あくまでも、そこに登場する著名人が何を言うかが重要なのだ。たまたま熱愛報道の渦中にいるような著名人であれば、その件について「囲み取材」ができ、格好のネタを入手できたりする。あるいは、その著名人自身に特筆するようなネタがない場合であっても、最近世間をにぎわせている話題について意見を求めれば、一応記事の見出しは立つ。
著名人が会見に出ても、拡散効果は大して期待できない
それこそ、元野球選手が登場するような会見の場合、「大谷翔平選手がケガから復帰後、大活躍中ですが、大谷選手の今後の活躍についてご意見を」などと尋ねてコメントを引き出せば、「『大谷は三冠王も狙える!』野球評論家・○○氏太鼓判」といった記事をつくることが可能になる。
とはいえ率直に述べてしまうと、私は著名人がこうした会見に出ることに、あまり意味がないと思っている。あくまでも、その人のファンが多少は騒いでくれて、翌日のスポーツ紙やテレビのワイドショーで取り上げられる程度の効果しかないのでは。
大量発生する“壁際のスーツ男”とは
だが、もっと不毛なのが、こうした会見に立ち会うサラリーマンの皆様である。もちろん、会見の主催者たる企業、現場を回す広告代理店の責任者とイベント会社のスタッフ、そして記者やカメラマンといった取材陣はその場に不可欠な存在だ。しかし、会見の場に居合わせる人々の多くは、実のところ特にやることのない広告関係者なのである。
こうした現場ではよく、異様な光景を目撃する。それは「壁際に立ち並ぶ大量のスーツ男たち」だ。彼らは広告関係者──具体的にいうと、記者会見を主催するクライアント企業と広告施策で付き合いがある広告代理店各社の営業担当者、そしてそのクライアント企業から広告を出稿してもらえる可能性があるメディア(テレビ・新聞・雑誌・ラジオ・ネットメディア)の営業担当者である。ときには広告関係者のほうが取材陣よりも人数が多いなんてことすらある。
彼らは“広告関連の仕事をくださる大事なクライアント様”のために、忠誠心を見せるべく、会見の場に大挙して押し掛けてくる。大事なのは、クライアント様のキーマンたる部長や役員とその場で挨拶をすることなのだ。「おぉ、忙しい時間を割いてわざわざ来てくれたんだね、アナタ」なんて思ってもらえることを期待しているのである。さすがに記者用の椅子に座るわけにもいかないので、壁際で遠慮がちに突っ立っているのだ。
「挨拶するだけ」が目的の不毛な時間
しかしながら、クライアント企業からすれば、こうした人々は実際のところ邪魔にしかならない。会見や記者発表会といった場では、あくまでも情報をメディアで広げてくれる取材陣がもっとも重要なのだから。それなのに、スーツ姿の男どもがズラリと会見場の壁際やら、後ろの空きスペースに居並んでしまうので、取材陣の通行の妨げになったりする。
きっとクライアント企業の人々は「お前ら、会見で特にやることもないのになんでいるのだ。別に挨拶になんて来なくていいから、もう少し諸費用を安くしてくれ!」と内心、愚痴っていることだろう。
だが、広告関係者も必死だ。「会見場には競合の○社の営業も挨拶に来るだろうから、われわれも行かざるを得ないな」なんてことを考え、他社に負けてなるものかとやって来るのである。このような「お付き合い」「虚礼的」「儀式的」な参加は、本当に意味がない。当然、主催者側もこうした「いなくてもいい人々」の来訪を計算に入れているので、会場も少し大きめのものを押さえたりする必要があり、無駄なカネがかかってしまう。
大部屋の椅子が足りなくなったプレゼン
このような現象は、会見の場だけの話ではない。私は「競合プレゼン」や「全体ミーティング」といった会議の席に、会社員時代もフリーになってからも数え切れないほど参加してきたが、やはり人数が多過ぎるのだ。たとえば、かつて経験した某自動車メーカーのプレゼンでは、30人は楽に座れるような大きな会議室をクライアントが押さえてくれたにもかかわらず、椅子が足りなくなった。
先方からは役員も含めて12人ほどが、入口手前側の大テーブルにズラリと並んで座っている。緊張感の漂うなか、われわれ提案側の人間も次々と会議室に入っていったわけだが……こちらはなんと、総勢25人もの大部隊だったのだ!
広告代理店の営業部長は「わが社の総合力を見せるとともに、『これだけのスタッフがかかわるほど本気なんだ!』といった気迫を先方に感じてもらおう!」と鼻息荒く発破をかけたのだが、結局は椅子が足りなくなる始末で、プレゼンの開始が遅れただけだった。そして、その場で下っ端だった私は、会議中に一言もしゃべることなく終わった。