不法就労、まさかの入管が要請か 「協力した」社長証言(朝日新聞)
技能実習先から逃げ出したベトナム人の不法就労を手助けした疑いで兵庫県警に逮捕された人材派遣会社の社長が「一斉摘発を狙う入国管理局に協力し、要請通りに雇用しただけ」と明かし、波紋を呼んでいる。神戸地検は社長の勾留を請求せず、社長を逮捕2日後に釈放した。入管は「一般論」と前置きした上で、「不法就労の事実が明らかな外国人について雇用を継続するよう指示することはない」とコメント。識者らは「要請が事実ならおとり捜査に近い」と指摘している。
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荻野弁護士によると、事件の発端は昨年6月ごろ、約10人のベトナム人が会社に応募してきたことだったという。社長は応募人数の多さなどに不審を感じ、大阪入国管理局(現・大阪出入国在留管理局)へ同社役員と出向き、応募者らの在留カードのコピーを提出。その結果、在留カードが全て偽造と判明したという。
すると、入管の担当者が「応募を断っても他社に応募するだけ」「しかるべきタイミングで一網打尽にしたい」と、積極的な採用を要請。社長はこれに応じ、その後に追加採用した人も含め、同年7月ごろには不法就労状態のベトナム人約30人を工場に派遣するようになったという。
会社側は同月以降、ベトナム人摘発に向けた大阪入管との打ち合わせを会社内や入管神戸支局などで実施。同年9月11日、ベトナム人約30人を工場に運ぶ車両2台を事前に決めたルートで走らせ、同県加東市の加東署前で偶然県警の検問に出会ったことにして入管に摘発させたという。ベトナム人らはその後、入管施設へ収容された。
過去にはハローワークの仲介で就職したにも関わらず詐欺行為で逮捕された人なんてのもいました。ハローワークが反社会的勢力への就業を斡旋していた結果ですが、今も類似の事例は探せば見つかるでしょうか。ともすると公的機関の勧めることならば安心と市井の人々は油断しがちですけれど、それは少なからずナイーブに過ぎると考えるべきなのかも知れません。
さて今回、伝えられるところでは大阪入国管理局主導で不法就労が斡旋され、泳がせたところで入管が「偶然」を装い一斉逮捕に踏み切るという行為があったようです。事態の進展を注視したいところですが、神戸地検の動きを見るに相応の証拠はありそう、入管への疑いは事実である可能性が高いように思われます。
能力主義を採用すると、会議が上手い人、プレゼンが上手い人ばかりが出世するとも言われます。似たような類で成果主義ならばどうでしょうか、果たして「成果」とはなんなのか、この辺りは大阪に限らず全国の入管に聞いてみると良いかもしれません。年功序列否定は日本社会のコンセンサスとして完全に定着して久しいですけれど、では年功に代わる評価基準はどうなのやら。
努力を評価してはいけない、評価の対象は成果でなければならない――そう、したり顔で語る論者は少なくありません。こうした主張の中で無視されているものは色々とありますが、特に重要なのは「成果は機会ありき」ということですね。営業の成果はニーズの有無に大きく左右されますし、巡り合わせ一つで結果は大きく変わるものですから。
野球の先発投手を勝ち星で評価するのなら、その「成果」は所属球団の打力にも大きく左右されます。それ以上に抑え投手ともなれば尚更のこと、セーブ数で評価するのなら「成果」は他人が機会を作ってくれるのを待つしかありません。セーブが付く機会が巡ってくるかは自分ではどうしようもないところ、十分に成果を挙げられるかどうかは本人の責任ではないわけです。
ある程度まで「自分から」営業をかけられるポジションならまだしも、トラブル対応の類が仕事であればどうでしょう。何もトラブルが起きなければ――望ましいことのはずですが――トラブル対応の「成果」は「ゼロ」です。それでも「成果を出せ」と要求されたのならば、いったい何をするべきなのか。トラブルが起こらなければ、担当者は不要な人間と扱われてしまいます。
もし消防署員の求められる「成果」が火事を消した件数であるならば、まずは火を着けることが最適解になります。そして警察官の「成果」が検挙数にあるのなら、成果を上げるためには違反・不法行為の発生を期待する必要があります。では入国管理局における「成果」とはなんだったのでしょうか。大阪の入管が何を動機として今回の行為に手を染めたのかは、追求される必要があります。