- 2019年05月31日 09:15
定年退職後に出家するシニアが増えている
2/2日本の会社員は社会保障が充実しているので、老後の出家が可能
花園大学の佐々木教授は言う。

古代インド仏教に詳しい花園大学の佐々木閑教授。(撮影=鵜飼秀徳)
「現代社会で本式に出家することは、とても難しいことです。しかし、社会人として定年まで全うし、人生を駆け抜けると、出家したのと同じ状態になる。つまり、シニアは地位や収入を、すでにある程度手に入れてしまっているので、その後の人生において我欲を求める必要があまりない。そのうえ、日本のサラリーマンは社会保障が充実しているので、老後の出家が十分可能です。そういう意味では、人生の後半戦、第二の人生として出家し、仏門に入るというのは、理にかなっているといえます」
しかし、日本の仏教教団の多くは、釈迦の時代のように「誰でも出家できる」(借金を抱える者や、病気の者は例外的に出家できなかったが)わけではない。
先に佐々木教授が述べたように、そもそも古代インドでは、出家者には広く門戸が開かれていた。年齢制限もなく、また、修行メニューもその人の体力や能力にあわせて、できる範囲で行えばよかった。
ところが、日本の仏教の修行内容は、老若男女を問わず一律であるのが通例。道場では「高齢で膝が悪いから、坐禅や正座の時間を短くしてあげよう」などという配慮は一切ない。厳しい規律を守りながら、仏教学を学び、作法などを体得していかねばならない。修行中は束縛そのものであり、精神的にまいって、途中で断念する修行僧も少なくない。
5年間で「柴田さんに続け」と、出家した人が67人も出た
そこに登場したのが臨済宗妙心寺派の「第二の人生プロジェクト」で、リタイア組(60歳以上)の参加者を想定し、ハードルを下げた修行メニューを用意した。体調を損なわないよう休憩も多めに設定し、家族との面会もできる。携帯電話やパソコンも部屋にいる時に限って許可をするという。
そうして、この5年間で「柴田さんに続け」と、出家(得度)した人が67人も出てきたわけだ。
「私のように第二の人生において、寺に入ってもいいという人が増えていけば、無住の寺を再生することができます。また、その方にとっても充実した老後が送れるはずです。今の時代には広く人材を集めることが仏教界に求められています」(柴田さん)
実は柴田さんはこの春、自坊のある長野県千曲市を離れて京都に移住した。近い将来、「第二の人生プロジェクト」に応募して僧侶になった後継者に、正式に開眼寺住職の座を譲るという。開眼寺は柴田さんが私財を投じ、苦労して再生した寺だ。しかし、あっさりと寺を手放すという。
「開眼寺には愛着はありますが、自分の寺という認識はありません。寺は私の所有物ではないですから。ビジネスライクに考えれば、ひとつのつぶれかかったお寺を再生し、次の人にバトンを渡す。ただそれだけです。一般企業でも同じことでしょ」
80代なら学費は80%引きで仏教を大学で心行くまで学べる
驚くことに柴田さんは妻の弘子さん(82)と共に、佐々木教授のいる花園大学文学部仏教学科にこの春、入学した。花園大学では、「100年の学びの奨学金制度」なるプロジェクトを2018年よりスタートさせた。50歳を超えた入学者には、年代分の割引(柴田さんの場合、80代なので学費80%引き)が適用できるという制度だ。柴田さんは同大学が始まって以来の、最高齢の新入生となった。

今春、花園大学文学部仏教学科に入学した柴田さん。(撮影=鵜飼秀徳)
「私の場合、残された人生はせいぜいあと5、6年でしょう。そこで、自分に与えられた人生とは一体、何だったのか。いま、この段階で学校に行くことは、人生を振り返るのにとてもいい方法なのではないかと考えました。人生の最晩年に哲学や宗教を学ぶ。実に理想的ですよ」
柴田さんや弘子さんは、孫ほど年が離れた学生と一緒に、授業を受け、ストレッチなどの体育の必須科目も受講しているという。
柴田さんは、「若い人たちと学べて、楽しくて仕方がない。これまで仏教を体系的に学んだことがなかった。2年生から受けられる佐々木先生の授業を受講するのが楽しみ」と話す。
老後を仏教ととともに歩むのも人生も選択肢のひとつ
そんな柴田さんに対して、佐々木教授もエールを送る。
「つまり柴田さんの場合、人生で2度、出家されたということですね。最初は定年退職してお坊さんになられた。そして今度は、寺からも出家する、という、稀有なケースです(笑)。檀家のいない寺の住職だったとはいえ、寺の運営という世俗的なお仕事の面もあったでしょう。そうした部分も今回、ぜんぶお捨てになった。『もはや、しがみ付くものが何もなくなった』という状態でしょうね」
「柴田さんを見ていると、まさにお釈迦さまの時代の出家のあり方そのものだと感じます。本当に精神的な喜びだけを満たすために、学校に入学されたということであれば、これはお釈迦さまの出家となんら変わらないですから。こういう柴田さんのようなケースが今後、ますます増えていくといいですね」
私自身、自戒を込めていうが、寺に生まれたからといって僧侶としての資質が備わっているかといえば、それは別問題だ。若い頃に出家しても、我欲を捨て、執着から離れることはなかなか難しい。だから、時に世間から「生臭」などと批判も浴びる。僧侶の資質問題が、現代の仏教離れなどにも繋がっている側面は否めない。
そう考えれば、柴田さんのように人生を重ねたシニアに、「老後出家」という手段がもっと、ひらかれてもよいのではないか。在家出身僧侶と既存の僧侶が混じり合うことは、仏教界にとっても決して悪いことではないだろう。
僧侶とは、職業ではなく、生き方そのものであると思う。老後を仏教ととともに歩んでいく。そんな人生も選択肢のひとつに入れられてはいかがだろうか。
(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳 撮影=鵜飼秀徳)
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