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昼の「色街」を歩く 日本最大のソープランド街・吉原の現在【止まり木の盛り場学 第1回】

路地徘徊家として昭和の裏路地や横丁を飲み歩く文筆家、フリート横田と、遊廓の歴史を調べる遊廓家にして、カストリ書房店主の渡辺豪。

惑わぬはずが惑いまくる「40男」の二人は、なつかしい昭和な町並みを歩き、出会った人々と語り合い、横丁の酒場で一杯・・・というのがいつものコース。

そんな彼らが、昭和のころには確かにあった「止まり木」を探し、過去と現在を見つめる小さな旅をはじめるという。 記念すべき第一回は、男心を癒してやまない太い止まり木、「吉原」。平成の遊女たちは、いま何を思っているのだろうか・・・。疑問を胸に、吉原で長年営業を続けるいくつかの商店でお話を伺った。

テープ起こし/ユウミハイフィールド

吉原の入口にそびえる「見返り柳」は、遊客たちの心を躍らせた。

歌川広重が1835年に描いた見返り柳。向かって右手が吉原へ続く道。

横田:渡辺さん、吉原遊廓は江戸時代に生まれてから、ずっと色街として続いてるわけですよね?

渡辺:そうそう。遊廓はなくなったけど、いまは日本最大のソープランド街として色街の性格を残し続けて、今年がなんと401年目。けど、名前や歴史は知っていても、現在のこの街がどうなっているのか知らない人も多いと思うんですよね。それもバブルがはじけて以降の吉原を。

横田:街の人も色街をどうやって見て、付き合ってきたのかも知りたいですよね。じゃあ早速行ってみますか。昔、大門があった位置近くの酒屋さんでお話を伺ってみましょうよ。

100年続く大門そばの酒屋 主が語る「吉原」最盛期

ご主人:うちはこの場所で3代目、100年営業してるけど、40年前と比べると遊びに来る客も減ったよねぇ・・・。タクシーがどうやっても拾えないくらいだったもん。草食系男子が増えたからさぁ。

奥さん:大手の建設会社が接待でソープ使ってたから、10人連れで一軒貸切にしちゃって。バレンタインの時期になると、女の子がお客にプレゼントするってんで、ドンペリとかヘネシーの予約がいくらでも入ったのよ。

ご主人:うちの店の前を女の子が通勤で通るんだけど、その頃は高級ブランド服でビシッときめてたんだよ。でも今はジーパンに普段着だからね。どの子がお店の子か分からないよ(笑)。昔ほどは稼げないんだろうね。

お話を伺った西宮酒店さん。カーブの先あたりにかつての大門があった。

浮世絵師・鳥文斎栄之が描いた吉原大門(1794年)。花魁たちが華を競った。

渡辺:最初から吉原の移り変わりを物語るようなお話。やっぱり地元のお店の方は良く見てるな〜。

解体直前のカフェー建築は、数少ない赤線時代の遺構


戸袋の装飾に当時の雰囲気が残る

一室に張り残されていた女性の写真

横田:最近までアパートとして使われていたみたいですが、元はカフェーとして、娼家だったわけですよね。吉原に残る数少ない赤線時代の遺構、ということですかね。

渡辺:ええ。戦後の遊廓はカフェーやキャバレー名義で売春を続けていたのですが、これは昭和20年代の建物だと思います。

カフェー内部。おそらく昭和20年代からの空間がぽっかりと残されていた。

取材途中、たまたま出くわした赤線カフェー建築の取り壊し。中も拝見させて頂いた。当時の建物が失われてしまうことは惜しいことこの上ないが、経年なりの痛みもあり、内風呂もないため、やはり現代では利用価値を見出すことは難しいのだろう。

「昔はとても綺麗だった」吉原を見続けたたばこ屋店の追想

吉原の中心で変化を見続けてきた大黒屋さん

奥さん:バブルの頃はタバコが売れて売れて。うちは履物も扱ってるんだけど、タバコだけで暮らしていけるくらい。ソープの女の子が、種類ごとにカートンで買っていったのよ。お客さんの好みの数だけタバコを用意するから。今はタバコも売れなくなっちゃって、コンビニもできたし。

横田:昔は、成人男子の場合、タバコを吸う人が多数派でしたもんね。映画で会議のシーンなんかがあると、部屋中モクモクでやってましたよね(笑)。この角でずーっとソープ街をご覧になってて、風景もだいぶ変わりました?

奥さん:そうね、街がどんどん汚くなってきたように感じるわね。昔はとても綺麗だったの。店の前の道の植え込みは、4月は桜、5月は菖蒲って季節ごとに変えていたのよ。うちも桜の季節は、桜柄の暖簾を掛けたりね。

花魁が履く高下駄。戦後に花魁道中を復活した際につくったという

商店の親父さん、女将さんたちは、色街の中にも魚屋、肉屋などさまざまな商店が軒を連ね、どこも流行っていたと口を揃える。以前は小料理屋などの飲食店も多く、人通りも多かった。バブル期はタクシーもつかまえにくく、当時は風俗店への送迎もなかったので、三ノ輪駅や浅草側からゾロゾロと連なって歩く男たちの姿も見られたほどだ。今、そういった人影はほとんど見ない。時代の流れをあらためて感じながら、二人は、一軒のおもちゃ屋さんを覗いた。

玩具問屋には、いまも子ども達が集う

昭和47年から商売を続ける玩具問屋・東都百貨マスヤ商店さん

渡辺:おもちゃ屋も珍しくなりましたね。

奥さん:本来は問屋だから、近所の子ども向けに始めたわけでもないんですよね。でも小売もしているので、お子さんも買いにいらしてくれますよ。


ご主人:昔はお祭りにお店を出す露天商が結構多かったね。埼玉とか新潟、山形とかに露天商のお客さんがいたね。今は後継者不足でみんな辞めちゃった。お得意さんがみんなもう80歳過ぎだからね、奥さんが体調崩して引退しちゃうことも多いよ。露天商は20年前に比べると10分の1くらいになっちゃったよね。露天商の倅はサラリーマンになっちゃうからね・・・。

「あやしい者ではございません」などと言いながら、町の人に話しかけていく、少しあやしげな横田

横田:浅草界隈は露店商、テキヤさんとも言いますが、彼らが今も昔も多い土地ですよね。地元にも根付いてる。酉の市とか、彼らがいなかったら始まらないですよね。テキヤは今いろいろ調べてるんですが、勤め人にならなかった「元気のある」人たちの受け皿になっていた側面があります。こういうところも減っていくなら、昔だったら受け止めてもらえた若い人は、どこにいくんだろうって思いますね。

吉原を復興させた鳶頭 その奥様に出会う

渡辺:こんにちは。昭和20年3月の空襲で焼け野原になったあと、吉原を戦中に復興させたのはご主人様だったと聞きましたが。

奥様:復興させたときの感状が今でもうちにありますよ。江戸消防記念会という組合があって、そこに入っている人たちを「町鳶」って呼んで、町内で火事なんかがあればすっ飛んで行ってお手伝いをしていました。町に飾る門松やお祭りなんかのときもちゃんとその町の担当がいるの。

横田:鳶の方って、「何丁目はこの頭、隣はあの頭」みたいに、町ごとに受け持つ範囲が決まっているらしいですね。「町鳶」というんですか。浅草にはそういうものが江戸時代から続いてると聞いたことがあるんですが。

奥様:そうよ。どの班も自分の持ち場っていうのがあってね。主人が体調を崩しちゃったあとは、うちで長年働いてくれていた人に、担当の地域を譲ったんだけどね。もし誰も譲る人がいない場合は「〇番組」という組合に返して、そこの采配で、後を継ぐ頭を決めてもらう流れね。その割り振りは昔から変わっていないの。だから、他の場所に仕事に呼ばれていくときは、「何番組の○○さん」のところへご挨拶の品物を持って、「このあたりで仕事をさせてもらいますから、どうぞよろしくお願いします」とご挨拶に行くしきたりが今もありますよ。

見どころは玉垣 街を静かに見守る吉原神社


渡辺:横田さん、遊廓付近にある神社の見どころって、なんだと思います?

横田:やっぱり玉垣とかですか?

渡辺:そうなんですよ! 神社の周囲に巡らされている垣や、奉納物にかつて全盛を誇った遊廓の屋号や経営者の名前なんかを見つけることができる可能性が大です。

横田:なるほど。こんにちは~。最近は御朱印ブームですが、どうですか?

社務所の方:御朱印の受付は最近始めたばかりですけど、確実に増えていますね。団体の方も増えましたし、一人でお越しになる方も多いですよ。吉原の歴史を聞いてくる人もすごく多いです。遊廓関連のパンフレットや地図もよく売れます。

境内には明治以来の吉原の変遷を表す地図も。

近在の吉原弁財天。大正時代の大店・角海老の寄進物も残る。

渡辺:吉原神社は確か明治初期に創建されたんでしたよね。

社務所の方:明治5年ですね。遊廓のエリアの四隅と見返り柳に、合計5体のお稲荷さんがあって、それを合祀したのがこの神社です。お稲荷さんが一緒になっているから商売繁盛なんですけど、お祀りしてる弁天様は、芸術と財宝と女性の神様だから、女性の人にも人気なんですよ。

ここで一息入れようと、居酒屋ダイコクさんの暖簾をくぐる二人。かつての吉原をよく知る大将との昔話は尽きない。

「おまえ、どうだった?」男性客の反省会とソープ孃で賑わった居酒屋ダイコク

居酒屋ダイコクさん。「お待合せ処」の意味とは・・・?

渡辺:こんばんは〜。

横田:大将、看板に「お待合せ処」って書いてありましたけど、ソープのお姉さんとお客さんが待ち合わせるんですか・・・?

大将:何言ってんの、違うよ! 昔は、まぁバブルの頃だけど、仲間や職場の男たちがみんなで来て、三々五々ソープで遊んだ後に、うちみたいな居酒屋なんかに集まって反省会してたの。「おまえ、どうだった?」とか「オレはついてたよ〜!」とかね(笑)。僕は今年82歳。ここで生まれてここで育ってね。昭和20年の大空襲のときなんて、防空壕から飛び出したらB29が空をたくさん飛んでてさ。あくる日、一面焼け野原だよ。そんな時代も見てきた。

渡辺:1945年3月10日のいわゆる下町大空襲ですね。この空襲で戦前の吉原は壊滅しました。戦前の吉原に何か思い出ってありますか?

大将:うちは下駄屋もやってたから、まだ店が開いていない朝っぱらに、下駄の配達に行かされてたんだよ。お女郎さんに声掛けると、部屋に引きずり込まれて、口紅跡つけられて。当時寝るときはみんな赤い腰巻一丁でしょ。「この坊主、生意気に勃ってるよ!」なんて笑いものにされて、えらい目にあったよ(笑)。

横田:おおらかな時代だと感じますけど、どんな境遇の女性たちが働いていたのか、想像を巡らせちゃいますね。

飲みながらだと舌が滑らかになる40男二人

大将:ソープもさ、今は0時までにお客さんも女の子もシャッターの外に出さないといけないけど、昔は0時までにお店の中に入れば良かったんだよ。それで、2時3時になって店から出てきた女の子が飲みに来て、うちも夜中まで賑わって。1個12,000円のアワビをみんな頼んでくれたりさ。バブルの頃は、そりゃあ景気が良かったよ。あのときの女の子が「子ども産んだから見てよ〜!」なんて顔見せに来てくれることもあるよ。

渡辺:吉原で働いたことは決して後ろめたいことばかりではなくて、良い思い出、それも街と関わりながら働いていたことが、思い出になってるんですね。

夜のとばりにネオンが輝きだした吉原

横田:さて、日も暮れてソープランドのネオンが煌めきだしましたね。渡辺さん、せっかくの吉原ですから、色街の「色」の中で暮らしている人たちのお話も聞きたいですよね。

渡辺:普通の取材なら難しいような方たちにも、今回特別に時間を割いていただいたとか・・・。ちょっと緊張しますが、今の吉原がどうなっているのか、やっぱり中の人たちに聞かないと分かりません。それでは、色街の中の人に話を伺いにいきましょうか。

次回に続く

プロフィール
渡辺豪(わたなべ ごう):「カストリ出版」代表、「カストリ書房」店主、遊廓家。IT企業でデザイナーなどを務めた後、2015年に遊廓に関する書籍を発行する「カストリ出版」を設立。2016年には遊廓、色町、盛り場等の出版物を中心に扱う書店「カストリ書房」をオープン。
・カストリ書房 東京都台東区千束4-39-3
・Twitter:@yuukakubu

フリート横田(ふりーと よこた):文筆家、路地徘徊家。出版社勤務ののち、タウン誌の編集長を経て独立、編集集団「株式会社フリート」を立ち上げ、代表取締役を務める。戦後~高度成長期の路地、酒場、古老の昔話を求めて徘徊。昭和や酒場にまつわるコラムや連載記事を執筆している。著書に『東京ノスタルジック百景』(世界文化社)、『東京ヤミ市酒場 飲んで・歩いて・聴いてきた。』(京阪神エルマガジン社)。最新刊は『昭和トワイライト百景』(世界文化社)。
・Twitter:@fleetyokota

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