- 2019年05月22日 17:00
故郷に対する感情が「憎」から「愛」に傾いていった - 「賢人論。」第89回箭内道彦氏(前編)
1/2
タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」など、既存の枠組みにとらわれない広告キャンペーンを数多く手がけるクリエイターの箭内道彦(やない みちひこ)氏。本業のほかにテレビやラジオのパーソナリティを務めたり、バンド活動にも旺盛で、東日本大震災が起こった年には、猪苗代湖ズのギタリストとしてNHK紅白歌合戦にも出演。2015年には、福島県クリエイティブディレクターに就任し、自治体のブランドイメージを創造するクリエイターの先駆けとなった。そんな箭内氏に故郷・福島県への思いについて、話を聞いてみた。
取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人
「207万人の天才。」からすべてが始まった
みんなの介護 故郷・福島県で音楽フェスを開催したり、猪苗代湖ズとして活動している箭内さんを見ている者には意外ですが、最初から「故郷大好き」というわけではなかったようですね?
箭内 僕は東京藝術大学に入学するのに3浪しているんですけど、その過程で田舎では「才能ないんだからやめればいいのに」とか、「いい年して親に迷惑をかけて何やってんだ」といった噂の標的になるんです。家族でご飯を食べてるとき、ポジティブな話より、そういうネガティブな話がおいしい「おかず」なんですよね。
そういうのが嫌で、自分を知る人が誰もいない東京に出ていったわけですから、福島には愛憎の「憎」の部分のほうが大きかった。
だから、サンボマスターからCDジャケットの制作を依頼されたときは、同郷の山口(隆)くんと福島の「嫌いなところ」で盛り上がって。その結果、ままどおるズというユニットを組んで『福島には帰らない』なんて曲を作ってライブで披露したりしてました。
みんなの介護 2007年6月、箭内さんが『情熱大陸』(TBS系)に出演した際、その曲を演奏する様子が紹介されて、箭内さんの「福島嫌い」は全国的に知れわたることになります。
箭内 そう、それがきっかけで放送直後、地元の新聞、福島民報社の営業部の副部長がノーアポで僕を訪ねてきて、「福島県民を元気にする広告を作ってほしい」と依頼してきたんです。
当然、「『こんな色の髪の毛じゃ福島には帰れない』なんて歌詞を書いてる人間は適任者じゃない」って断ったんだけど、「福島のネガティブな部分を知ってる人にこそやってほしい」とねじ伏せられて、断る理由がなくなりました。
こうしてできたのが、「207万人の天才。」という広告で、これが2007年8月1日付の福島民報の創刊115周年記念号の誌面に掲載されたんです。
みんなの介護 207万人というのは当時の福島の人口ですね?
箭内 そうです。震災があって、今では200万人を割ってしまいましたけど。
福島県民というのは、自分をアピールするのが苦手というか遠慮深いところがあるんです。そんな人たちに、自分で気づいてなかったり、隠してたりする才能を見つけて欲しい、そんなメッセージを込めました。
今思えばそのメッセージは、県民に伝えたかったという以前に、福島に対して「憎」の感情を抱いていた自分に向けて言いたかったことだったのかもしれません。
自分の至らなさを福島のせいにしていた
みんなの介護 そのころは、福島に対する思いは「愛」のほうに傾いていたんですか?
箭内 そうですね。いちばんのきっかけは2010年8月に、僕がMCをつとめる『トップランナー(NHK)』に友人でもある福山雅治さんがゲストとして出演してくれたことです。
そのとき、話の流れでふるさと談義になりまして、彼が自身の故郷である長崎に対してこんな発言をしたんです。
自分(福山)は、やりたいことができないとか、自分の殻を破れないと思ったとき、いつも長崎のせいにしていた。だけどあるとき、悪いのは自分の至らなさを故郷のせいにしている自分のほうだと気づいた──と。
その言葉は、ぐっと僕の胸に刺さりましたよね。まさに自分のことを言い当てられたような気がしました。福山さんは僕より5歳も若いんだけど、こんな風に、アニキのように大事な示唆を与えてくれる人なんです。
みんなの介護 同年の9月、箭内さんは同郷のミュージシャンたちと「猪苗代湖ズ」を結成しますが、これにはどんなきっかけがあったんですか?
箭内 その前年に僕の地元、郡山市で「風とロックFES福島」という野外ライブイベントを開催したんだけど、この年から「風とロック芋煮会」と名前を変えて毎年恒例のイベントになっていくんです。
このときの参加メンバーの中には、ままどおるズの山口隆(サンボマスター)をはじめ、僕と別のユニットを組んでいた福島県出身のミュージシャンがいました。ゆべしスというユニットの松田晋二(THE BACK HORN)と、薄皮饅頭ズの渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)です。そこで、この「風とロック芋煮会」を機会に、すべてのユニットがひとつにまとまったのが猪苗代湖ズでした。
そのときできた「アイラブユーベイビー福島」という曲は、実に福島愛にあふれた歌なんですけど、当時は僕の中の郷土愛もまだ「未発達」で、一緒に歌うのが気恥ずかしくてモゴモゴした感じで歌っていたのを覚えています。