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「あらゆるところで株式会社化が進んだために、現代人は長期的な視野を持てなくなっている」 - 「賢人論。」第90回内田樹氏(前編)

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今の人たちがすぐバレる嘘をつくのは人々の時間意識が縮減してきた証左でもある

みんなの介護 近年、中央省庁の障害者雇用に関するデータをはじめ、厚労省の裁量労働制や毎月勤労統計、さらには民間企業の検査データなど、さまざまなデータの改ざん・ねつ造のニュースを耳にするようになりました。

政治家、科学者、大学教授、作曲家、高級官僚や大手企業など、それなりに社会的地位の高い個人や組織が、なぜ簡単にバレるような嘘をつくのか。内田さんはその理由について、著書『困難な成熟』の中で解説されていました。誰もがすぐバレる嘘をつくのは、私たちの「時間意識」がそれだけ短くなっているから、ですね?

内田 「株式会社化」というのは、ひとつは組織内の合意形成を軽んじる、トップダウンの非民主的・独裁的なシステムに制度変更されるということ。ですが、それだけでなく、短期間のうちに、数値的・外形的に可視化された結果を出すよう求められるということでもあります。

それは、科学者や研究者の世界でも例外ではありません。科学研究というのは本来、「学術共同体」という集団としての営為です。ある研究分野で成果を上げるためには、過去数十年、数百年に及ぶ先人たちの研究成果の上に、各自の実験結果や知見を少しずつ積み上げてゆく。先行者たちの「肩の上」に乗って、次の世代の学者は研究をする。先人の業績を受け継ぎ、同世代の研究者たちと協働し、後続する研究者たちに手渡す…という長期に渡る集団的営為なのです。

でも、今の科学研究では「集団的営為」という点も、「長期的事業」という点も、どちらも軽んじられている。理系も文系も、今は若い研究者の多くは3年間、あるいは5年間の任期制です。任期中にかたちの見える成果を出さなければ、失職するリスクにさらされている。ポストを得るか失うかというのは、完全に個人的な出来事です。ですから、「私の業績」というものを分離して示さなければならない。

任期制では、腰を落ち着けて、結果が予測できないけれど、「何かがありそう」な研究分野に突っ込んでゆくという冒険的なふるまいが許されない。どういう成果が上がるかが事前に予測できる研究にしか予算がつかないんですから「海のものとも山のものともつかない」ような研究には誰も手を出せなくなった。

わが国の学術的イノベーションがここまで低下したのは、「短期的に」「目に見える成果」を出すことを制度的に強要したせいです。

みんなの介護 なるほど。研究者の人にも生活があり、養うべき家族がいるはずですから、データをねつ造してでも、成果を上げたくなるでしょうね。

内田 短期間のうちに、数値的に表示できる成果を出さなければならなくなったからです。データを捏造したり、「ハゲタカジャーナル」に投稿して論文点数を稼いだりするのは、なりふり構っていられないからです。そんな不正はいつか必ずばれます。でも、ばれるまでは食いつなげる。そこまで切羽詰まっています。先のことまで考える余裕がなくなっているからそういうことが起きるんです。

逆に言えば、どんな嘘をついても、不祥事を隠蔽しても、それがばれて事件化する「前に」その場を逃げ出せれば、非を咎められずに済みます。バブル末期の銀行トップがそうでした。 膨大な不良債権を抱えているにもかかわらず、自分の在任中に事件化して責任を取らされることを避けるため、事態を隠蔽してゾンビ企業に「追い貸し」を続けた。 そのせいで、最終的に銀行本体は破綻することに。彼らはいわば自分を救うために、会社を潰したのです。

人々の時間意識が短くなっているのは、それだけ私たちがサルに近づいているから

みんなの介護 人々の平均寿命は長くなっているのに、思考パターンはどんどん短絡的になってきている。これって良くないこと…ですよね。

内田 良くないです。すごく、良くない。でも、時間意識の短縮は世界的な傾向です。文明史的に言えば、人類は明らかに退化の方向に向かっています。「サル化」していると言っても良い。

そもそも「時間意識」は、人間の知性や倫理性と密接にリンクしています。目の前で起きている現象を、どれだけ長いタイムスパンの中で捉え、考えることができるかに知性も倫理性もかかっている。

繰り返し登場する「パターン」を検知するためには、過ぎ去った出来事をリアルに再生できる能力が必要ですし、それが再現されるかどうか見極めるためには、その「パターン」を未来に投影する必要がある。

みんなの介護 だから、時間意識を長く持たないといけない、ということなんですね。

内田 はい。一方で、時間意識の短い人は目の前の現実にしがみついて、それに居着いているので、長い時間をかけて再帰する「パターン」を発見することができない。科学的知性にとっては時間意識が短いというのは致命的なことです。

時間意識は倫理性にもダイレクトにかかわります。例えば、異常に時間意識の短い人は、その場の怒りに駆られて、人を傷つけることを抑制できない。その後、わが身に起こること、罪に問われるとか、社会的制裁を受けるとか、友だちを失うとか、そういう未来をリアルに想像できないんです。そういう「サル化」した人は一時的な感情の高まりを抑制できない。

ある事象を「今」「今日」という時間軸でしか捉えられない人と、「ここ5年間」「この先10年間」、あるいは「宇宙の始まりから終わりまで」というスケールの時間軸で捉えられる人とでは、ものの考え方もふるまい方もまったく違ってくる。目の前の現実をどれほど長い時間的文脈の中で捉えることができるか、その時間意識の広がりが知性と倫理性にストレートに相関する。

みんなの介護 例えば、どういうことでしょうか?

内田 「朝三暮四」という中国の故事があります。春秋時代(紀元前8〜5世紀)の宋の国に狙公(そこう)という人がいて、何匹もサルを飼っていました。サルの餌には、とちの実を朝に4粒、夕方に4粒与えていた。でも、懐具合が苦しくなってきて、コストカットしなければならない。狙公は飼っているサルたちに、こうもちかけました。「とちの実を朝に3粒、夕方に4粒でどうか」と。

すると、サルたちは激怒しました。そこで、「では朝に4粒、夕方に3粒ではどうか」と提案したところ、サルたちは大喜びした。そういう話です。サルたちは、朝の自分も夕方の自分も「同じ自分」だという、半日程度の自己同一性も保持できない生き物だったということです。

みんなの介護 日本でも、学校で習う有名な故事ですね。

内田 これに類する逸話は春秋時代にたくさんあります。「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も自分を時間的な文脈の中において捉えることができない人間の姿を「笑い話」として描いています。確かに、彼らには「確率」とか「排中律」とか「因果」という概念そのものが欠落している。

これは、その時代までは実際に「そういう人」がいた、ということだろうと僕は思います。極端に短い時間意識しか持っていない人間が、その時代の中国にはまだいた。その人たちをどうやって教化して、時間意識を持たせるか。それがその時代の文明史的な急務だった。

それから2,500年経って、再び人類の「サル」への退行が始まった。僕はそういうふうに見ています。

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