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元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「“戦争は絶対ダメ”と言えるように」

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太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。

その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の’89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。

《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》

戦争体験を語っているのは、資料館の前館長で学徒隊の生き残りの一人、島袋淑子さん(91)。

現在、自らの体験を語る“証言員(戦争体験者の語り手。資料館では戦後生まれの語り手のことは説明員という)”は6人しかいない。全員が90歳を超えている。

’18年までの7年間、資料館の館長を務め、自らの戦争体験を語ることで、戦争を知らない世代に平和のバトンをつないできた。

この日も、島袋さんの74年前の悲惨な光景が目に浮かぶような語りに、平和学習のため資料館を訪れた宮古島市立下地小学校の児童は、ぐんぐん引き込まれていった。

島袋さんは1928年(昭和3年)、沖縄県北部の本部町伊豆味に生まれる。両親の愛情を一身に受けて育った島袋さんの将来の夢は、学校の先生になることだった。島袋さんは勉強に励み、沖縄師範学校女子部に合格。太平洋戦争が勃発した翌年の’42年(昭和17年)4月、14歳で晴れて師範学校の女学生となる。

「憧れていたテニス部に入部したけど、1年生は球拾いばかりだったから、すぐにやめてしまったの。楽しかったのは英語の授業。先生が大好きで、授業がある日は、前日から楽しみにしていました」

青春を謳歌していた師範学校時代。しかし、戦争の影は、学生生活に色濃く影を落としていた。

「セーラー服は、布がたくさんいるからという理由で、私が入学した’42年から“へちま襟”の制服に変わりました。自由だった髪形も、1年生は二つ分けのおさげ、2年生は三つ編み、と厳しく決められて。大好きだった英語の先生は、出征してしまわれ、やがて、英語授業も『敵国の言葉だから』と廃止されました。でも、すべて“お国のため”と信じて疑いもしなかった……」

天皇は神様で日本国民はその子ども。日本は特別な国なのだから、そのために命をささげるのは名誉なことだ、という“軍国教育”をたたき込まれ、島袋さんも“軍国少女”になっていたからだ。

’44年(昭和19年)10月、那覇は大空襲を受け、焼け野原に。沖縄戦は、すぐそこまで迫っていた。

「いよいよ敵が沖縄に上陸する。今日かぎりで学校は閉鎖するので看護要員として軍に協力せよ」

’45年(昭和20年)3月23日、校長は、島袋さんら学生を一堂に集め、そう訓示を述べた。島袋さんは、師範学校3年生で17歳。すでに学校では、包帯の巻き方やギプスの当て方などを教わっていた。

その夜、島袋さんを含む222人の女学生は、18人の教師に引率され、一晩かけて、歩いて南風原の沖縄陸軍病院に向かった。もんぺ姿で頭巾をかぶり、肩から救急カバンをかけた。

「このときは、まだ戦争の本当の恐ろしさを知りませんでした。敵も病院には攻撃しないだろうし、1週間もすれば戻れるだろう、と。林間学校に行くみたいな気分で、『いよいよ国に奉仕ができる』と意気込んでいたんです」

陸軍病院といっても、土を掘って作った壕の中に、ベッドを何台も並べただけの場所だった。

「はじめは、水をくみに行ったり、おにぎりを配ったりするのが仕事でしたが、4月1日、米軍が沖縄本島に上陸してしばらくすると、血や泥だらけの負傷兵が、どんどん運ばれてきて、その看護に追われました」

5月25日、米軍が迫ってきたので、さらに南に下れ、という命令が。民間人を犠牲にしても、時間を稼いで本土決戦を遅らせようという日本軍の戦略だった。

「自力で歩けない患者は置き去りでした。青酸カリ入りのミルクが配られたという話も、戦後、生き残った兵士から聞きました」

島袋さんらも壕を出て、敵の攻撃をくぐり抜けて、沖縄本島の南にある伊原第一外科壕に移った。現在のひめゆり平和祈念資料館から歩いて5~6分の距離だ。

6月17日、島袋さんらがいる伊原第一外科壕の入口に大きな爆弾が落とされた。島袋さんは、食料調達のため外に出ていて免れたが、壕の中にいた学友の多くが犠牲になった。

「昨日まで一緒に働いていた学友の一人が、おなかをやられて腸が飛び出していました。みー、みー、と言って水を欲しがって……。先輩が、ガーゼに浸した水をあげたら、しばらくして『天皇陛下万歳』と言って亡くなったんです。当時の教育の力なんですね」

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