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特集
十人十色のはたらく論
私たちは、人生の少なくない時間を仕事に費やしています。昔から、おそらくはこれからも。ただ、昔と比べると「仕事」の持つ意味が広がり、人の数だけ「はたらき方」があるのが今の時代ではないでしょうか。私たちは今後どうはたらくか=どう生きるか、今月のBLOGOSでは、そんなことを考える特集をお届けします。

「好き嫌いでできるほど仕事は甘くない」森昌子が振り返る“歌手”という職業

  • 2019年05月31日 08:15
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BLOGOS編集部

4月末、都内某所にあるコンサートホールの舞台上には、年内の引退を発表したばかりの森昌子の姿があった。「青春を過ごした仲間」であるファンからの声援を受け、この場所では現役中最後となるショーを惜しむように、豪華な代表曲を披露した。

1972年に13歳でデビューし、一度の引退を挟み人生の半分以上を「歌手」として過ごした森。引退を発表した今、どんなことを考え、これまでのキャリアをどのように捉えているのか、思うところを語ってもらった。【取材・構成:島村優 撮影:大本賢児】

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今は「やりきった」という感覚

年内は引退ツアーでスケジュールが埋まり、各地のファンからの要望で当初の予定を超えたコンサートをこなす、超多忙な森昌子。引退を発表した現在の気持ちを聞いてみると、意外にも「すっきりした」心境なのだという。

「発表するまでは、いろんな気持ちを抱えて苦しい時もありましたが、皆さんにお知らせできた今、本当にすっきりして晴れやかな気分で過ごしています。年内いっぱい頑張る!その思いを強く持って、全国ツアーの1回1回の公演に全身全霊で臨んでいます。ファンの皆さまの温かい拍手と声援を体で感じて、本当に充実した毎日を送っています」

13歳の時に歌手デビューし、結婚を機に一度引退した時期を挟み、人生の半分近くの時間を歌手として過ごしてきた。これほど長く続けてきた仕事から離れることを想像したのは、還暦を迎えた今後の人生をじっくりと考えた時だった。引退に寂しさはなかったのだろうか。

「それはありません(笑)!…というのも、13歳のデビューから仕事をしてきて、今日まで歌手として本当に様々な仕事をさせていただいて…『やりきった』という感覚が強いです。

『引退』が頭をよぎったのは、昨年10月に還暦を迎えるにあたり、残りの人生を考えた時に、もう少し穏やかな時間の中で、芸能活動以外のことで人生を充実させたいと思うようになったことがきっかけでした。事務所に相談したところ『これまで応援してくださった皆さまに自分の言葉で感謝を伝えてからでも遅くはない』という言葉をもらって、今年いっぱいまでコンサート活動を続けてから引退することを決めました」

歌手として「どうあるべきか」だけを考えた

デビューのきっかけは、引っ込み思案の森を見かねた叔母が、度胸試しとして「スター誕生!」に応募したこと。予選会場だった有楽町のそごうに連れられ、都はるみの「涙の連絡船」を歌ったところ、審査員だった阿久悠の眼鏡にかない審査を通過。同じ年のチャンピオン大会で初代グランドチャンピオンに選ばれ、翌年7月には中学2年生で歌手デビューする、という絵に描いたようなシンデレラストーリーだった。

「私は小学校からずっと周りとうまく馴染めず、友達がいない“いじめられっ子”でした。それが夏休み明け、テレビで『森昌子』を見たみんなが声をかけてきて…正直、戸惑いましたね。『デビューしてよかった』と自分が感じることはなかったように思います。それよりも『森昌子』に関わるいろんな大人の人たちの期待に応えたいとか、両親と3人で今よりもう少し良い暮らしができるようになりたいとか、そういうことを感じて過ごしていましたね」

当時は、朝6:30に起きて学校に行き、6時間目まで授業を受けてから、校門の前まで迎えに来た事務所の車に乗り込み、テレビ局へ向かうという生活。余りにも忙しい生活で、目の前のことに対応することで精一杯、当時の記憶はほとんど残っていないという。

「車の中には、偏食の私のために母が作ってくれたお弁当があって、それも私が好きなものしか入っていないお弁当(笑)。そこにいつも『今日も頑張ってネ』とか書かれた母のメモが入っていました。一言だけなんですけど、それが嬉しくて、そのおかげで仕事を頑張れた気がします。テレビの生放送が終わったら番組の収録、そのあとラジオや雑誌の取材や撮影などが続いて、家に帰れるのは夜中の2時とか。お風呂で寝そうになって母に声をかけられたことも何度もありました」

当時は音楽業界にとても元気がある時代。年にシングルを4枚、さらにアルバムを数枚発売するようなスケジュールも珍しくなかった。レコーディングがひと段落すれば、テレビで新曲を披露し、すぐに次の曲の制作に取り掛かる…と、めまぐるしいスピード感で進む毎日に、仕事が辛いと思うことはなかったのだろうか。

「同級生のようにもっと自由な時間が欲しい、という思いはなんとなくありましたが、仕事が辛い、つまらないと思うことはなかったですね。私は歌手になったんだから『こういうものなんだ』という感じでしょうか。私が歌うことで喜んでくださるファンの皆さんがいる、と思えていたので、自分がどうしたいか、どう思うかということは考えず『歌手・森昌子としてどう存在するか』ということを常に考えて行動し、歌い続けてきた気がします」

美空ひばりから教わったプロの姿勢

目の前のことを一生懸命こなす慌ただしい生活の中で、プロとしての意識が芽生え始めたのは、美空ひばりから直接言葉をかけられたこともきっかけの一つだった、と振り返る。

「14歳ぐらいの子供だった私にも、ひばりさんは『歌手は自分がどんな状態であってもお客様に満足して帰っていただかないとダメ』と、コンディションにかかわらずベストなステージをする姿など、言葉だけではなく身をもって示してくださいました。歌に関しても『お姉ちゃまの曲を歌う時にはちゃんと歌ってほしいから』と仰り、直接ひと節ずつ口伝えで教えてくださいました。

15歳の時、浅草国際劇場で森昌子ショーを初めて行った時には、稽古中に『マチャコ、来たわよ!』とひばりさんが突然来てくださって。私が立って歌っていると『マチャコ、舞台は広いのよ。この曲は真ん中だけじゃなくて、こうやって上手(かみて)に歩いて歌って、また歩きながら反対側の下手(しもて)に動くの』と細かい所作や立ち居振る舞いを丁寧に教えてくださいましたね」

こうした姿勢を見せてもらったことは今でも自分の「宝物」だとし、今でも「しっかりと私の中に根付いている」と感じることが少なくないという。その後、長きにわたって第一線で歌い続けてきたが、大切にしてきたことは何よりも「目の前のお客さんを喜ばせること」だった。

「歌手の私にとって長年『仕事』=『歌うこと』でした。目の前のお客さんにどうしたら想いを届けられるか、喜んでもらえるかを何千回も繰り返してきましたので、目の前の人を歌で感動させることには多少なりの自信はあります。ただ、結婚を機に20年間休んでいた間に、世の中やテレビは歌謡よりバラエティや情報番組が主流になり、私の活動も時代の流れにある程度合わせなくてはならないことが増え、そこからはまた一つひとつが勉強でした」

仕事に「好き嫌いは関係ない」

森に仕事の話を聞いていると、最初に口を出てくるのは常に「お客さんを喜ばせる」ということ。自分はこうしたい、自分がこんなことが好き、といった言葉は不思議なほど話題に上らない。長く歌手として活躍してきたが、今でも歌は好きなのだろうか。

「歌はもともと好きでしたけど、『歌うこと』を『仕事』にしてから、『好き』とかそういう対象じゃなくなっていたんですよね。好きなことを仕事にしてもいいと思いますが、仕事になったら『好き』という対象ではなくなります。仕事は仕事、好きとか嫌いではない、私はそう思います。

好き、嫌いの感情を大事にしたい人は、趣味?として楽しんで、仕事は別のことをされた方が幸せかもしれませんね。大小は関係なく、報酬をいただくためには、好き嫌いを超えた次元で、一生懸命ひたむきに頑張らないと…ね。皆さんもそうでしょう?甘くないですよ(笑)」

2010年代はアイドル全盛の時代でもあった。13歳でデビューした森さんに、彼女たちの存在はどのように映っているのだろうか。先輩歌手として思うところを聞いてみた。

「私はそんなに強い思いがなくて、違いましたけど(笑)、歌手やアイドルになりたい人の話を聞くたびに、皆さん情熱があって素晴らしいなと思います。今は本当に情報が多い世の中なので、いろんな勉強ができる環境があって羨ましい時代だなと思う一方、そこから一歩抜け出すのは大変だろうとも感じます。

昔なら、がむしゃらに頑張って進めたのが、今は結果が想像できて途中で諦めてしまうこともあるのかもしれないな、と。私に言えることは、とにかく、やりたいなら続ける、ということですね。絶対に経験はウソをつきません。必ずどこかで活きてきます。だから、興味があるものはなんでもやってみてください。それで『違うな』と思えば、また別の道を頑張ればいいです。誰のものでもない、自分の人生ですからね。自分を大切にしてほしいです」

「皆さまもいつまでもお元気で」

公演は森のコンサートではお馴染みとなったコント仕立ての前半と、代表曲をじっくりと歌い上げる歌唱メインの後半という構成。ステージ上を縦横無尽に動きまわったと思えば、続く曲では想いのこもった力強い歌声を響かせる。年齢による体力の変化やコンサートが続くことの疲労は感じないのだろうか。

「一日に2時間公演を2回、それが数日続くと流石に体力的にキツイですよ(笑)。でも不思議なもので、ファンの皆さんに拍手や声援をいただくと、スーっと魔法がかかったように消えるんです。それで頑張れていますね。引退を決めたこともあり、1ステージを真剣に、1曲1曲に魂を入れて歌っています。それを12月までやり続けること。それが、今私ができる、ファンの皆さまへのせめてもの恩返しだと思っています」

27歳で結婚を機に一度引退し、20年後に復帰した森は、自分と同じように子育てを終えたファンは「青春を過ごした仲間」だとし、「最後まで一緒に駆け抜けたいですね」と語る。最後にファンへの思いを聞くと、返ってきたのはやはり感謝の言葉だった。

「一人っ子で孤独な時間が多かった私にとって、ファンの皆さまはとても大きな存在でした。コンサート会場では声援から元気をもらい、お手紙には励まされ、どれほど心強かったことか分かりません。

本当に長い間、雨の日も風の日も変わらぬご声援をありがとうございました。皆さまのおかげで森昌子は本当に幸せな歌手生活でした。これから残された時間は皆さまとの思い出を胸に抱き、のんびりと過ごして参ります。どうか皆さまもいつまでもお元気でいてください。いつもどこかでこの大切な思い出を思い出していますね。本当にありがとうございました」

森昌子㊗還暦コンサート
~爆笑!コントで綴る昭和歌謡パート3~
全国130ヵ所ツアー中
詳しくは公式ホームページへ
http://www.morimasako.jp/category/concert

プロフィール

森昌子
1971年「スター誕生!」の初代グランドチャンピオンとなり翌年「せんせい」でデビュー。「おかあさん」「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」など、歴史に残る名曲を世に送り出し、1985年のNHK紅白歌合戦では史上2人目となる「司会+トリ」を務め、国民的歌手としての地位を不動のものにするが翌年結婚のため引退。2006年ファン待望の復帰。現在は歌手活動のみならず、バラエティやナレーションなど活動は多岐にわたる。

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