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医療に「市場」はなじまない(佐々木実)

5月9日、品川プリンスホテルで行なわれたシンポジウム「社会的共通資本としての医療」(『日経新聞』などが主催)を聴講してきた。拙著「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」を著す過程でお世話になった宇沢弘文の長女で医師の占部まり氏の講演を聴くのが目的だった。

まりさん(普段どおりそう呼ばせていただく)は、宇沢弘文が唱えた〈社会的共通資本〉の概念を的確に捉えている。てっきり父親の著作を深く読み込んだからだとばかりおもっていたけれど、講演を聴き認識を改めた。むしろ、医師としてのご自分の体験から社会的共通資本の考えを自分なりに捉え直し深めたらしいことが感じられたからである。

宇沢は、医療を社会的共通資本の代表的な分野として重視した。宇沢の手強い論敵だったミルトン・フリードマンはかつて、医療は医師と患者の自由契約にもとづくべきで、医療への参入を制限する医師免許制には問題がある旨の主張をした。市場における自由競争によって、おのずとヤブ医者など淘汰されるという考え方だ。

フリードマンの「市場主義にもとづく医療」は、「社会的共通資本としての医療」の対極にある。両者の違いを、宇沢門下生の間宮陽介教授が「社会的共通資本の思想」(『現代思想』2015年3月臨時増刊号)で解説している。

フリードマン流「医療の市場モデル」においては、医者は医療サービスの供給者であり、患者は需要者である。つまり、医者と患者は医療サービスを売買する関係にある。だとすれば、医師が治療する際、金銭的利益を優先させることもありえるし、それを非難するのは的外れということになる。

 では、医療を宇沢流「社会的共通資本モデル」で捉えればどうなるか。「患者の負担は医療サービスに対する対価とは性格を異にする。それは共同(筆者注:医者と患者の共同)の事業に対する寄与であり、その額をどうするかは市場とは別の基準によって決められるべきである」。社会的共通資本モデルにおける医師と患者の関係は、社会学者パーソンズが唱えた「共同の企て(common undertakings)」に類似するとも間宮教授は指摘している。

「医師―患者」の共同関係は、学校における「教師―生徒」についてもあてはまるだろう。実際、宇沢は教育を重要な社会的共通資本とみなした。教師と生徒の関係を、教育サービスを売買する関係として捉えてはならない。それが社会的共通資本の教えである。

医療や教育では「治す―治される」「教える―学ぶ」のように関係に非対称性がある。実際にこうした仕事に携わっている人なら、小難しい理屈抜きで「社会的共通資本」の考えを感覚的に受け入れるだろう。わざわざ新しい学説として提示しなければならない理由を理解しかねる人すらいるかもしれない。

シンポジウム「社会的共通資本としての医療」を聴講して、社会的共通資本の経済学が「現場」に根差す実践的な理論であることをあらためて認識することができた。まりさんの場合、実際のところどうだったのか、今度会うときにたずねてみようとおもっている。

(ささき みのる・ジャーナリスト。2019年5月24日号)

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