- 2019年05月15日 22:11
夫婦間の接触禁止に関する特別抗告
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2 原決定は家族生活に対する恣意的干渉を受けない権利を保障した国際人権規約17条に違反する
東京地裁刑事15部の裁判官たちは、この憲法上及び条約上の決定義務を果たさなかった。われわれは国際人権規約締約国である日本国の最終審裁判所である最高裁判所の裁判官にこの義務を果たすように求めるしかない。そのために、われわれの主張をもう一度繰り返すことにしよう。
4月25日付保釈許可決定は、その指定条件として、カルロス・ゴーン氏が自分の妻であるキャロル・ナハスさんと面接、電話、通信その他一切の方法による接触を全面的に禁じた。本件保釈条件は、家族生活に対する恣意的な干渉を受けないことを保障した市民的及び政治的権利に関する国際規約17条1項に違反する。直ちに取り消されなければならない。
(1) 家族生活に対する恣意的な干渉を受けない権利
国際人権規約17条第1項は次のように定める――「何人も、その私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない」。続けて、同条2項は「すべての者は、1の干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する」としている。
家族は「社会の自然かつ基礎的な集団単位である」(世界人権宣言16条3項)。家族という基礎的な集団単位を形作るその基礎にあるのは「夫婦」という男女のペアである。家族や夫婦という人の結合が人類の集団的営みの基本なのである。世界人権宣言もそして国際人権規約も、この人類の生存と発展の礎ともいうべき基本権を宣言し、それが不当な干渉を受けないことを確保しようとするのである。
規約が「家族」(family)を「私生活」(privacy)や「住居」(home)、「通信」(correspondence)と並べてそれへの「干渉」(interference)から守ろうとしているのは、偶然ではない。これらは私的で親密な空間、政府や他人から干渉を受けない秘密の領域として確保されることが、人間にとって重要な意味をもつ概念なのである。そうした秘密の領域がなければ人間性は破壊されてしまう。これらの領域は人間の尊厳を確保するうえで欠かせないものなのである。
(2) 恣意性の判断基準:比例テスト
規約が保障する権利に対する侵害や干渉が「恣意的」(arbitrary)か否かを審査する基準として、規約人権委員会(ICCPR28条以下)やヨーロッパ人権裁判所(ヨーロッパ人権条約19条以下) (1)が採択している基準が「比例テスト」(proportionality test)と呼ばれるものである。比例テストは、干渉が恣意的か否かを次の3段階のテストを通じて審査する。
1)公的機関による問題の措置や行動はそもそも「干渉」(interference)と呼べるものか?規約人権委員会の一般的見解は「恣意的な干渉」の意味についてこう述べている――「締約国の法に定められた干渉であっても、規約が定める条項やその趣旨及び目的に従ったものでなければならず、いかなる場合においても、当該具体的な状況のもとで合理性の認められるものでなければならない」(2) 。
2)そうだとして、当該措置や行動は正当な目的(legitimate purpose)すなわち、深刻な犯罪の捜査、訴追や公判、あるいは、他者の権利の保護に役立つものか?
3)そのような干渉は民主主義的な社会にとって必要なものか?
規約人権委員会は、N.K対オランダにおいて、次のように指摘した。
恣意性という概念には、不適切さ(inappropriateness)、不正義(injustice)、予測可能性(predictability)や法の適正手続、 (due process of law)の欠如という要素のほか、さらに、合理性(reasonableness)、必要性(necessity)そして比例性(proportionality)の要素の欠如も含まれる。***プライバシ−の保護が相対的なものにすぎない社会においても、適格な公的機関といえども、個人の私生活に関する情報を得ることができるのは、そうした情報が、規約が理解する民主主義的な社会の利益のために必須と言える場合のみである(3) 。規約人権委員会は、また、家族の一人である被疑者を海外に強制退去させることが家族生活に対する恣意的な干渉にあたるかどうかが問われたディパン・バドラコッティ対カナダにおいて、家族生活に対する具体的な干渉が客観的に正当化されるかどうかを評価するための適切な考慮要素は、一方において、締約国がその個人を排除する理由の深刻さであり、他方においては、その排除の結果として家族とそのメンバーが直面するであろう困難の程度であるとした。この事件について、委員会は、被疑者の家族生活に対する干渉(被疑者を国外に退去させること)は、さらなる犯罪を防止するという正当な目的と比例し得ない過大なもの(disproportionate)であると結論したのである(4) 。
また、ヨーロッパ人権裁判所の判例は次のように指摘している。
干渉が正当な目的を達成するために「民主的社会において必要」と言えるのは次のような場合である――それが「社会の切実な必要」にこたえるものであるとき;そして、とりわけ、それが目指す正当な目的と比例している(proportionate)こと;そして、国家機関(national authority)が正当化の理由として主張する理由が「適切かつ十分であること」。こうした観点について最初の評価を行うのが国家機関であるとしても、問題の干渉が必要かどうかについての最終的な評価は裁判所によって規約の要請に沿うものかどうかを審査されなければならない。
この評価について的確な国家機関に対して一定の裁量が与えられなければならない。この裁量の幅は、問題となる規約上の権利の性質、その権利の個人にとっての重要さ、干渉の性質と目的などを含むいくつかの要素によって変動する。問題となる権利がその個人が親密なあるいは基本的な権利を効果的に行使するうえで決定的に重要なものであるときには、裁量の幅は狭くなるのである。個人の生存や尊厳に関する重要な要素が問題となっているときには、政府の裁量は制限されなければならない (5)。



