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「韓国の外交史を学ぶ見学ツアー」に同行して感じたモヤモヤ

韓国「国立外交院」にある外交史料館「外交史展示室」を訪ねた

日本と韓国が国交を樹立した1965年の「日韓基本条約」批准書。ガイドはここを“スルー”した

 戦後最悪の状況が続く日韓関係。彼の地では、現状をどう受け止めているのか。日本の外務省にあたる韓国外交部の関連施設で「韓国の外交史を学ぶ見学ツアー」に遭遇したソウル在住ジャーナリストの藤原修平氏が報告する。

【写真】見学ツアーで“スルー”された展示とは

 * * *
 サムスン財閥のオフィスビル2棟がそそり立つ江南駅(韓国・ソウル市)から南に約1キロ、閑静な住宅街の入り口に、韓国外交部傘下の「国立外交院」はある。

「教育」と「研究」の二つを活動の柱とする機関で、研究分野では全世界の国際関係を対象にしており、その成果を論文としてまとめ研究誌等に発表している。

 教育分野の取り組みは様々だ。韓国外交部の職員を対象とした国際関係や語学の教育を始め、これから外交官を目指す国民を対象にした「外交官候補者課程」、自治体などの高位公務員を対象にした「グローバルリーダーシップ課程」、さらには韓国に駐在する各国からの外交官向けに「外国外交官教育課程」が設けられている。

 その国立外交院で一般向けに「外交史展示室」を開放しているというので、足を運んでみた。展示室は敷地内「外交史料館」の中にある。建物一階に入るとまず、来訪者を出迎えるように竹島専用展示スペースが設置されていた。「東海の朝を開く島、独島」というキャッチフレーズが否応なしに目に飛び込んでくる。ちなみに独島は竹島の韓国名、東海は日本海の韓国名である。
 
 そのスペースに隣接したガラス張りの“教室”のようなところで、小学校高学年くらいの子どもたちがペンを片手に講義を受けている。スクリーンに映し出されている資料を見ると、外交問題や世界情勢に関する内容だ。聞けば、これは小中学生を対象とした「外交官学校」と称される養成課程なのだという。

 お目当ての外交史展示室は、竹島展示スペースの一つ奥にあった。「大韓民国の外交史」を謳ってはいるものの、実際の展示は韓国で近代が幕を開けたとされる1876年から始まっている。

「近代外交の成立と民族の受難」と題されたコーナーで、親子連れが何組か集まりガイドの説明を聞いていた。ガイドは20代後半くらいの今風の女性で、子どもには素敵なお姉さんに見えるだろう。子どもは5名と少ないが、小学校低学年から高学年までと幅広い。一行は外交史展示室の見学ツアーに参加しているのだった。

 彼らに交じって耳を傾けると、当時の朝鮮王朝が諸外国と結んだ不平等条約についての説明中だった。この展示室の出発点である「1876年」といえば、朝鮮が日本との間で江華島条約(日朝修好条規)を結び、開国が成し遂げられた年である。

「日本では条約とか条規という言葉を使いますが、これは事実上強制的に結ばれたもので、内容も日本に都合のいいものになっているんですよ」

 女性ガイドの声が展示室に響く。確かに事実関係としてはそういうことだが、言葉尻が何かにつけ引っかかる。

 そして、日本だけでなくアメリカやフランス、イギリスといった列強諸国とも不平等条約が結ばれたことへの説明に移った。女性ガイドの淡々とした声が続く。

「どうですか? 悪い国ばかりでしょう。どこの国も韓国にとって良くない条件で条約を結んだんですよ」

 近代の幕開けとともに列強と不平等条約を結んだのは日本も同様だ。その点では日本も韓国も大差はない。それでは日本で近代の幕開けについて子どもたちに語るときに、その列強諸国を指して「悪い国でしょう」と話すだろうか。

 内心モヤモヤしていると、1910年の日韓併合条約の解説が始まった。もちろん、それから終戦に至る1945年までの「韓国の外交史料」はない。日本統治下で政府が存在しなかったからだ。その話をした後で、女性ガイドの説明はさらに流麗となった。

「この条約も江華島条約と同じで強制的に結ばれたものなんです。そういうことをやって日本は私たちの国を植民地にしたんですよ」

 ずいぶん鼻息が荒い。1919年に起きた「三一独立運動」の話では、中国の上海に置かれた「大韓民国臨時政府」の説明はほとんどなし。そして一気に終戦・民族解放まで駆け抜けてしまった。

 その後の展示は「解放」から1960年までのコーナーと、朝鮮戦争からの戦後復興を遂げる1960年以降のコーナーが続くが、やはり説明はあっという間に終わり。韓国出身の潘基文が国連事務総長を務めたことも、たった一言で終わった。つまり、1960〜1980年代にかけて経済復興を遂げ、国際社会の一員としての地位を確立していくまでの出来事に、ツアーの説明は一切触れなかったのだ。

 韓国の外交史を振り返るなら、戦後の日本の存在感は決して小さくはないはずだ。1965年の日韓国交正常化も韓国の戦後史におけるビッグイベントの一つである。それに伴う日本政府からの資金援助は5億ドル、さらに民間からの借款まで含めると合計8億ドルに上る。これを財源としてソウルと釜山を結ぶ高速道路などのインフラが整備され現在のポスコが設立されるなど、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展の呼び水ともなった。

 にもかかわらず、戦後の日本との外交関係について説明は全くなかった。不思議に思いツアーから離れてよく見ると、隅の目立たない場所に1965年に結ばれた日韓基本条約の批准書が展示されていた。それについて「戦前・戦中に植民地支配を受け、その影響で戦後は国交が途絶えていたが、それを克服して国交を回復した」などと語るのならば、韓国の外交努力が子どもにも魅力的に見えるはずだ。何も語らないということは、韓国外交部にとって何か都合の悪いことでもあるということなのだろうか。

 外交官の礼服や外交官用のパスポートが展示されているコーナーでは子どもたちも興味を持ち、そこで多少の時間を取ってはいたものの、ツアーのほとんどの時間は「諸外国にやられた、特に日本にやられた」とでも言いたげな説明に費やされていた。

 子ども向けの教育プログラムや見学ツアーには、「外交」に親しんでもらい、その中から外交官を目指すような人材を育てていこうという主旨があるはずだ。しかし「外国にやられた、日本にはやられ続けた」という話ばかり聞いて、「外交官になりたい」と思う子どもがいるだろうか。そんな教育を受けた子どもが長じて外交官になった暁には、どんな対日外交が展開されるだろうか。

 現在の韓国政府は日韓関係を重視するとは言っているが、本当にそうであるのなら、自国の外交史の語り方を少しは考えてほしいものだ。

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