記事
- 2019年06月21日 19:51
知らしむべからず

今朝の新聞見出しで、「寄らしむ(原文は由らしむべしだが、意味はほぼ同じ)べし、知らしむべからず」という孔子の言葉を思い出した。これは吉川幸次郎氏の解説によれば、「べし」は可能の意味合いで、庶民に政治を理解させるのは難しいと言っているので、知らせない方がいいという愚民政策ではないということだ。ただし今回の麻生発言から始まった一連の動きを見ていると、やはり「国民には難しいことを考えさせるな」という、「余計なことは知らせない」主義を確認したプロセスだったように思われる。
国民の支え合いである年金制度が、人口縮小に向かう日本の将来には、給付水準の低下を招くだろうことは、ふつうに考えたら誰にでもわかる。それなら今のうちに出来ることは何かと言えば、削減できる給付を洗い出して、少しでも多くの資産を将来のために残すことだろう。そこで自分の場合で考えると、そもそも年金が「保険」であることに違和感がある。保険なら、自己責任で民間に任せれば済む話だ。政府が管理する国民の福祉制度は、もっと生活保護に近いのが本来ではないだろうか。
政府が管掌する年金制度が出来たとき、私は社員とともに、法人の役員として保険に加入した。それ以来ずっと保険料を納めてきたから、今は受給者になっている。それが当然の権利であることはわかるが、本音を言えば、老後の生活のために政府から給付金を頂戴するとは、想定外だったのだ。父親の代から、事業をやる以上は、生涯の生活を維持するのは自分の責任だと思っていた。
それなら寄付をすればいいと言われると、それで終ってしまうが、国の制度としてはどうなのか。社会保障制度はどうあるべきか、「知らせないでおく」どころか、常に自由な討論と、制度の改善が求められているのだと思う。
(追記)
自分の言いたかったことを再確認すると、「保険なら民間に任せておけばよい。政府は国民生活の保護を万全にせよ。」ということになる。公的社会保険料は、もっと税金に近い性格するか、あるいは税金と一元化してもよいような気がする。