ゲーム開発者たちの奮闘をまとめたマンガ『若ゲのいたり』(KADOKAWA)が話題だ。筆者は「最低下ネタお下劣パロディマンガ家」を名乗る田中圭一氏。ベストセラー『うつヌケ』に続き、なぜシリアスなテーマを手がけたか。田中氏に聞いた――。(後編、全2回)/聞き手・構成=的場容子

「真面目なマンガ」は裏切り行為だと思っていた
――田中さんの名刺には「最低下ネタお下劣パロディマンガ家」と書かれています。しかし最新作『若ゲのいたり』(KADOKAWA)は、ゲーム業界のマンガ版『プロジェクトX』を思わせるような、至って真面目なマンガです。近作の『うつヌケ』『ペンと箸』も真面目な内容ですが、なぜ作風が変わったのでしょうか。
それまでは自分を「お笑い芸人」だと思っていたんです。お笑い芸人がドラマで「いい脇役」をやるのを目にするたびに、「裏切り行為だ!」と思っていたぐらいなので。ただ、ほかのギャグマンガ家さんが真面目な作品を描いてヒットを飛ばすのを見るたびに、「自分には描けないからうらやましいな」という嫉妬もありました。
お笑い芸人では、伊東四朗さんは映画の名脇役で、北野武さんは映画監督、片岡鶴太郎さんは画家としても成功しています。要するに、みんなお笑いを卒業して、「上がり」のポジションに行っている。そして自分はそこには行かず、「お笑いにこだわろう」というプライドもあったんです。
パロディ漫画で培った技術をインタビューマンガで展開
――ギャグマンガ家であることに信念とプライドを持っていたんですね。
ところが、『ペンと箸』を始めたとき、最初はコメディ寄りで描こうと思っていたのが、取材して聞く話がどれもいい話だったから、そのままいい話に描かざるを得ない、と思い始めたんです。
――『ペンと箸』は著名マンガ家の子供の目線から、天才の素顔を食べ物にからめて紹介するユニークな作品ですよね。そのお仕事が田中さんにとっての転機になったんですね。
そうなんです。毎回の絵柄をマンガ家さんに合わせて変えるのですが、私はパロディ漫画家ですから、モノマネ芸は得意なんです。手塚治虫、赤塚不二夫、ちばてつや、ジョージ秋山……。培った技術をうまく発揮できました。一方で、インタビューマンガは初めてだったので、いい話をうまくまとめる方法などの勉強にもなりました。
笑えるエピソードを整理して、「泣ける話」にまとめた
――『若ゲのいたり』は泣ける話が多く、とても読み応えがありました。とてもパロディ漫画家の仕事とは思えません。
今回は取材で集めたエピソードのどれを主軸にするかを毎回はっきりさせることを意識しました。たとえばロボットバトルゲームの金字塔『バーチャロン』を作った亙重郎さんの回(第9話)は、実はもっと笑えるエピソードがいっぱいあったんです。でも、それを描いてしまうとちらかってしまう。
だからマンガでは、亙さんの「ロボットを主役にしたゲームを作りたい」という思いに、「ロボットが主役のゲームは絶対ヒットしない」と常務がかたくなに反対するという対立関係にフォーカスしました。笑えるエピソードを整理して、「泣ける話」としてまとめています。そういうまとめ方は、最近身につけた技術ですね。
――ギャグマンガの使命が「セオリーを破ること」だとすれば、田中さんの最近の仕事では「セオリーを踏襲すること」を磨きあげているわけですね。
今まで「セオリーを破ること」だけをやりすぎた反動ですね。変化球を思いついては投げるんだけれど、とんでもない空振りを取れたり、とんでもない暴投をしちゃったりということで不安定極まりない。そして、必ずしも読者はそれを望んでいるわけではないということがわかってきました。

なぜ手塚治虫先生の絵柄をパロディ対象に選んだか
――セオリー通りに書いた『うつヌケ』が大ヒットするまで、田中さんはギャグマンガ家一本の期間が長かったわけですが、その「ための期間」についてはどう振り返っていますか。

『うつヌケ』を読んでもらえればわかるとおり、僕には10年間という「うつ」の期間があったわけです。そこを脱出したときに、気持ちも頭もすごくスッキリして、かなり冷静に「真面目なマンガを描く」ということに取り組めたんです。
ギャグマンガ家一本だったときには「ウケなきゃいけない」という思いがすごくあって、人がやらないようなとんでもないことをしなければ、と思っていました。だからこそ手塚治虫先生の絵柄をパロディにするという「絶対やっちゃいけないこと」をやっていたんです。
――「恐れ多くて誰もやらないだろう」ということですね。
そう。それは記録を出し続けないといけないアスリートがドーピングに手を出すのと同じで、心も体もボロボロになるんですよね。それが幸いにも、うつを抜け出したところで、「この演出は過剰すぎる」とか「ここは切り取ったらまずいよな」とか考えながら物を作れるようになりました。