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高校生マザーズは「おめでとう」を聞いたか

■日本の10代妊娠・出産

日本の10代妊娠・出産に対する対応は遅れていると言われる。

3年前に京都府であった妊娠後の半強制退学(卒業のためには体育授業の出席が必要と生徒側に説明)問題に関して、国会で質問としてとりあげられ、それに対して少し前に文科省から回答と通知があった(妊娠した生徒への対応等について)。

この通知の後半、アンケート回収部分を見ると、やはり妊娠に伴う退学は多い。この退学を、主体的なものと外部から勧められたものを合わせると40%ほどになる。

前者が2%程度と一見「自主的」判断が多いと捉えてしまうのだが、1.この決定者には保護者も含まれること、2.また若者の「決定」あるいは決定全般において「完全な自己決定」はないという哲学的指摘(J.デリダ)も含めて考えると、妊娠に伴う退学の決定には、まわりの大人たちの意見が多かれ少なかれ含まれている。

そんなものかなあと流してしまいがちになるが、これが「働く女性」であればどうなるであろうか。

当然、手当も含んだ産休や育休制度が適応され、困難ではあるものの会社復帰の仕方が人事と当人との間で話し合われるだろう。当たり前だ。

けれども、高校生は「退学」を周囲から迫られる。生活をどうする、赤ちゃんは誰が育てる、結婚するのか等、一見常識的な問いを周囲の大人たちは当事者に、つまりは「高校生マザーズ」予備軍に叩き込んでいく

■「生命倫理」

が、よく考えれば、「妊娠したことに関する内面的深み(その戸惑いや喜び等)」のような話し合いはすっと飛ばされ、いきなり「なぜこうなったのか」というお説教や「産んで食べていけるのか」という現実生活の問い質し等の次元に当事者を引きずり回す。また、産休・育休制度といった社会的仕組みのことなども当然調べられることもない。

頭から、「なぜ妊娠した!」の大合唱である。

そんなことを、先日行なわれた「高校生マザーズ」のイベントで僕は問いかけた(高校生マザーズ~その声に耳をかたむける)。

すると参加者たちからは、上のような意見(妊娠出産に対する「現実的」意見)も述べられた。だが、その参加者たちは実際に10代妊娠・出産を経過した人も含まれており、一般社会の堅い意見というよりは、すべてを経験した人の深みと痛さとやさしさがそこには含まれ、通常の規範議論の押し付けにはならなかった。

とにかく、10代の妊娠には苦労が伴う。そんな簡単なものではないが、周囲の大人が社会規範や現実的側面から安易に判断と押し付けをするものではない。

それは、現実の厳しさも踏まえた上での個別的判断、お腹のなかの赤ちゃんの生命のあり方も含めて深く議論する必要がある、倫理的な領域、つまりは10代と周囲の大人たちが背負い分かち合う

「生命倫理」

のジャンルに含まれるものなのだと、僕は「高校生マザーズ」の時間の中で考えた。

■善悪のずっと「手前」の段階

倫理は、「他者と自己」の間で決定される。決して自己だけ、他者だけが判断するものではない。自己を含んだ複数の人間たちのコミュニケーションの中で、ケースごと、瞬間ごとにそれは判断されていく。

10代妊娠者たちの高校生活と出産(中絶)に伴う種々の決定は、社会システムがほぼない現在だからこそ、生命倫理的な議論が欠かせない。お金はどうするのか、どこで産むのか/堕ろすのか等の現実的判断は、ずっとずっと後になってギリギリのところで行なわれる。それが倫理というものだ。

だがまずは、当事者が当事者になっているその状況(高校生妊娠)を、周囲の他者が受け入れる段階が必要になる。言い換えると、その状況を善悪から判断しないずっと「手前」の段階で受け入れて肯定する段階がある。

善悪の判断、金銭面や高校生活の維持等の現実的な判断の「手前」に、まずはその状況とそこにいる人(女性高校生とその赤ちゃん)を「肯定」する必要がある。上のJ.デリダ風にいうと(『ユリシーズ・グラモフォン』)、

「ウィ/オッケー/はい」

という言葉をつかって、その状況と状況にいる当事者たち(女性と胎児)を「肯定」する段階がある。善悪や金銭的判断のずっとずっと手前に、「はい/ウィ/オッケー、あなたはそうなんですね、私は了解しました」と周囲が述べる段階がある。

まず周囲の他者たちが肯定的に受け止めたその次に、善悪の判断やカネの問題は待っている。イベントで経験者の女性たちが深い表情とともに述べた現実的問題が待ってはいるが、その前に、その状況になってしまった事態そのものを当事者と一緒になって受け入れ、肯定する段階、あるいは言葉の始原的な意味において、状況そのものを「歓迎」する段階がある。

■すべての高校生マザーズに『おめでとう』と言ってあげたいが、今はまったくその言葉がない

その、状況の肯定、あるいは始原的な歓迎、またはその状況にいる当事者への祝福、という段階が、現在の10代妊娠にはなさすぎる。現実的諸判断をいつでも誰でも議論し、その上で(暴力的といってもいい)決断・判断が下される(中退や中絶)。

そうした通俗的決定の前に、始原的ウィがある。その後、中絶するにしろ登校しつつ出産するにしろ、残念ながら中絶するにしろ、パートナーが去るにしろ結婚するにしろ、そのずっとずっと手前に、妊娠状況そのものに対する肯定の段階がある。

その段階に対して、「高校生マザーズ」イベントの発表者である奥田紗穂氏は、

「すべての高校生マザーズに『おめでとう』と言ってあげたいが、今はまったくその言葉がない」

と表現した。この「おめでとう」は、上に書いた始原的ウィだと僕は思う。いちばんはじめの段階では、「ウィ」だけしかない。その段階で、高校生マザーズたち(妊婦含)は「おめでとう」を聞くことができるか。聞けるように僕は問題提起していきたい。

※Yahoo!ニュースからの転載

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