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老いて変わっていく祖父を見た経験が、僕を「NO TOMORROW」の精神に駆り立てた - 「賢人論。」第89回箭内道彦氏(後編)

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故郷である福島への思い、クリエイターとしてのこだわりなど、さまざまなことを語る中、箭内道彦氏の口からこんな言葉が出てきた。「実は、短い間だったけど、介護の経験があるんです」と。話は、箭内氏の浪人時代にさかのぼる。世間ではまだ何者でもなかった頃の箭内氏の介護体験とは、どんなものだったのか?

取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人

スランプに陥って実家に帰った浪人時代

みんなの介護 東京藝術大学はかなりの難関校として有名です。でも、浪人時代の箭内さんは、予備校の中でもデッサン力がピカイチで、有望な受験生だったそうですね。

箭内 はい、自分で言うのも恥ずかしいくらい、有望視されていました。「明日が試験でも受かる」って、1年目の年から講師の先生に太鼓判を押されてましたからね。それで落ちても、「まぁ、浪人経験も後々で役に立つから」なんて慰められたりして。

ですから、自分でも天狗になっていたところがあったんですけど、さすがに浪人して3回目の試験に落ちたときはショックが大きかった。合格発表の掲示板の前で腰が抜けて、一緒にいた仲間に上野駅までおぶってもらわないと帰れなかったくらい。

みんなの介護 そのショックをきっかけに箭内さんは、スランプになってしまったそうですね。

箭内 ええ、大スランプです。1年間、毎日休まず絵を描いてきて、それでもダメって何やったらいいの?という感じ。

でも、それまでの自分を反省してみると、まるでロボットが描くように絵を描いてきたんだなってことに気づいたわけです。描きたい絵を描きたいという衝動がないまま、受験に受かるための絵をただ機械的に描いていた。確かにそんな絵で受かるはずがないというのがそのときの結論で、僕は実家に帰ることにしました。

みんなの介護 実家に帰るほど思い詰めてしまったんですか。

箭内 実家の商売がうまくいってるとは言えない頃でもあったし、少しでも自分が力になれるのであれば帰る意味もあるかなと、絵を描かない自分を正当化するための帰省でもありました。

認知症で祖父が変わっていくのを見るのは辛かった

みんなの介護 帰省してからは、どんな日々でしたか?

箭内 実家で暮らすようになってしばらくたった頃、夜中に、住んでいた祖父母の家から「うぉーっ」という叫び声が聞こえたんです。

何が起こったのか、すぐにはわかりませんでしたが、認知症になった祖父の声であることは明らかでした。

みんなの介護 認知症になると「夜間せん妄」といって、夜間に気分が不安定になって多動になったり、興奮状態になることがよくあるようです。

箭内 当時はそんな知識もありませんから、みんな動転してしまって。昔の家は戸のガラスも薄かったですから、父が拳骨でそのガラスを割って、血だらけの手で鍵をあけて家の中に入っていたときの光景は、今も強烈な記憶として残っています。

その後、暴れる祖父をなんとか鎮めることができたものの、これが一時的な出来事でないことは明白でした。祖父の認知症が進めば、同じようなことや、それ以上にひどいことが起こるに違いありません。ですからその日、父は祖父の布団を自分の家に運んで、住まいを移そうとしたんですけど、僕はそのとき、「冷静に全体の状況を把握したうえで行動したほうが良い」と言ったんです。

父は8人兄弟の3番目でした。それが、隣に住んでいるというだけの理由で祖父の介護をすべて抱え込むと、家庭にも遅かれ早かれ、大きな負担がくるのは時間の問題だと、21歳の浪人生の立場ながら考えたわけです。ただ、ちょっと冷たい考えだなと、当時もそして今も、罪悪感を感じないわけではないですけど…。

みんなの介護 でも、親の介護がきっかけで子どもたちの兄弟仲が悪くなるというケースは珍しくないですよ。箭内さんの判断は、ある意味で正しかったと思います。

箭内 そう言っていただくと、少し救われます。結局のところ、介護に直接かかわるのは近くに住んでいる者の役割になるのは必然であり、母が担当する部分は多く、そして当然、浪人生の僕も、母と交替で祖父の食事の介助をしたり、おむつを変えたりしました。

祖父が亡くなったのがその年の12月で、その直後に祖母も亡くなるんですが、その数ヵ月の間、認知症が進んだ祖父が、僕の知っている祖父でなくなっていくのを見るのは辛かったですよ。

それから、病院の方々が、子どもに話しかけるように祖父と接するのにも違和感があって、そのたびに勝手に悲しくなりました。

みんなの介護 老いは誰もが避けられないことですが、とてもつらい局面を見てしまったわけですね。

箭内 そう、だからこのときの体験があって、「NO TOMORROW」とか、「明日なき疾走」といったロックの精神に惹かれていったのかもしれません。後先考えずに、死ぬときは絶対ポックリ逝きたいと。

そんな考えが東日本大震災をきっかけに180度変わったことは、前編のインタビューで述べたことですけど。

みんなの介護 ところで、受験のほうはその後、どうなったのでしょうか?

箭内 帰省中は今まで話した通り、いろいろなことがありましたから1枚も絵を描いていませんでしたし、「絵を描きたい」という衝動も湧いてきませんでした。

東京藝大の試験って、朝の9時から夕方の4時まで、1枚のデッサンをずっと描く実技があるんです。すると、画用紙に向かった途端、すーっと無心になって描きたい気持ちが浮かびあがってきたんです。

奇跡のような瞬間ですが、それが祖父の介護の体験と関係があるかどうかはわかりません。絵を描いていなかったおかげで、たまたまそのとき、「描きたい」という気分になったというだけなのかもしれません。

ともあれ、4度目の正直で僕は東京藝大に入学することができました。

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