2000年にスタートし、今年で20回目を迎えるROCK IN JAPAN FESTIVAL(以下RIJF)。音楽出版社ロッキング・オン・ジャパンが企画制作を行ない、アーティストが200組以上出演する日本最大の野外ロックフェスティバルが今年茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園にて開催される。
「フェスはメディアである」というコンセプトのもと、「参加者が主役のロックフェス」をモットーに、ロックはもちろんヒップホップやJ-POP、さらにはアイドルや楽器を弾かないエアバンドまでブッキングしてきたRIJFは、そのたびに物議を醸してきた。出版社がフェスを主催し、まるでロックを再定義するようなタイムテーブルを組むという、ほかのフェスにはない型破りな方法論を打ち出しながら、日本最大の音楽フェスとして不動の地位を築き上げたのは、いったいなぜだろうか。
1986年にロッキング・オンに入社後、『rockinon』や『ROCKINON JAPAN』の編集長を長年にわたって歴任し、RIJFでは第1回からブッキングを担当する音楽評論家・山崎洋一郎に、RIJFへの思いはもちろん、「ロックとは何か?」について語ってもらった貴重なインタビューをお届けする。
初めての開催で浴びた、業界からの批判。雑誌とフェスの価値基準とは?
─まずは、ロッキング・オン・ジャパンが2000年にRIJFを立ち上げた経緯から教えてください。
山崎:当時すでにFUJI ROCK FESTIVALがあり、日本のアーティストも出演していましたが、基本的には洋楽メインのフェスという印象でした。これだけ邦楽を聴いている人が日本にはいて、ロック文化というものも存在しているわけだから、日本人アーティストによるフェスを開催することによって、フェスカルチャーの素晴らしさを広く伝えたいという思いがあったのです。が、当時はものすごく大きな批判がありました。


─どのような批判があったのでしょうか。
山崎:メディアがフェスをやる、出版社がイベンターみたいなことをやるのは如何なものか、と。要するに、「ジャーナリズムと興行は別物であるはずである」という原則論ですよね。音楽メディア、ロックメディアであるからには「エンターテイメントとして大きな集客を求める」というような、いわゆるショービジネスの考え方とは一線を画すべきだということです。
ユーザーも当初は戸惑っていました。おそらくそれは、自分たちが読んできた『ROCKINON JAPAN』の持つ価値基準みたいなものが、フェスが始まることによって変容してしまうんじゃないか?という気持ちもあったのではないかと思います。
─それは、具体的にはどのような変容を心配していたのでしょうか。
山崎:「売れていないけど、この音楽は素晴らしい」と思えば紹介するような雑誌だったのに、自主イベントを始めることによって、集客力のあるアーティストを優先させていくんじゃないか、そういうものしか登場しない雑誌になってしまうんじゃないか、という懸念があったようです。
ただ、僕らとしては、全くそんなつもりはなかった。雑誌は雑誌、フェスはフェスという形で、それぞれの価値基準でやっていくから大丈夫という確信があったので、早くこの思いが届くといいなと思っていました。
フェスは「お客さんの1日を最高のものにする事業」
─渋谷陽一社長は当時、「参加者が主役のロックフェスを行ないたい」という思いだったとお聞きしました。
山崎:やっぱり、スタート当初はフェスというと、「出演者は誰なのだろう?」というのがすべてでした。「いいラインナップなら、それはいいフェスなのだ」という価値基準しかなかったんですよね。フェスに限らずイベントというのは、そこですべてが決まっていたといってもいい。でも、僕らは「それだけではないはず」という思いがありました。
つまりお客さんがその場所で、気分良く、心地好く過ごせるかどうかが、ものすごく重要なはずだと。特に単発のライブとは違ってフェスやイベントは、長時間そこで過ごすわけですから、長い拘束時間をいかにクオリティの高いものにできるかということを、トータルで考えなければならないと。

──なるほど。
山崎:たとえ素晴らしいアーティストが出演したとしても、劣悪な環境だったり、素晴らしい演奏なのにトイレを我慢しながら観なければならなかったり(笑)、ステージから別のステージまでスムーズに移動したいのに、導線がぐちゃぐちゃで、結局観られなかったり……というのでは、素晴らしいアーティストをブッキングした意味がないですよね。フェスというものを「お客さんの1日を最高のものにする事業」というふうに捉えないといけない、という思いがスタート時からあったわけです。
「アーティストありきではなく、アーティストの作品を受け取ったリスナーの心の中に何が起きたのか、そこにすべてがある」
─フジロックが1997年、Rising Sun Rock Festivalが1999年、RIJFの同年にSUMMER SONICが初開催という、まさにフェスの黎明期だったわけですが、その時すでにそこまで思いが至ったのはどうしてなのでしょうか。
山崎:それはロッキング・オンの本質に関わることです。ご存知のように、弊社は元々『rockinon』という洋楽雑誌からスタートしていますが、通常の音楽雑誌が編集者やプロのライターによるインタビュー記事とレビューによって構成されていたのに対し、『rockinon』は読者の投稿が誌面の大半を占めていたのです。
元々の思想が、アーティストありきではなく、アーティストの作品を受け取ったリスナーの心の中に何が起きたのか、そこにすべてがあるという姿勢だった。同じようにフェスでも、そこで演奏しているアーティストよりも、そこに集まっているお客さんが「体験していること」こそが素晴らしい、ユーザーの中に正義があるという考え方なんですよね。

─それともうひとつ、ロッキング・オンが掲げている「フェスはメディアである」というポリシーにもついてもお聞かせください。
山崎:確かにフェスは、楽しい休日を過ごすためのレジャーにもなり得るし、興行でありエンターテイメントです。が、僕らとしては「フェスはメディアである」という姿勢も重視している。つまり、そのフェスに行くと「現在の音楽シーンとは何か?」がものすごくわかりやすく感じ取れるということ。
あるいは「自分はこんな音楽が好きだったのか」と気づかされたり、今まで全く興味のなかった音楽に対して「こんな魅力があったのか!」という発見があったり、まるで雑誌のページをめくるような体験ができる場であるということです。そういう意味では、タイムテーブルの組み方、アーティストのセレクト、優先順位なども、単に興行成績順に並べていくのは違うだろう、という気持ちが昔からあって。ある意味、「メディアとしてのセレクト」であることは自覚していますね。
ただ、雑誌も同じなんですよ。メディアでありジャーナリズムではあるけど、少しでも売れてほしいから表紙や巻頭特集は有名なアーティストを起用するし、読者があまり興味のなさそうな、でも質の高い音楽を紹介するレビューやコラムをいかに楽しく読んでもらえるか? という工夫をするし。最終的には様々な音楽を知ってほしいのですが、まずは「楽しく読めるかどうか?」を考える。そこはフェスも雑誌も同じ考え方なんです。
アイドルグループ、ボカロP……さまざまなアーティストをラインナップしていく挑戦
─では、同じ「メディア」である雑誌とフェスの、相違点はどこにありますか?
山崎:雑誌はいくらでも刷ってお客さんに渡せるけど、フェスは場所と日にちが限られている。つまりソールドアウトしてしまったら、「行きたい」という方がいくらいらっしゃっても、それ以上売ることができないし、お見せできない。そのことが、やっていて一番感じる違いですし、衝撃を受けた部分です。それで悔しい思いを何度もした。だからついついステージも、開催日も増えていったわけです(笑)。
─なるほど(笑)。実際に、この19年間でRIJFが日本の音楽シーンに果たした役割は、非常に大きなものでした。アイドルグループや、ボカロPなどをいち早く出演させるなど、その当時としては、かなり大胆なチャレンジもありましたね。
山崎:今は音楽シーンが完全にジャンルレスかつ、ボーダレスになっていますからね。たとえばロックバンドにラッパーがフィーチャリングされるなんて普通のことだし、ロックアーティストがアイドルに楽曲提供をしたり、ツアーやレコーディングのサポートで参加したりするのも当たり前です。
でも、十数年前は、僕らがそういう捉え方でシーンに反映させようと思って、フェスにロック以外のジャンルの人たちをブッキングすると、かなり反発を食らいました。アイドルだけでなく、いわゆるポップス系のアーティストの場合でもそうでしたね。
とはいえ実際に演奏が始まると、みんな楽しんでくれていましたよ。事前はザワザワしましたが、演奏を聴けば多くの人がいいと思ってくれたんじゃないかなと思っています。特に、最初にPerfumeをブッキングした時は、「え、Perfume出すんだ」という感じでザワついていましたが、あっという間にうちのフェスでも超人気アクトになりましたよね。