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- 2019年05月22日 16:26
法曹養成と弁護士をめぐる「認められない」認識
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法科大学院本道主義にしがみつく立場の方々は、法曹志望者減という現実を前にしても、「改革」の弁護士増員政策の影響という視点を、極力持ちこまない傾向にあるようにとれます。これまでも書いてきたように、増員政策の失敗によって、弁護士という資格の経済的価値は大きく棄損され、その意味で、志望者にとってかつてのような魅力がある資格ではなくなった。このことを志望者減少の決定的な要因として受けとめている人たちは、いまや弁護士会内に沢山います。
法科大学院制度を中核とする新法曹養成は、法科大学院修了を司法試験の受験要件とすることで、志望者に経済的時間的負担をかけていることは事実ですが、あくまでそこは、前記資格取得後のリターンに見合うかどうかでかかわっている要因に過ぎません。現在、行われようとしている法科大学院制度見直しの発想では、ある意味、その時間的負担によるマイナス面だけを認め、時短策でなんとかしようとしています(「法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの」)。
また、制度擁護派の中に根強くある、司法試験元凶論、つまり司法試験に受かりやすい制度、しかも法科大学院側ではなく、司法試験がもっと合格させさえすれば志望者は帰って来るという論調も、全くその先の弁護士資格の経済的価値の異変を度外視している、といわざるを得ません。
そして、これが「改革」路線主流の発想であるがゆえに、現在の「改革」見直し論議のなかのどこにも、弁護士の経済的価値を復活させる方向の具体的な方策も議論も見つけ出すことができません。
前記したような発想の制度擁護派が、どこまで本気で、このままの弁護士の状況でも志望者が返って来ると考えているのかは分かりません。しかし、彼らがなぜ、そういう発想を採らざるを得なくなっているのかは簡単に推察できます。
いうまでもなく、そうでなければ、いよいよ法科大学院制度にとって、致命的な結論を導き出しかねないからです。弁護士資格の価値の毀損に踏み込めば、弁護士会内から聞こえてくる増員政策の失敗による生んだ供給過多解消という状況に向き合わなければならなくなる。その結果、合格者減が現実的政策として選択されることになれば、大学起こしとして始めたはずの法科大学院の経済的妙味がなくなるどころか、根本的に現在のような制度としてはもちこたえられなくなる――。
したがって、法科大学院制度維持を前提に考えれば、志望者減という状況も弁護士の増員基調のなかで解消されるというシナリオを描かなければならない。そのために、たとえ弁護士の経済的異変があっても、それは増員によって、如何ともしがたい供給過剰が生じているとは決してとらえない。旧態依然とした弁護士の業態によるニーズのミスマッチ論も、ニーズはまだまだある論も、数が需要を生み出すという開拓論も、要は弁護士の努力次第で何とかなる未来に、むしろ延々と期待をつなげざるを得ない状況に陥っているのではないでしょうか。
「改革」路線に対するスタンスの違いによって、「改革」がもたらしている法曹養成と弁護士の現状について、全く違う認識が示された、というよりも、その認識の違いを鮮明にすることにこそ意義があったというべき、あるシンポジウムの記録が、今、ネットに公開されています。
札幌弁護士会が昨年9月14日に開催し、同会ホームページで抄録を公開している「これからの法曹養成制度を考える~法曹養成の危機にどう向き合うか?」と題したシンポジウムです。
パネリストの久保利英明弁護士と森山文昭弁護士は、ともに法科大学院教育にかかわる経験を持ちながら、「改革」路線に対するスタンスを全く異にしている二人(「新司法試験批判と法科大学院の認識の問題」 「『生き残り』策に引きずられない法科大学院中核論」)。詳しくは是非お読み頂ければと思いますが、これを読む限り、予想通り、少なくとも法曹養成の現状認識ではほとんどかみ合っていません。
現在の志望者(志願者)減の根本的な原因はどこにあると考えるか、というコーディネーターの問いかけに、森山弁護士は「弁護士業界の地盤沈下」と、法科大学院を修了しないと基本的に法曹資格が取得できない制度のおカネと時間の負担を挙げ、「果たして現在の法曹界というのがそれに見合った仕事だと言えるのかという、そういう疑問がやはり志願者が減ってしまった一番大きな原因」としました。
これに対して、久保利弁護士は「(原因は)簡単なことであって、要するに司法試験に受からないのではないかという不安感、これが、そんな難しい試験を受けてもしようがないというところにつながっている」と。当初修了の7、8割の司法試験合格のはずが2、3割しか受からず、未修者は壊滅状態、3000人合格のはずが1500人で低迷、「弁護士になっても食えないというのを日弁連の中にも一生懸命おっしゃっている人」がいて、「これはだめだというふうに見限られたのかもしれない」としました。
合格率1~2%でありながら、志望者が殺到していた旧司法試験では、志望者に受からない不安感がなかった、とでも、久保利弁護士は言うのでしょうか。驚くべきことに合格率や合格者数の低迷は、そうした受験資格のためにプロセスを強制しながら合格レベルの人材輩出できていない法科大学院の実力の問題でも、無謀な増員政策の失敗でもなく、徹頭徹尾、受からせなかった司法試験が悪い、とおっしゃっているように聞こえます。
法科大学院制度を中核とする新法曹養成は、法科大学院修了を司法試験の受験要件とすることで、志望者に経済的時間的負担をかけていることは事実ですが、あくまでそこは、前記資格取得後のリターンに見合うかどうかでかかわっている要因に過ぎません。現在、行われようとしている法科大学院制度見直しの発想では、ある意味、その時間的負担によるマイナス面だけを認め、時短策でなんとかしようとしています(「法曹養成見直し2法案審議が映し出したもの」)。
また、制度擁護派の中に根強くある、司法試験元凶論、つまり司法試験に受かりやすい制度、しかも法科大学院側ではなく、司法試験がもっと合格させさえすれば志望者は帰って来るという論調も、全くその先の弁護士資格の経済的価値の異変を度外視している、といわざるを得ません。
そして、これが「改革」路線主流の発想であるがゆえに、現在の「改革」見直し論議のなかのどこにも、弁護士の経済的価値を復活させる方向の具体的な方策も議論も見つけ出すことができません。
前記したような発想の制度擁護派が、どこまで本気で、このままの弁護士の状況でも志望者が返って来ると考えているのかは分かりません。しかし、彼らがなぜ、そういう発想を採らざるを得なくなっているのかは簡単に推察できます。
いうまでもなく、そうでなければ、いよいよ法科大学院制度にとって、致命的な結論を導き出しかねないからです。弁護士資格の価値の毀損に踏み込めば、弁護士会内から聞こえてくる増員政策の失敗による生んだ供給過多解消という状況に向き合わなければならなくなる。その結果、合格者減が現実的政策として選択されることになれば、大学起こしとして始めたはずの法科大学院の経済的妙味がなくなるどころか、根本的に現在のような制度としてはもちこたえられなくなる――。
したがって、法科大学院制度維持を前提に考えれば、志望者減という状況も弁護士の増員基調のなかで解消されるというシナリオを描かなければならない。そのために、たとえ弁護士の経済的異変があっても、それは増員によって、如何ともしがたい供給過剰が生じているとは決してとらえない。旧態依然とした弁護士の業態によるニーズのミスマッチ論も、ニーズはまだまだある論も、数が需要を生み出すという開拓論も、要は弁護士の努力次第で何とかなる未来に、むしろ延々と期待をつなげざるを得ない状況に陥っているのではないでしょうか。
「改革」路線に対するスタンスの違いによって、「改革」がもたらしている法曹養成と弁護士の現状について、全く違う認識が示された、というよりも、その認識の違いを鮮明にすることにこそ意義があったというべき、あるシンポジウムの記録が、今、ネットに公開されています。
札幌弁護士会が昨年9月14日に開催し、同会ホームページで抄録を公開している「これからの法曹養成制度を考える~法曹養成の危機にどう向き合うか?」と題したシンポジウムです。
パネリストの久保利英明弁護士と森山文昭弁護士は、ともに法科大学院教育にかかわる経験を持ちながら、「改革」路線に対するスタンスを全く異にしている二人(「新司法試験批判と法科大学院の認識の問題」 「『生き残り』策に引きずられない法科大学院中核論」)。詳しくは是非お読み頂ければと思いますが、これを読む限り、予想通り、少なくとも法曹養成の現状認識ではほとんどかみ合っていません。
現在の志望者(志願者)減の根本的な原因はどこにあると考えるか、というコーディネーターの問いかけに、森山弁護士は「弁護士業界の地盤沈下」と、法科大学院を修了しないと基本的に法曹資格が取得できない制度のおカネと時間の負担を挙げ、「果たして現在の法曹界というのがそれに見合った仕事だと言えるのかという、そういう疑問がやはり志願者が減ってしまった一番大きな原因」としました。
これに対して、久保利弁護士は「(原因は)簡単なことであって、要するに司法試験に受からないのではないかという不安感、これが、そんな難しい試験を受けてもしようがないというところにつながっている」と。当初修了の7、8割の司法試験合格のはずが2、3割しか受からず、未修者は壊滅状態、3000人合格のはずが1500人で低迷、「弁護士になっても食えないというのを日弁連の中にも一生懸命おっしゃっている人」がいて、「これはだめだというふうに見限られたのかもしれない」としました。
合格率1~2%でありながら、志望者が殺到していた旧司法試験では、志望者に受からない不安感がなかった、とでも、久保利弁護士は言うのでしょうか。驚くべきことに合格率や合格者数の低迷は、そうした受験資格のためにプロセスを強制しながら合格レベルの人材輩出できていない法科大学院の実力の問題でも、無謀な増員政策の失敗でもなく、徹頭徹尾、受からせなかった司法試験が悪い、とおっしゃっているように聞こえます。