- 2019年05月22日 12:08
令和の時代にまだ体罰 親の体罰も禁止すべき時代だというのに、体罰がダメという当然のことが共有されない社会
高校でのこの体罰にはさすがに驚きというか、一体、いつの時代なのと思うような事件でした。
「後ずさる部員に平手打ち 尼崎市教委「体罰容認の空気」」(朝日新聞2019年5月22日)
「後ずさりする部員を叱責(しっせき)しながら断続的に10回以上、ほおに平手打ちを繰り返した。部員は叱責に「はい」「はい」と返事をしながらたたかれ続け、やがてひざから崩れ落ちた。
部員が気を失っていた20~30分の間、コーチは名前を呼びかけるなどしたが、救急車を呼ぶことはなかった。」
救急車を呼ばなかったのは、やってはいけない体罰だということの自覚くらいはあったということでしょうが、あまりに自己本位です。
最悪のことを考えて行動する、が自分が懲戒解雇になるという「最悪」の場面を想定して行動するというお粗末さです。
意識を失わせるまでの暴力であり、傷害罪として処罰を受けるべき事案です。教育界からは永久追放が当然です。もともと教員ではないようですが。
昭和の時代ならまだそういった風潮がありましたが、今や体罰がダメとされた平成、令和の時代です。
未だに意識の中に体罰が許容されているという発想が根強く残っているということでもあります。
親の体罰でさえ禁止されようとしている時代なのですが、こちらも「しつけ」と称した体罰(暴力)を容認する感覚が未だに国民の中に根深く残っているということに愕然とします。
人を叩くのはダメ
あまりにこの簡単な命題が何故、理解できないのでしょう。暴力がダメということは他人のものを盗んではいけませんということと同じくらい、簡単なことなのですが。「家庭内であろうと子に対する体罰を明文をもって禁止すべきとき 体罰必要論を克服していこう」
考えてみれば、交通事故もそうですが、かつては交通戦争と言われたほど交通事故に伴う死者が毎年多数に上っていました。それでも国民の意識改革がなされることなく、ただ自己中心的に車を運転して事故が起きてしまってから、どうしようという低次元な時代がありました。当時の日本国民の中には、交通事故による死亡事故など他人事にしか考えていなかったし、他人の生命に対する発想が非常に軽く考えていたのでしょう。人権意識も希薄です。
交通事故に対する刑事罰は今でこそ重罰化がされましたが、当時は重罰化しようという雰囲気すらありませんでした。飲酒運転が横行していことが何よりもこうした認識を物語っています。
他人に対して優しさがない、そんな社会そのものを変えたいものです。



