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元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「“戦争は絶対ダメ”と言えるように」

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6月18日、アメリカ軍が間近に迫り、ひめゆり学徒隊に解散命令が下った。壕から追い出された女学生にとって、ここからが本当の地獄だった。

「重傷で歩けない人は置いていくから、君たちは黙って出ていけ。軍から、そう言われました。友達がいるから残りますと言っても、ダメだと言われて……。歩けない友達は、『どこ行くの? 行かないで』と言っていました。だからウソをついたんです。『本部から集合命令が出たから行ってくるね』って」

島袋さんらは、動けない学友のために、水筒にありったけの水を入れ、枕元に置いて数人の友達とともに壕を出た。

雨のように降り注ぐ砲弾から逃げまどっているうちに、島袋さんも米軍の砲弾で手足を負傷。もう逃げられないと思った島袋さんは、同じようにケガを負った学友と2人で、手投げ用の小型爆弾“手榴弾”で自決を試みる。「捕虜になるくらいなら自決せよ」と教えられていたからだ。

「友達と私の間に手榴弾を置いて爆発させるつもりでした。でも、もう手榴弾が爆発する、となった瞬間、私は怖くなって、わぁっと放り投げてしまったんです」

生き延びた島袋さんは、6月26日、米軍の捕虜となる。

「捕虜になったのは自分たちだけ。情けない、と思っていました。だから、米兵に名前を聞かれたら、『死ぬことなんか怖くない、私を殺せ!』と抵抗したんです。バカでした。軍国少女だったんです」

6月23日に、日本軍司令官の牛島満中将の自決によって終結した沖縄戦。犠牲となった県民の数は20万人ともいわれ、4人に1人が亡くなった。

戦後、島袋さんは改めて教師を養成する文教学校に通い、’46年4月、中学校の先生になった。教師として子どもたちに接するなかで、島袋さんが常に肝に銘じていたことがある。それは、「間違っていることは間違っている。正しいことは正しい」と、言える人に育てよう、ということだった。

「私たちは、どんなことがあっても日本は勝つと教えられ、そこに疑問を持つことも許されませんでした。教育って、恐ろしいものなんです」

島袋さんは、その後、結婚・出産を経ても教師の仕事を辞めることはなかった。しかも、その間、自らの戦争体験を、生徒に語ったことはない。

「長い間、自分の子どもにも、辛くて話せなかった。亡くなった友達が、よく夢に出てきました。『あんたたち、どこに行っていたのよ! 捜したのよ!』と、言おうとして言葉にならず、声を出して家族によく起こされました」

心の傷を抱えながら生きていた島袋さん。転機が訪れたのは、戦後37年たった’82年のことだ。

師範学校女子部と第一高女の卒業生でつくる“ひめゆり同窓会”で、資料館を作ろうという計画が持ち上がったのだ。戦後生まれの人が増え、戦争の記憶も風化し始めたことに危機感を感じてのことだった。

同級生たちは、街頭に立って募金を集めたり、講演で協力を呼びかけたりして、約2億円の寄付を集めた。自ら寄付をした同窓生も続出した。資料館の敷地の購入から、壕に入っての遺品集め、そして運営まで、すべて元ひめゆり学徒の手によって行われた。

’89年6月23日、ひめゆり平和祈念資料館が開館する日。島袋さんらは気が気ではなかった。

「ご遺族に、『なんであんたたちだけ生き残ったのか』と、責められるのではないか。消息がわからない人のことを聞かれたら、なんて答えたらいいんだろう、って」

元学徒隊のメンバーとは、「あるがままに話すしかないさー」と、事前に相談し合ったという。

「でも、実際に開館したら『あなたたちが生きてくれたから、資料館ができたのよ。ありがとう』と言ってくださって。それでやっと、私たちは生きていていいんだと思えるようになったんです。戦争の夢を見ることも少なくなりました」

資料館が開館してからは、元学徒隊が毎日交代で3人ずつ資料館に通い、“証言員”として説明にあたった。

しかし、年月とともに証言員は減っていき、現在残っているのは、島袋さんを含めた6人。’15年からは、この6人の負担を減らすため、体験を語る回数を減らしている。資料館で島袋さんが証言に立つのは、月に2回だ。

《自分たちの味方でさえも見殺しにする、それが戦争です。私自身も、目の前に転がっている死体をまたいで水をくみに行きました。よけようとして回り道すると、弾が飛んできて当たるかもしれないからです。戦争は、人間を人間でなくします。だから、みなさんは、戦争は絶対ダメ! と言える大人になってください》

子どもたちを前にすると、島袋さんの口調は、自然に熱を帯びていく。

学徒隊の生き残りが少なくなっていくなかで、こうした貴重な体験を、次世代にどう伝えていくのか。

「いま説明員を務める方々は、学生時代から戦争と平和について研究を続け、卒業したらここで働きたいと思ってくれた。それは本当にありがたいことです。私以上に戦争について研究してくれているので心強いと感じています。戦前のことを思うと、私はただ国の言うことを信じていましたので、反省するんです。だからこそ、今度、平和憲法が変えられたりして戦争の準備が始まったら、そのときは、私は牢に入れられても、ダメだと言い続けます。それが、戦争を体験した者の責任です」

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