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人生の終盤をどう生きてもらうかーサイエンスだけでは、その答えは見つからない - 「賢人論。」第92回山口周氏(前編)

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大家族の中で、祖父母の老いと死を体験していなければ生身の高齢者に対応するのは難しいかもしれない

みんなの介護 戦後の日本は、大家族から核家族へと家族構成が大きく変化しました。その影響が、いろいろなところに現れているんですね。

山口 そう思います。

個人的な話になりますが、私の妻はイタリア暮らしが長かったので、妻に案内されてイタリアを何度か訪れたことがあります。そのときに感じたのは、イタリアにはかつての日本のように大家族が多いこと。三世代、四世代が同居していて、孫たちはおじいさん、おばあさんと一緒に暮らし、おじいさんたちが老いて弱っていく様子を間近に見て、最期は自宅で家族とともにおじいさん、おばあさんを看取る。

そうやって老いや死を身近に体験し、やがては自分たちの両親が、そしていつかは自分自身が老いと死を迎えることを了解していく。このように、人の終末期に関する教育が自然になされているんですね。

ところが、現代の日本では、おじいさん、おばあさんが年老いて死に至る場面を間近で見る機会など、ほぼありません。例えば統計上、東京では1日数百もの人が亡くなっているはずですが、それらの死は私たちの目から巧妙に隠蔽されています。

近現代の都市には、基本的にバイタルなものしか存在しません。かつてフランスの哲学者ミシェル・フーコーが指摘したように、恐ろしいものや忌まわしいものは人々の目に触れないよう、秘密裡に処理するシステムが確立されているからです。

みんなの介護 多死社会と言われながら、確かに私たちは現実の「死」に接することはほとんどありません。現代において、「死」はなぜかタブー視されていますね。

山口 かつての日本は、そうではありませんでしたね。私自身、子ども時代は祖父母と同居していて、祖父と祖母が徐々に弱っていくのをこの目で見ていました。

あんなに元気だった祖父も、次第にさまざまな能力が衰え、ついには歩けない状態になり、亡くなっていきました。そんな祖父の姿を、私は一緒に暮らしていたからこそ、慈しみのまなざしを見ることができたんだと思います。

改めて考えてみると、今の若い介護スタッフの方たちは、自分の祖父母が老いて死んでいく姿など、見たことがないかもしれませんね。人が老い、死んでいくことを、実体験ではなく、介護のテキストの中でしか知らないのかもしれない。

だとすれば、目の前の生身の高齢者に上手く対応できなくても仕方ないのかなあ、と思ってしまいます。

地域全体でお年寄りの世話をできるかどうかは、そこにコミュニティーが残っているかどうかで決まる

みんなの介護 介護スタッフが高齢者施設に勤務して初めて高齢者と接するのであれば、接し方がわからないのも当然かもしれない、という話でしたね。では、かつての日本のように、高齢者と若い人がもっと日常的に交流を持つようにするには、どうすればいいのでしょうか?

山口 高齢者施設側で何とかしようとしても、難しいでしょうね。たとえば、施設を一般に開放しても、地域の人たちが気軽に遊びに来てくれるとは思えませんから。

イタリアの話に戻りますが、街では、とにかくお年寄りの姿が目につきました。おばあさんたちは家の前に椅子を出して、そこで一日中編み物しながら、通りかかる近所の子どもに気軽に話しかけていたりする。おじいさんたちは、公園やオープンテラスのカフェで友だちとトランプなんかしながら、大きな声で何事か討論している。

その後、日本に戻ってきて驚きました。日本では、屋外でお年寄りの姿を目にすることがほとんどないと気づいたからです。

みんなの介護 日本の場合、高齢者は施設や病院にいる人も多いですからね。一人暮らしの高齢者は、とかく引きこもりがちでもあります。

山口 イタリアのおじいさん、おばあさんが屋外で楽しそうに過ごしているのを見ると、日本のように、施設に閉じ込めてしまうのはどうなのか、と思ってしまいますね。

みんなの介護 国としてもすべての高齢者を施設に入居させるのは難しいと判断しているみたいです。そこで厚労省は5年ほど前から、「地域包括ケアシステム」という概念を打ち出し、「お年寄りは地域のみんなで見守り、ケアしていきましょう」と訴えていますね。

山口 なるほど。でも、それを東京で実現するのは難しいかもしれませんね。東京では、既に地域のコミュニティーが機能していませんから。

東京などの都市部で、なぜ幼児虐待が多発するのか。それは、若い親を支えるべき地域のコミュニティーが崩壊しているからだと思います。そもそも、子どもを育てるのはきわめて難しい仕事なんですよ。なぜなら、子どもは海や山、天候や気象と同じ「自然」だから。

私たち人間は、自然をコントロールすることができません。自然と仲良くやっていくには、例えば天候が回復するのをじっと待つように、忍耐強く接するしかない。ところが、今の若い親御さんたちは、自然と接した経験がほとんどありません。

というのも、私たちの身の回りにあるほぼすべてのものが、「情報」という制御可能なものだから。特にネット社会となった今、多くの人が、何でも自分自身で制御可能だと錯覚している。

でも、赤ちゃんは制御不能ですよね。なんで泣いているのかわからないし、どうすれば泣きやむのかもわからない。きちんと整理された家の中に、突然「荒れ狂う海」が出現したかのよう。すると、何でも制御可能だと思っている今どきの親御さんは、パニックを起こしてしまいます。

みんなの介護 なるほど。すごくわかりやすいたとえですね。

山口 そんなとき、地域のコミュニティーが機能していれば、パニックになりかけた親に代わって、赤ちゃんの世話をしてくれる。荒れ狂う自然に、たった一人で対処しなくていいんです。

同様に、お年寄りも年を取れば取るほど子どもに近づき、制御不能になっていく。子どももお年寄りも、東京のような大都市では受け入れがたい「自然」なんです。だから地域の人々は、近所に保育園の建設計画が持ち上がると猛反対しますよね。

私は4年前に神奈川県葉山町に引っ越しました。すると嬉しいことに、転居先にはまだ地域のコミュニティーが残っていたんです。引っ越し当日の夜は、近所の人たちが「引っ越してきたばかりで、夕食を調理するのは大変だろう」と、路上でバーベキューをしてくれました。私には子どもが3人いますが、近所の人は他人の子どもでも呼び捨てで、きちんと叱ってくれます。

私たちはそれまで、都内のマンションに暮らしていましたが、そこで他人の子を呼び捨てにしたりしたら、大問題になっていたはず。コミュニティーが残っているこの葉山町であれば、地域でお年寄りの世話をすることも可能かもしれません。

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