- 2012年05月03日 14:25
憲法記念日 自由と人権保障こそが民主主義の目的 橋下大阪市長の「決定できる民主主義」は危険だ
ところが、多くの既成政党が改憲案を発表し、大阪維新の会も改憲しないと実現しない首相公選制や参議院廃止を主張するなど、日本国憲法を取り巻く状況は近年になく厳しいといえるでしょう。
特に気になるのは、最近、橋下大阪市長の「民主主義至上主義」ともいうべき言説「決定できる民主主義」がまかり通っていることです。現在の国際的常識である立憲主義においては、自由主義が目的で民主主義はその手段。民主主義は自由と人権を守るための統治の技法に過ぎません。
つまり、橋下さんが言っていることは目的より手段を上位に置いた本末転倒な議論なのです。
日本国憲法の場合は、自由と人権保障がその存在の目的であることは次の条文が端的に示しています。
第12条1項 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
これを受けて、次の条文は日本国憲法の最高価値である「個人の尊厳」=個人主義を宣言しています。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
すべて国民はただ尊重される、のではなく、「個人として」尊重されるのです。個人個人の違いに着目し、「あなたはあなただから素晴らしい」という「世界に一つだけの花」的な発想が個人の尊厳です。橋下市長の競争至上主義的な教育観は子どもたちの個性に着目しようという姿勢に欠けており、こういう個人の尊厳を大切にする感覚が全くないことを感じさせます。
さて、日本国憲法には「最高法規」という章があるのですが、その最初の条文で、なぜ憲法があらゆる法規の中で最高なのかがわかるようになっています。
第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 つまり、憲法は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である基本的人権を保障しているから、最高法規なのです。 具体的には、次の条文を見ると、 第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 とあり、基本的人権を保障する憲法に反する法律以下の法規をつくり、行為をしても無効であると規定されているのです。 そして、このような人権を侵害してきたのは、歴史的に見ても現在でも権力を持つ公務員です。ですから、憲法は次の条文で、憲法尊重擁護義務を公務員だけに課し、国民には課していません。 第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 憲法を守るべきなのは公務員(橋下市長を含む)なのです。国民はむしろ憲法制定権力者として、憲法を通じて国家に対して「自由と人権を守れ」と命令する側なのです。 自民党から出されている改憲案は、この立憲主義の根本を誤解していて、【第10章 最高法規】
第99条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
などとしており、笑止千万です。 自民党のトンデモ改憲原案はもはや「憲法」とは言えない この国にはまともな政党はないのか民意が忠実に反映されるような選挙制度であれば、選挙で選ばれた国会議員は国民と同質で(治者と被治者の同質性)、真に国民の代表といえるから(「全国民の代表」43条1項)、国民の人権を制約することもありうる法律を作ることを国会だけが許されるのです。
第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
これは、国民と同質の代表者なら国民の人権を制約しすぎて侵害するところまで行ってしまうことはないだろうという想定の下の規定です。
第一に、選挙制度は忠実に民意を反映するものでないといけませんから、死票が大量に出る小選挙区制や定数不均衡で一票の価値が不平等な今の選挙では、前提を欠くといえます。
また、橋下大阪市長は、選挙で勝てば一種の白紙委任を受けたといえるなどと言っていますが、全くの誤りです。
〈橋下徹・大阪市長に聞く〉選挙、ある種の白紙委任「弁護士は委任契約書に書いてあることだけしかやってはいけないけれど、政治家はそうじゃない。すべてをマニフェストに掲げて有権者に提起するのは無理です。あんなに政策を具体的に並べて政治家の裁量の範囲を狭くしたら、政治なんかできないですよ。選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」
代表者は民意を反映するからこそ代表者ですし、国会や地方自治体が法律や条例を作る権限を憲法から与えられたのは、選挙で選ばれない行政や裁判所よりも自由や人権を尊重するはずだからなのです。
もちろん、議会は討論と妥協の過程を十分経たうえで法律・条例を作らなければなりません。たとえば支持母体が労働組合でも、代表としては「全国民の代表」なのですから支持母体の労働組合の命令を受けるのではなく、全国民の利益を考えて自由に考え行動できければなりません。これを憲法学では命令委任ではなく自由委任といいます。
しかし、それは白紙委任ではありません。
民主主義の目的は自由と人権を守るためにありますから、民意をできるだけ反映するようにしなければなりません。これを社会学的代表(法的には拘束されないが事実上は民意を反映した代表)などといいます。だからこそ、議員定数不均衡などもってのほかですし、死票が大量に出る小選挙区制ではなく民意を忠実に反映する比例代表制を中心にすべきです。
消費税増税のために比例代表の議員定数を80削減したら、日本の民主主義は本当に終わってしまう!
代表者は、なにより立憲民主主義の目的である国民の自由と人権をできるだけ尊重するように努めなければなりません。
橋下市長は、大阪市職員に対する思想調査アンケートなどについて、政治活動への関与を問うアンケートの回答を強制された大阪市職員が市を提訴したことについて、橋下徹市長は2012年4月25日、報道陣に「裁判所で決まればいい。調査方法がやりすぎだったかどうかも、司法の判断が出る」と述べました。
しかし、まず、選挙で選ばれた代表者がなぜ権力を行使できるかというと国民と同質で人権侵害をしないだろうと期待されてのことなのです。人権侵害しても裁判所で決めればいい、のではなく、まず自分が過去の判例や学説にのっとり、人権侵害をしない義務があるのです。
裁判で不法行為に基づく損害賠償が認められれば、支払われるのは大阪市民の血税です。
自分勝手な考えで人権侵害してもいいと考え、そのせいで被害者が生まれ、そしてまた市民の税金が使われることに痛痒を感じない橋下市長は何重もの意味で民主主義を曲解しているといえるでしょう。
その思考はまさに独裁者的です。
橋下維新の会は「決められる民主主義」を標榜し、「首相公選制」や「一院制」を唱えていますが、たとえば首相公選制は世界でどの国も採用していません。
三権分立を中心とする権力分立の考え方は世界中でとられていますが、これは権力の濫用を防ぎ、もって自由と人権を守るためです。権力同士の抑制と均衡によって権力の暴走を防ごうとしているのです。
たとえば一院制は一見物事がスムーズに決まってよさそうですが、今の衆参両議院のねじれ現象によって、民主党政権がしたい消費税増税などが思うに任せず、野田民主党政権の暴走が防がれているのは悪いことばかりではありません。衆議院と参議院が存在して政府が慎重な決定を迫られるのは良いことであることが多いのです。こういう権力の抑制と均衡のシステムを統治上の自由主義というのですが、民主主義の目的が自由と人権保障にあり、自由主義が上位にあることも知らない橋下市長がまかり間違えば一回の選挙で内閣総理大臣になりかねない首相公選制など、極めて危険であることは明白だといえるでしょう。
今、求められているのは、むしろ国民の自由と権利を守ることを目的とする「熟慮断行」のはずです。言うことが次々と変わる「コロコロ王子」は要りません。



