- 2019年05月30日 09:15
アンチエイジングに勤しむ日本は息苦しい
2/2■「画一性」が生み出す社会の閉塞感
さらにそれ以上に問題なのはファストビューティーの画一性だ。みなが認める価値に留まり続けることに疲れたら、あるいは別の価値観を求めたくなったら、本人にとっては不本意でも社会的価値に反する生き方を迫られることになってしまう。外見表現の画一性は生き方の自由をも制限する可能性があり、それゆえ社会の閉塞感に結びつく。
そもそもみなが認める表現でない表現を始めるのは勇気がいることだろう。誰も認めてくれないかもしれないのに、それでも「これが私だ」と押し切って実行できる人はどのくらいいるだろうか。もし実行できたとしてもその次にいじめや村八分のように社会集団から排除される可能性が立ちはだかる。家族や友達など身近で大切な人に反対されたり反発されたりして大切な人間関係を失ってしまう可能性もある。
1920年代に世界の歴史上初めてパリから女性のショートヘアが流行し始めた頃、映画を通じて知った大正時代の日本女性の中にいち早くショートボブにした人がいた。その中には、ショートヘアにしたことを理由に親から勘当された人がいる。勘当とは親子の縁を切られ生涯親と会えなくなることだ。誰もしていないショートヘアにすることで近所中から好奇な目で見られ、ゴシップ雑誌にありもしない悪い噂話を面白おかしく書きたてられて今でいう「炎上」になったこともある。
■100人を100通りの美人にする
大多数の主流とは異なる価値の表現は社会的評価を失う原因にもなりうる。私の専門である哲学から見れば人の外見はアイデンティティに直結するため、外見表現の自由が守られることは個人の自由と人権が守られることと同じだ。画一的な価値の社会ではこれが難しい点が問題である。
そこで解決策として私は「スロービューティー」を提案している。ファストフードに対してスローフードがある。その土地にしかできない食材をその土地に伝承された方法で料理し、食文化や生態系を守りながらじっくり味わう地に足の着いた食だ。スロービューティーも同じ発想だ。人は1人として同じ顔や体に生まれついていない。だからその人が1番素敵な表現は1人1人違っているはずだ。
ファストビューティーは100人を1通りの美人にする美容だが、スロービューティーは100人を100通りの美人にする美容だ。美という価値の基準がファストビューティーでは個人の外にあるが、スロービューティーでは個人の中に置く。それゆえ社会の中で美が多様化する。これを「人それぞれの美しさ」と名付けた。
しかしそれだけではまだスロービューティーには足りない。価値の基準を自分の中に置いたとしても、たとえば20歳の自分と40歳の自分を比較して、「20歳のときはよかったなあ、今は衰えてしまって。60になったらもっと衰えるのか……」では、ファストビューティーの若さという画一的な価値から脱していないからだ。
■1年前の「素敵な自分」と今日の「素敵な自分」は違う
人は生きていれば必ず年を重ねる。年を重ねるということは、変わることだ。内面も外面も変わる。たった1年でも変わる。思い出して欲しい。1年前の今日あなたがもっとも素敵に見えた髪型や化粧や服装はどんなものだったか。今日あなたがもっとも素敵に見える髪型や化粧や服装と同じなのか。違うはずだ。来年の今日だって違うだろう。20歳の自分の美しさと40歳の自分の美しさと60歳の自分の美しさは違って当然であるばかりか、比較はそもそも無意味だ。どれも違うそれぞれ固有の美しさがある。
毎年毎年その年にしかない素敵さ(美しさ)を表現して、それを積み重ねて生きて行くこと、それを「年それぞれの美しさ」と名付けた。これら2つを合わせて「人それぞれ・年それぞれの美しさ」、それが「スロービューティー」である。これが私の定義だ。
■人の価値は「若いこと」だけではない
私がスロービューティーの提唱を始めたのは2003年のことだ。当時の美容は美白とアンチエイジングが結びついた美白全盛期で、化粧品は美白や即効性など高機能の開発と消費者への訴求が盛んで、美容整形の普及が本格化を始めるなどファストビューティーの加速化が始まった頃だった。
ファストビューティーの問題点に気づいた私は「自分たちで自分たちの首を絞めて息苦しくしていることにみんなで気づいてやめれば楽になる」という思いを抱いていた。スロービューティーはNHKラジオや日経新聞の「春秋」コラムなどにも取り上げられたが、普及しなかった。
今回、寄稿の機会をいただき、改めて社会に向けてスロービューティーを発信する意義を考えてみた。最近まで12年近く1人で母を介護し看取った体験を通じて母から教えられたことは、人が生まれて生きて時には病になって老いて死ぬことの当たり前さ、自然さ、そして当たり前だからこその美しさ、素晴らしさ、それこそが人間の価値だということだ。介護と看取りという体験がなければそんな当たり前なことも見えにくい社会に生きていることにもまた気づいた。
人の価値は若いことだけではないし健康なことだけでもない。生きていること、あるいは生きたことそのものにある。自分が生きていることそれだけですでに素晴らしいこと、美しいことだから、そのことをじっくり味わうことから生まれる自分の表現、それが「人それぞれ・年それぞれの美しさ」だ。いまの私はスロービューティーにそんな意味も込めて再び世の中に投げかけたい。
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石田かおり哲学研究者(化粧の哲学・AIの哲学)、駒沢女子大学教授、博士(被服環境学)
お茶の水女子大学博士課程まで哲学(現象学)を専門に学修し、1992年株式会社資生堂入社から化粧の哲学を開始。2000年に一度退職し、駒沢女子大学専任教員と同時に資生堂客員研究員に就任(資生堂は2018年まで)。学習院女子大学、日本女子大学、早稲田大学非常勤講師を過去歴任。『化粧せずには生きられない人間の歴史』『化粧と人間』『おしゃれの哲学』ほか著書多数。毎日新聞(2001年~2005年)や『美的』(2007年~2010年)の連載を始め、テレビ、新聞、web等のメディアでも広く活動。
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(哲学研究者(化粧の哲学・AIの哲学) 石田 かおり 写真=iStock.com)
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