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〈強欲〉より〈共感〉の資本主義を(佐々木実)

強欲を意味する「グリード(greed)」は、しばしば市場原理主義者を象徴する言葉として用いられるようになった。転じて、資本主義の特性を表すキーワードとして持ち出されることもある。けれども、経済学の始祖アダム・スミス(1723―90)にまで立ち返るなら、「資本主義=グリード」という連想は相当に的外れである。

『国富論』を著したスミスは一方で、『道徳感情論』を著した道徳哲学者でもあった。人間社会における〈共感(sympathy)〉の働きを重視したスミスにとって、市場経済は、人間に生来的に備わっている〈共感する〉能力を基礎として成り立つわけである。

〈共感(sympathy)〉と〈強欲(greed)〉──どちらを基調とするかで資本主義のビジョンはがらりと変わるだろう。

アダム・スミスが提起した問題を、神経科学の知見で解こうとする試みが、ポール・J・ザック『経済は「競争」では繁栄しない』(ダイヤモンド社)である。〈信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学〉という副題を見た時はトンデモ本かとも思ったが、なかなか説得力のある本だった。

著者によれば、スミスが唱えた〈共感(sympathy)〉は、ヒトの体内にある化学伝達物質オキシトシンで説明できるという。

〈オキシトシンは小さな分子(ペプチド)で、脳の中で信号を送る神経伝達物質と、血液中でメッセージを運ぶホルモンの両方の働きを持つ。1906年にサー・ヘンリー・デイルが下垂体で発見し、ギリシア語で「すばやい」を意味する単語と「出産」を表す単語を合わせてオキシトシンと名づけた。やがてオキシトシンは産科医と婦人科医によく知られるようになった。陣痛の始まりと授乳用の乳汁の流れを制御しているからだ。〉

「他者とのつながりを求める」作用があるオキシトシンは、快楽神経化学物質であるドーパミン(脳の報酬を得るために繰り返す)、セロトニン(不安を和らげる)を分泌するという。

〈オキシトシンは共感を生み出し、共感が原動力となって私たちは道徳的な行動をとり、道徳的行動が信頼を招き、信頼がさらにオキシトシンの分泌を促し、オキシトシンがいっそうの共感を生み出す〉

著者のザックは、競争と信頼のバランスがとれた市場経済をオキシトシンに起因する「共感」を軸に構想しようとしている。

〈共感の不在は勝者総取りの状況につながり、それが信頼や、信頼がもたらすそのほかの向社会的行動を衰えさせる。生き延びることで頭がいっぱいのときには、オキシトシンの分泌が妨げられるだけでなく、消費意欲が下がり、それがしばしば景気後退への第一歩になってきた。長期的に栄えるためには、どんな市場も(いや、ビジネスも社会も)、信頼とオキシトシン分泌と互恵主義の「善循環」を維持する、公正で明確で施行可能な取引の規則を必要とする〉

神経経済学という新学説を評価する知見はもたないが、すでに賞味期限切れとなっている市場原理主義者の空理空論より、よっぽど思考を刺激してくれることは確かだ。

(ささき みのる・ジャーナリスト。2019年4月19日号)

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