- 2019年06月25日 07:43
並行世界について
2/2でも、アメリカには日本占領政策がちゃんとあった。ルース・ベネディクトの『菊と刀』はアメリカ国務省の依頼で書かれた占領政策起案のための基礎研究ですからね。ベネディクトは書物的な知識と投降した日本兵からのヒアリングに基づいて、日本人の生活感覚から国家戦略までをみごとに描き出してみせた。その研究に基づいてGHQは日本占領政策を起案した。
『菊と刀』に類するものを大日本帝国戦争指導部は持っていなかったし、そもそもそんなものが必要だとさえ思っていなかった。自分が戦っている当の敵国について「勝ったらどうするか」を考えていない国が戦争に勝てるはずない。
僕は現代日本人が抱えている本質的な問題はここにある気がするんだよ。それは「あり得たかもしれない世界」について考えないこと。僕らがこれから先の日本社会をどのようなものにしたいかを考えるときに絶対に外せないのは「あのときに、あっちへ行かずにこっちへ行っていれば、出現したかもしれない世界」、言い換えれば「さまざまな並行世界」をリアルに想像することだと思うんだ。
過去において「ありえた未来」を想像する思考訓練はそのまま現在において「ありうる未来」を想像する思考に適用できる。でも、そういうふうに頭を使う人間って、当今の「自称リアリスト」の中に一人もいない。見事に一人もいない。「今ここにある現実」だって、わずかな入力の違いでこれとは全く違ったものになったかも知れない。それが理解できない人間を「リアリスト」と呼ぶことに僕は同意できない。だって、「リアル」って、そういうものでしょ。ここにある現実だけが「リアル」で、それ以外は全部等しく「アンリアル」であるわけがないじゃない。今ここにはないけれど、「わずかの入力の違いでありえたこと」と「天地がひっくり返っても絶対に起こり得ないこと」を同じように「アンリアル」だとひとくくりにして、「現実じゃないんだから、それについて考える必要がない」と思っているような人間は「リアル」ということについての理解がいくら何でも浅すぎる。そんな人間がしたり顔で自分を「リアリスト」だとうぬぼれて、「あり得た世界」について考えている人間を妄想的だと思い込んでいるのを見るとほんとに腹が立つんだよね。
だって、僕らの現実は「今ここには現勢化しなかった」複数の並行世界的リアリティによって取り囲まれているわけでしょ。その複数のリアリティを、おのれの想像力と知力を駆使して自在に行き来することができる人が本当の「リアリスト」だと僕は思うよ。
僕が、村上春樹を高く評価する理由はまさにそこなんだ。彼が小説の中で並行世界を描き続けているからなんだ。彼がエッセイに書いていたんだけど、何かの作品で「フォルクスワーゲンのラジエーター」について書いたら、読者から「フォルクスワーゲンは空冷式なのでラジエーターはありません」という指摘があったんだって。それに対して村上春樹が「これはフォルクスワーゲンにラジエーターが付いている世界の話として読んでください」って回答していた。それで正しいと僕は思う。
そういう風に、少しずつ「ずれた」さまざまな世界がある。想像力のある人間は、その複数の世界を自在に行き来することができる。その能力はきわめて重要なものだ。そういうメッセージのように僕には読めるんだ。



