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「トランプ」「毛沢東」が「夢の共演」を果した「広東オペラ」の荒唐無稽 - 樋泉克夫

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作者は元経済誌記者の風水師

 この『粤劇特朗普』の作者は、中国系の経済誌記者から風水師に転じた李居明である。

 コカ・コーラの顧問に就任した2000年を機に、同社が低迷を脱しV字回復を果したことから、風水師としての評価を一気に高めた。そこで金運に縋ろうとする多くの中国企業家も彼の許に馳せ参ずるようになり、折からの中国の都市開発ブームとも相俟って莫大な富を手にする。これが彼のサクセス・ストーリーのカラクリらしい。

『粤劇特朗普』が上演された新光戯院大劇場は、1972年に中国政府系資本で建設された香港最大の粤劇常打ち劇場である。1997年の香港返還の際には、中国の代表的京劇役者を網羅して返還祝賀のための京劇の連続公演が行われたほどに、中国政府の“御用達劇場”として知られていた。一時、粤劇が衰退して経営不振に陥り、閉鎖の危機に見舞われたが、2012年に李居明が資本を注入し、2022年までの長期で賃借したことから息を吹き返した。

 香港粤劇の最有力パトロンとして振る舞い、粤劇を「本土文化の精華」と捉え、「香港において『本土文化』を滅ばせてはならない」と説く李居明は、専門家の一部からは素人脚本家と見られながらも数多くの新作を創作し、豊かな資金を背景に同劇場を拠点にして次々に華々しい興行を打ち、粤劇界のみならず香港社会に話題を提供してきた。

 2016年には「毛澤東之虛雲三夢(1)」と銘打って『粤劇毛澤東』を上演している。今回の『粤劇特朗普』が「毛澤東之虛雲三夢(2)」であり、すでに「毛澤東之虛雲三夢(3)」として『特朗普夢會毛澤東』が構想されているとのことだ。

 なぜ、ここまで李居明は毛沢東にこだわるのか。習近平国家主席、あるいは中央政府に対する「拍馬屁(ゴマすり)」の声も香港では絶えないが、そんな背景を持つ李居明の芝居のために、過激な反中論調で知られる『蘋果日報』が見開き両面(冒頭写真)を提供するのだから、やはり不思議としか言いようはない。

 たとえるなら、日本共産党機関紙『しんぶん赤旗』が見開き2頁大の安倍晋三首相礼賛本広告を掲載するようなもの。やはり日本的常識では考えられないはずだ。

『粤劇特朗普』の公演終了後、現地メディアから「作者が望んでいたように若者の観客も少なくなかった」「和を以て貴しというメッセージが舞台から伝わる」など前向きな評価も聞かれた。また「やはり天安門事件の犠牲者の冤罪を雪ぐことが至難であるように劉少奇の名誉回復は容易くない」との声も伝わってくる。その一方で、「相変わらずバカバカしい限り」「粤劇復興をカネ儲けに結びつけるな」「いつまで共産党政権にゴマすりを続ける心算か」などの酷評もあった。

 李居明に対する毀誉褒貶は尽きそうにない。だが彼の活動によって衰退一途であった香港の粤劇が息を吹き返しつつあることだけは認めざるをえない。

香港のアイデンティティー

 返還以来すでに20年を過ぎた香港では、返還前後に話題になった「中国人か。香港人か」などといった単純な二項対立を超え、自らの認同(アイデンティティー)をめぐる複雑極まりない議論が見られる。

 たとえば「香港文化の本土化」という命題にしても、李居明のように「本土」の2文字に広東色を色濃く滲ませる考えもあれば、それとは反対に広東との関係を絶ち切り香港こそが「本土」であり、香港独自の文化を追求するといった動きもある。

 この考えを過激化して香港独立を唱える勢力もあるが、水から食糧までライフライン全般を中国に頼っている以上、掛け声だけは勇ましいが、香港独立など不可能というものだ。

「共産党の官僚語」でしかない中国語による教育は、「香港文化の蔑視」を意味する。香港や広東を中心に東南アジアやアメリカの華人社会を合わせるなら1億人ほどが話す粤語こそ香港と運命共同体の関係にあり、粤語が中国語との戦いに敗れたなら「香港文化は滅亡する」と、教育をテコに中国本土との一体化を目指す中央政府・香港特区政府への強い抵抗も見られる。

 粤語教育を掲げることは広東との結びつきを一層深めることに繋がり、その先に位置する中央政府に引き寄せられてしまうようにも思える。中央政府が基盤とする北京中心の北方文化に対抗し、南方文化を掲げ粤語圏の独自性を打ち出そうという狙いを理解できないわけではない。

 だが、そういった考えは、中央政府が掲げる「粤港澳大湾区構想」(珠江デルタに位置する広東、香港、マカオを結びつけた新たな巨大経済圏を目指す構想)に重なり、経済面でも現在以上に中央政府の掣肘を受けてしまうはずだ。

 返還以降、広がるばかりの貧富の差に苦しむ一方、その原因を中国人――具体的には中国からの旅行者や移住者――に求め、彼らに対する不快感を露わにする動きも見られる。香港では中国を「内地」と呼ぶことから、こういった「排内主義」は他国・地域で見られる「排外主義」に通じ、世界各地に災禍をもたらす「民族浄化」を引き起こしかねないとの批判も聞かれる。

香港の渾沌状況を象徴している

 こう見てくると、荒唐無稽と形容するに相応しい筋運びの『粤劇特朗普』は、舞台の上の絵空事の世界を飛び越え、現在の香港が置かれた「乱」と「妄」とが綯い交ぜになった渾沌状況を象徴しているようだ。

 そこに1842年の南京条約でイギリスの植民地に組み込まれて以降、2度の世界大戦、中華人民共和国の成立、1997年の返還を経て現在まで、自らの運命を自らで定めることができなかった香港の人々の悲哀が隠されているようにも感じられる。

 だが、あるいは悲哀などと言う感傷は余りにも日本的に過ぎるかも知れない。『粤劇特朗普』には、「支配されながら支配する」という彼らの“生きるためのしたたかな戦略”が秘められているのではなかろうか。

 こう考えればこそ、次回作とされる「毛澤東之虛雲三夢(3)」の『特朗普夢會毛澤東』への興味は募るばかりだ。

<追記:「仇大富」について>

 コラムニストの沈旭輝は『亞洲週刊』(2019年4月28日)で「粤劇特朗普」を論じているが、「仇大富」と綴る。一方、プログラムには「仇大虎」とある。あるいは李居明は、富(Fu)と寅(Hu)は音が近いことを承知の上で、観客が「大富」と受け取ろうが、「大虎」と聞こうが、どちらでもいいような仕掛けを考えているのかもしれない。つまり「富」なら香港と中国に共通する超格差社会を、虎なら「トラもハエも一網打尽」を掲げる習近平政権の反腐敗運動を連想させる。「大富」であれ「大虎」であれ、「仇」を討つことで庶民が留飲を下げる、という仕掛けである。

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