自公連立政権誕生から20年。そして、公明党を率いる山口那津男氏(66)も、代表に就いて10年……。政権の一翼を担う男の正体に迫る!
「おまえの~ほかに~」と、フランク永井の『おまえに』の一節を口ずさみ始めた山口代表。
「おじいちゃんおばあちゃん相手に歌うと、しみじみ聴いてもらえます。落選中には、『山口さん、 “ブランク長い” ね』って(笑)。石原裕次郎も歌いますよ」(山口代表、以下同)
東大法学部卒で弁護士。お堅いイメージがある前歴ながら、中学のブラスバンド部時代からトロンボーンに親しむ音楽好き。硬軟織り交ぜて、自民党と公明党の連立政権を支える一翼である。
このところ、安倍政権の「驕り」ともいうべき事態が相次いだ。塚田一郎・前国交副大臣や桜田義孝・前五輪相の失言が続き、批判を浴びた。
「やはり政権を持っている側は、自らを戒めていかなくてはなりません。塚田副大臣、桜田大臣の件では、国民の皆様にご心配をおかけし、本当に申し訳なく思います。我々公明党は、『政府与党連絡会議』などの席上で、安倍さんに苦言を呈してきました」
「安倍一強」という政治状況が続いて久しい昨今。公明党が担う役割は、より重い。
「ある県知事の方が、『自公政権は車みたいなもの』とたとえていました。エンジンと車体は自民党の役割。アクセルとブレーキの踏み加減も、急ブレーキや急発進ではいけません。
また、ハンドルさばきが大事です。大きく右や左に逸れてはたまらない。それをコントロールするのが、公明党の役割なんです。自公連立に代わる選択肢は、残念ながらありません。
自公は、現実的な政権運営ができる、もっとも安定感のある組み合わせだと思います。連立合意に謳っているように、『謙虚さと真摯な姿勢』を、絶えず肝に銘じなくてはなりません」
2020年11月に安倍晋三首相(64)は、憲政史上最長の在職日数となる。歴代最長の政権を見据え、山口代表に安倍首相への「忠言」を聞いた。
「政治的、政策的な目標に辿り着く前に、慎重に、幅広い合意をつくる努力を重ねてほしい。近道や抜け道を進むのではなく、王道を進んでほしいです。総理大臣はものすごくご苦労がありますから。私の議員生活のなかでも、稀に見る安定政権。
安倍さんは、直観力が優れ、人を大事にします。ですが人事では、人が推薦すれば、受け入れてしまう。『決まった大臣が国民とのずれが大きい』という声が高まったら、ときには国民の側に立って、果断に決断を下すことがあってもいいと思います」
山口氏が危惧するのは、過去の苦い思い出からだ。民主党が大勝し、自公が野党に転落した2009年。山口氏は、その最中に党代表に就任した。
「党代表(太田昭宏・元国交相)、幹事長(北側一雄・現公明党副代表)ら、党の中枢を担う人がいっぺんに落選してしまった。当時、私は政調会長で……。周囲に助けていただきながら、必死でした」

左から谷垣氏、山口代表(写真提供・山口事務所)
そのとき自民党を率いていたのは、自転車事故で負った傷がもとで、2017年に政界を引退した谷垣禎一・自民党前総裁である。谷垣氏と山口氏はともに東大法学部卒の弁護士。じつは司法修習の同期で、政界では「兄貴」だという。
上の写真は、2019年の自民党大会で再会したときのものだ。7月の参院選出馬が噂された谷垣前総裁だが、リハビリなどを理由に固辞したという。
「すっかり元気になられた。血色もよくて、笑顔で……本当によかった。司法修習の同期生で、政治家になったのは、千葉景子さん、伊東秀子さん、松野信夫さんがいます。とくに谷垣さんは兄貴分として、いろいろとご指導いただきました」

幼少期(写真提供・山口事務所)
茨城県那珂郡那珂湊町(現・ひたちなか市)で生まれた山口氏。父は天気相談所の初代所長、母は小学校教員だった。政治を志す原体験は、地元にある。
「日立市には、銅鉱山があって、その煙害で企業と農民が激しく対立していた。ですが、高い煙突を立て、煙が山や畑に下りないようにして、対立を乗り越えた。
その歴史を、新田次郎さんが『ある町の高い煙突』という小説で描いた。新田さんに題材を提供したのは、私の父です。政治家になる原体験のひとつになった」
弁護士時代は、DV被害者や消費者金融の問題などに取り組んでいた。
「弁護士は依頼者のために、一生懸命にやって結果を出せます。しかし、ほかの場所で同じような境遇にある人は救えません。弁護士は法律を作れませんから。いい法律、いい予算措置があれば……と『壁』を感じていたのです」
そんなときに、政界からの誘いがあった。
「当時公明党では、定年制を実行しようとしていた。神崎武法さん(初代公明党代表)に声をかけられ、党の世代交代を熱く説かれたんです」
そして、1990年の総選挙に初出馬し、当選。1996年までは衆議院議員も務めた。2001年からは参議院議員で、衆参両院に幅広い人脈がある。ほかに仲のいい政治家を聞いてみた。
「村上誠一郎さん、岡田克也さんですね。大学同級で、時々飲み会をやっていますよ」
自公政権の天下にも、変調が見られる。4月の大阪府知事と大阪市長のダブル選挙では、自公が推す候補が敗北。統一地方選でも、公明党は、京都市議会と大阪市議会で1議席ずつ減らしてしまった。だが、道府県議選では、全候補者が勝ち抜いた。
「厳しいといわれていましたが、それでもかなり頑張った。とくに大阪の底力は、今も健在だと思っています」
古くから、「常勝関西」と呼ばれた公明党の牙城で起きた、変化の兆し。支持母体・創価学会の変化とも、無関係ではなさそうだ。公明党の創立者で、創価学会のトップ・池田大作名誉会長は、近年は公の場に姿を見せなくなった。
「まったくお会いしませんよ。そもそも公明党の幹部は、基本的に会いませんから」
日本国憲法には、政教分離の原則があるとはいえ、池田氏の登場が減るにつれて、公明党の集票力にも陰りが見える。2017年の総選挙では、比例全ブロックの獲得票数が初めて700万票を割っている。
「日本全体が人口減少、少子高齢化が進んでおり、どの団体もそういう状況を抱えていますから。若い力を育てなくてはいけません」
自公の蜜月は今年で20年。いま、安倍首相に「嫌」と言えるのは山口氏だけかもしれない。
(増刊FLASH DIAMOND 2019年5月30日号)